市民革命(ブルジョワ革命)とは、近世の身分制社会や君主専制のもとで、都市の商工業者・自由職業者・知識人などの市民層(ブルジョワジー)を中心に、旧来の政治的・法的特権を打破し、国民代表・法の下の平等・所有権の保障・市場の自由を柱とする「近代」への体制転換を実現した一連の革命を指す言葉です。代表例は、17世紀後半のイングランド革命(名誉革命)、18世紀末のアメリカ独立革命・フランス革命、19世紀のラテンアメリカ独立・七月革命・1848年革命などです。これらは地域や時代で姿を変えますが、「誰が政治を担い、どの権利が守られ、経済はどう運営されるのか」という基本設計を、身分(生まれ)から契約(合意)へ、神授から人民主権へと切り替えた点で共通します。他方で、女性・奴隷・植民地民・貧困層の権利が後景に退けられた限界も抱えました。本項では、概念の由来、背景条件、主要事例の比較、制度的成果と矛盾、用語史と評価の変化を、初学者にも伝わるように整理します。
概念と由来:市民=ブルジョワ、革命の射程
「市民革命」は、19世紀に広まった表現で、マルクス主義の用語「ブルジョワ革命(bourgeois revolution)」の影響を受けつつ、より広く近代国家の成立過程を説明するために用いられます。ブルジョワ(市民)は、中世都市の「城壁の内の自由」に根ざす商工業の担い手で、封建領主や王権に対し、課税・関税・独占の制限、契約の自由、財産権の明確化、司法の公正、宗教的寛容などを要求しました。革命の「射程」は、(1)政治—王権・貴族・聖職者の特権を廃し、代表制・立憲制を樹立する、(2)法—身分法を私法上の平等・所有権中心へ改める、(3)経済—行商・同業組合・領主制から、自由貿易・企業・金融へと制度環境を切り替える、の三層にまたがります。
ただし「市民」は単一ではありません。大商人・銀行家・工場主から、弁護士・出版人・医師・職人・小商人に至るまで多層で、彼らの利害は時に対立します。また革命は「上からの改革」と「下からの蜂起」が交錯し、農民・都市下層・兵士・奴隷・女性も決定的な役割を果たしました。したがって、市民革命は「ブルジョワだけの運動」ではなく、多様な主体が連合した異質的なプロセスとして把握する必要があります。
背景条件:思想・社会・経済の三つ巴
思想面では、自然権・社会契約・抵抗権・人民主権・三権分立・信教の自由といった啓蒙思想が理論的基盤を与えました。ロックは生命・自由・財産の権利と政府の同意を説き、モンテスキューは権力分立で専制を防ぐ構想を示し、ルソーは主権の所在を人民の一般意思に求めました。出版・コーヒーハウス・サロンなど公共圏の拡大は、意見と情報の循環を加速させます。
社会面では、身分制の序列—僧侶・貴族・平民—が財産と能力の現実に合わなくなり、都市と農村で不満が蓄積しました。都市では同業組合や行商規制が産業発展の阻害とみなされ、農村では領主制・十分の一税・不公平な課税が重荷となりました。宗教対立(プロテスタントとカトリック)や王朝戦争による財政破綻も政治危機を深めます。
経済面では、重商主義の競争、国際貿易と植民地経済の拡大、金融市場(国債・株式)の成熟が「国家と市場の二重の革命」を準備しました。資本・信用・物流の発達は、課税と借款に依存する王権を市場の規律に晒し、また市場の拡張は旧来の規制・特権の撤廃を促し、政治の再設計を不可避にしました。
主要事例の比較:イングランド・アメリカ・フランス・ラテンアメリカ・1848
イングランド革命(1640年代―1688/89年)は、議会派と王権の対立から内戦・共和政(クロムウェル)を経て、名誉革命で王権の権利章典への服従が確立し、立憲君主制と議会主権が制度化されました。ここで重視されるのは、課税への「代表なくして課税なし」の原則、常備軍の警戒、信教の相対的寛容です。土地貴族(ジェントリ)・都市商人・清教徒が複雑に連携し、革命は宗教戦争と財政軍事国家の形成と不可分でした。
アメリカ独立革命(1775–83年)は、英本国の課税政策と議会代表権の不在への抗議から始まり、独立宣言が自然権と人民主権を明確に掲げました。連合規約から合衆国憲法へと移行し、連邦・共和政・権利章典(権利の保障)を整えます。他方で、奴隷制の存続、先住民領の侵食、女性参政権の欠如という矛盾を抱え、民主化は段階的・不均等に進みました。
フランス革命(1789–99年)は、財政危機と身分制不平等への反発から、三部会—国民議会—人権宣言—封建的特権廃止へと急進し、立憲君主制から共和国、革命戦争と恐怖政治、テルミドール、ナポレオン体制へと展開します。革命は法の前の平等、軍役・租税の平等、領主裁判権の廃止、度量衡の統一、ナポレオン法典による私法の近代化などを恒久化しましたが、同時に暴力と対外戦争の連鎖、女性・植民地の権利の抑圧という陰も残しました。
ラテンアメリカ独立(1808–26年)は、ナポレオン戦争を契機に、クレオール(植民地生まれの白人エリート)を中心に王権からの自立を求める運動が広がり、ボリバルやサン・マルティンらが共和国を樹立しました。関税・商業の自由化、身分制の法的廃止、教会財産の整理など市民革命的成果を挙げましたが、地域分裂と軍人政治、奴隷制や先住民差別の持続、土地所有の偏在が深い課題として残りました。
1848年革命は、フランス二月革命を発火点に欧州各地に波及し、選挙権の拡大、言論の自由、民族自決の要求が交錯しました。産業化の進展と恐慌の痛手、労働者の社会的権利要求(社会主義の萌芽)が前景化し、ブルジョワと労働者の間に「二度目の革命」をめぐる緊張が生じます。結果として多くは反動で後退しましたが、普選の漸進、憲法主義の定着、国民国家形成(ドイツ・イタリア統一の遠因)につながりました。
制度的成果:権利・代表・法典・国家と市場の再設計
市民革命が恒久化した制度は多岐にわたります。第一に基本権の明文化です。人権宣言や権利章典が、言論・信教・身体の自由、財産権、適正手続、法の前の平等を掲げ、特権廃止と課税の平等原則が確立されました。第二に代表制と立憲主義です。議会が予算・課税・行政監督を担い、三権分立と司法独立が専制の抑制装置として機能します。第三に私法の近代化です。ナポレオン法典を嚆矢に、契約自由・意思自治・家父長的身分法からの転換が進み、商法・会社法・破産法・証券制度が市場の骨格を形づくりました。第四に国民国家の制度です。国民軍と徴兵、国語教育と義務教育、戸籍・度量衡・貨幣の統一は、市民を「国家の構成員」にし、国家を「市場の番人」に変えました。
経済面では、関税・行商制限・同業組合の特権が撤廃・緩和され、国内市場の統合が進みました。土地の所有権は登記・移転が容易になり、農民の土地所有拡大(フランスなど)と地主制の再編が起こります。金融は国債市場の透明化、中央銀行の制度化、株式会社の普及を通じて生産と投資のダイナミズムを支えました。もっとも、格差の縮小・福祉の保障は市民革命直後の課題には含まれず、19〜20世紀の労働運動・社会立法・福祉国家の時代に持ち越されます。
限界と矛盾:周縁化された人びとと暴力の問題
市民革命は「普遍の権利」を宣言しつつ、その適用範囲を狭めました。女性は政治的市民から排除され、選挙権の獲得は20世紀まで待たねばなりませんでした。奴隷制はアメリカと植民地で存続し、フランスでもサン=ドマング蜂起と黒人解放が革命と帝政のなかで紆余曲折をたどりました。植民地民は「人民」概念から周縁化され、独立や公民権を求める闘いが長く続きます。さらに、革命は暴力と内戦、治安立法、粛清を伴い、恐怖政治やヴァンデの反乱鎮圧のように、多くの犠牲を生みました。自由と秩序、平等と所有、国民と人類という価値の緊張は、以後の政治思想と運動史の核心的問題であり続けます。
用語史と評価の変化:ブルジョワ革命論から多主体革命論へ
20世紀の歴史学は、市民革命を「封建から資本主義への移行」「ブルジョワが権力を掌握する段階」として定式化しました。これは社会構造の大枠を理解する上で有力でしたが、近年は見直しが進んでいます。第一に、ブルジョワと呼ばれる層の内部差、農民や都市下層・女性・奴隷・植民地民の能動性が重視され、「多主体革命」の視角が強まりました。第二に、国家と市場の相互形成(財政軍事国家、警察国家、社会政策)の観点から、革命を単なる市民対旧体制の対立だけでなく、国家構築のプロセスとして再評価する研究が進みました。第三に、非欧米地域では、近代化や独立が「上から」の改革・戦争・外圧と結びつくため、「市民革命」という語の適用に慎重さが求められます(例:日本の明治維新を市民革命とみなすか否か)。
一方で、市民革命の遺産—法の支配、代表制、権利保障、言論の自由—は、20〜21世紀の民主化運動・市民運動・人権保障の基盤であり続けます。今日のデジタル公共圏、プラットフォーム企業の力、監視技術の進展、地球規模課題に対する国家と市場の協働という新局面においても、「誰が決め、どの自由と権利をどう守るか」という市民革命の問いは、形を変えて私たちの目前にあります。
小括:比較のための年表とキーワード
【年表の目安】1640年代イングランド内戦→1688/89名誉革命→1776独立宣言→1789フランス革命(人権宣言)→1791憲法と王政廃止→1799ブリュメール→1804ナポレオン法典→1808–26ラテンアメリカ独立→1830七月革命→1848各地の革命。
【キーワード】自然権/社会契約/人民主権/権利章典/人権宣言/三権分立/立憲主義/ナショナリズム/自由貿易/所有権/代表なくして課税なし/公共圏/恐怖政治/ナポレオン法典/国民国家/徴兵制/女性と市民権/奴隷制廃止。

