ジズヤの廃止(人頭税の廃止) – 世界史用語集

ジズヤの廃止(人頭税の廃止)とは、イスラーム世界の伝統的な非ムスリム住民への人頭税であるジズヤを、19世紀以降の国家改革・市民平等原則の導入にともなって縮小・撤回・変質させ、最終的に近代的な国籍と普遍的課税へ移行させた歴史的過程を指します。各地域で時期と手順は異なりますが、共通して、宗教による身分区分を前提とする税体系から、個人=国民を単位とする課税・兵役・行政サービスへ切り替える改革が進みました。オスマン帝国のタンジマート、北アフリカの勅約・憲章、イラン・エジプトの近代化、南アジアの統治構造の変化などが節目となり、ジズヤは軍役免除金や一般頭税、所得・地租・営業税へと代替されていきました。要するに、ジズヤの廃止は、宗教共同体に基づく保護と負担の交換から、均一な市民権と課税義務への「言語の切り替え」を実現した出来事だったのです。

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歴史的背景と用語の整理――ジズヤ・ハラージュ・近代課税への接続

ジズヤは、ズィンミー(保護民)と呼ばれる非ムスリム成年男子を主対象とする人頭税でした。これは前近代の軍務・身分秩序と結びつき、ムスリムが原則として軍役を負い、被保護民は税負担を通じて保護を受けるという交換関係に立脚していました。他方、土地にかかるハラージュ(地租)は宗教と無関係に賦課されることが多く、改宗者はジズヤを免れても、ハラージュの負担は継続するのが通例でした。この二重構造が、財政の持続性を支えつつ、宗教差に基づく法的区分を社会に埋め込んでいました。

近代の「廃止」は、単純な税目の削除ではなく、課税単位・兵役・自治・司法の枠組みを丸ごと組み替える作業でした。課税は身分別から個人別へ、軍役は宗教別免除から国民皆兵(または代替金)へ、共同体自治はミレットや宗教法廷の権限縮小を経て国家裁判所へ、といった方向で進みます。この全体の中で、ジズヤの廃止は象徴的な意味を持ち、「宗教による差別(区別)なき臣民」創出の看板政策となりました。

オスマン帝国の撤廃過程――タンジマート、代替金、普遍的徴兵

オスマン帝国では、19世紀のタンジマート(改革)により、宗教共同体に基づく法的身分区分の再編が進みました。勅令は宗教平等と法の下の保護を掲げ、ジズヤに代表される宗教別税制の見直しが始まります。実務上は、人頭税としてのジズヤは段階的に縮小され、非ムスリムに課していた「軍役の代償」を、宗教に依らない軍役免除金(名称や税目は時期により異なります)へと置き換える措置が採られました。これにより、納税の名目は「宗教差」から「兵役の代替」へと移り、徴税単位も共同体の割当から個人・家計へと近代化します。

19世紀末から20世紀初頭の徴兵制度改革では、宗教を問わない普遍的徴兵の理念が浸透し、非ムスリムも志願・徴募の対象に含める一方、代替金の制度を縮小・廃止する方向に舵が切られました。これにより、伝統的な「ムスリム=戦士/非ムスリム=納税者」という職分秩序は解体へ向かいます。もっとも、戦時動員と行政能力の限界から、実務は段階的・選択的に運用され、地域差・職能差が残存しました。重要なのは、国家が徴税と徴兵の権限を宗教共同体から取り戻し、国籍に基づく直接関係へ置き換えた点です。

財政面では、ジズヤに代わって地租(テマット化された土地税)、関税、物品税、印紙税、都市税、公債収入などの比重が高まり、近代国家型の税体系が整えられました。帳簿・統計・国庫会計の近代化は、徴税の恣意性を下げる一方で、旧来の共同体指導者による配分権を後退させ、地方社会の政治地図を塗り替える契機となりました。

北アフリカ・エジプト・イランの展開――憲章・憲法と平等原則

北アフリカでは、君主が列強と結ぶ勅約・憲章を通じて、宗教平等と司法・税制の改革が宣言され、ジズヤのような宗教別税は段階的に撤退しました。新たに設けられた一般頭税や地税は、宗教に依らない住民課税を標榜し、徴税単位の個人化が進みます。都市の宗教共同体は、課税・徴兵・裁判の権限を縮減され、教育や慈善などの文化・宗教サービスに特化していきました。

エジプトでは、近代的官僚制と常備軍の整備が進むなかで、非ムスリムの兵役免除と引き換えに課す特別金が導入・整理され、その後、徴兵制の拡張とともに代替金の縮小・廃止が進みました。これにより、宗教による差等課税の名目は消え、農地・不動産・営業に対する一般税が財政の主柱となります。国内市場の形成、教育制度の拡張、インフラ投資の増大は、税体系の近代化と表裏一体でした。

イランでも、19世紀後半から20世紀初頭の立憲運動を経て、市民の法的平等をうたう枠組みが整備され、宗教に基づく差等課税は撤回されました。都市のユダヤ教徒・キリスト教徒・ゾロアスター教徒共同体は、寄付・寄進に基づく自治を維持しつつ、直接税・間接税の一般制度に組み込まれます。ここでも、課税の近代化は、司法・警察・徴兵・教育の国家による一元化と連動しました。

南アジアの転換――ムガルの廃止と復活、近代統治下の再編

ムガル帝国では、16世紀後半に寛容政策の一環としてジズヤの撤廃が断行され、宗教に依拠しない官僚登用と多宗教の共存を掲げる路線がとられました。その後、17世紀末に政権の再編と対抗運動の激化を背景にジズヤが再導入され、社会的・政治的緊張を生みました。もっとも、帝国の主要税源は一貫して土地収入であり、ジズヤは象徴的意味を帯びつつも財政全体では限定的でした。

近代の統治体制下では、宗教別税目は原則として採用されず、地租・関税・物品税・印紙税などの一般税が整備されました。軍役は志願・募兵を基本に再編され、宗教で権利義務を分ける制度は撤回されます。こうして南アジアでは、前近代の宗教別課税の記憶が地域・共同体ごとに残りつつも、法制度としてのジズヤは消滅していきました。

代替制度と過渡期の運用――軍役免除金・一般頭税・自治の再定義

ジズヤ廃止の過程で多くの地域が採用したのが、兵役の代替金制度でした。これは宗教にかかわらず、兵役に服さない者が一定額を納める制度で、徴兵制の導入とセットで設計されます。非ムスリムだけでなく、学者・学生・公務員・特定産業の働き手など、国家が軍務よりも他の公共目的で必要と判断する者に適用され、宗教差に基づく義務の不均衡を緩和しました。

また、一般頭税(住民税)は、宗教を問わない成人男子(のちに成人全員)に広く薄く賦課され、都市サービス・治安・衛生・教育の財源となりました。これにより、共同体割当の性格が強かった旧来の人頭税は、行政区画に基づく住民税へと性格を変え、納税者は宗教共同体ではなく地方自治体との関係で税を負担することになります。

宗教共同体の自治も再定義されました。ミレット制の下で行われていた婚姻・相続・慈善・教育の運営は、国家の民法・教育行政の拡張に合わせて整理され、宗教裁判所の権限は縮小、代わって国家裁判所が最終的な判断を行う体制が確立します。共同体は信仰・礼拝・文化の領域に特化し、財政的には寄付・基金・財団(ワクフ)に依拠する比重が高まりました。

国際環境・思想・社会の要因――廃止を後押しした力

ジズヤ廃止を後押しした要因は多層的でした。第一に、国際政治の圧力です。列強は通商条約・領事裁判権・治外法権などを梃子に、宗教差別の撤廃と外国人・被保護民の平等取扱いを要求しました。これに応えて宗教平等を掲げる勅令や憲章が生まれ、国内の税制・司法の再設計が急がれました。第二に、思想の変化です。啓蒙思想や立憲主義、国民国家の理念が、臣民を宗教共同体の成員としてではなく、「国民」としてとらえる視角を広め、均一な権利義務の枠組みを正当化しました。第三に、社会経済の近代化です。常備軍・徴兵制、鉄道・通信・学校・病院といった公共サービスの整備は、共同体割当ではなく、国家的財政・統計・官僚制を必要とし、税体系の単純化・普遍化を促しました。

地域差・抵抗・移行のコスト――廃止が生んだ新たな課題

とはいえ、ジズヤの廃止は一足飛びではありませんでした。旧来の共同体指導層は、配分権と交渉力の低下を恐れて抵抗し、国家の徴税官が新しい制度運用に不慣れなため、過渡期に混乱が生じました。兵役免除金の設定は、富裕層に有利に働く場合があり、負担の公平をめぐる不満も持ち上がります。宗教裁判所の権限縮小は、家族法・相続法をめぐる価値観の衝突を引き起こし、都市と農村、エリートと庶民のあいだで受け止めの差が広がりました。

さらに、宗教的少数派にとって、ジズヤ廃止は一概に解放だけを意味しませんでした。共同体割当の撤退は、内部での相互扶助・救貧の仕組みの縮小を招くことがあり、国家の福祉制度が未成熟な時期には、脆弱層のセーフティネットが薄くなる局面も生じました。国家が普遍的な「市民」を前提に制度設計を進める一方、少数派の文化的自律と社会的保護をどう両立させるかは、今なお続く政策課題です。

長期的帰結――国籍と課税、兵役と市民権の再編

長期的に見ると、ジズヤ廃止は三つの帰結をもたらしました。第一に、国籍と課税の一体化です。納税義務は宗教ではなく国籍・居住に紐づけられ、課税は所得・財産・消費へと広がりました。第二に、兵役と市民権の結合です。兵役(またはその代替)を通じて国家への帰属が実体化し、宗教に依らない市民的平等が制度化されました。第三に、共同体から国家への帰属の重心移動です。宗教共同体は文化・信仰の核として残りつつ、税と法の中心は国家へ移り、ミレット的な重層的主権は単層化されました。

こうして、前近代の「保護と負担の交換」というジズヤの論理は、近代の「権利と義務の対等」という市民の論理に置き換えられました。もちろん、現実の社会は単純ではなく、宗教・民族・階層の差は別の形で不均衡を生み続けますが、少なくとも法制度の表面から宗教別課税は姿を消し、公共の言語は「国民=個人」に移行したのです。

まとめ――象徴の撤去と制度の再配線

ジズヤの廃止は、ひとつの税目の終焉であると同時に、国家と社会の接続のやり方を入れ替える「制度の再配線」でした。宗教共同体を通じた間接的な統治から、国籍と個人を基礎にした直接統治へ——この移行は、徴税・徴兵・司法・教育の全領域に跨っていました。各地で時間差と揺り戻しがあり、代替制度が一時的に旧来の不均衡を温存したことも事実ですが、長い目で見れば、宗教差にもとづく公的負担の制度化は撤去され、均一な市民的負担と権利の枠組みが主流になりました。ジズヤの廃止は、近代国家が自らの正統性を「宗教の保護者」から「市民の平等な調整者」へと転位させる過程を、きわめて具体的に示す出来事だったのです。