『儒林外史』 – 世界史用語集

『儒林外史(じゅりんがいし)』とは、清代中期の文人・呉敬梓(ごけいし/ウー・ジンツー)が18世紀前半に執筆した長編白話小説で、科挙と官僚世界をめざす儒者たちの姿を通して、当時の社会と儒教倫理の堕落を痛烈かつユーモラスに風刺した作品です。タイトルを直訳すると「儒者の世界の外史」といった意味になり、「正統な歴史(正史)」からこぼれ落ちる、無数の凡庸な儒者・官僚・落第秀才たちの日常と悲喜劇を描いた“もう一つの歴史”というニュアンスが込められています。

物語は、特定の主人公が最初から最後まで活躍するタイプの小説ではなく、各地の儒者たちのエピソードがゆるやかにつながっていく連作形式をとっています。立身出世を夢みて科挙に挑み続ける者、名利を捨て清廉を貫こうとする者、学問を看板にしながら内心は利害計算だらけの者など、さまざまな人物が登場し、彼らの成功や転落、滑稽な言動が、しばしば笑いと皮肉を交えて描き出されます。とくに、名誉欲や金銭欲に取りつかれた儒者たちの姿は、儒教社会の理想と現実のギャップを浮き彫りにするものとして知られています。

世界史や中国史の学習で『儒林外史』が登場する場合、多くは「科挙制のもとで形成された知識人社会(士大夫)の虚飾と腐敗を風刺した小説」「四大奇書以降に現れた風刺文学の名作」といった説明が添えられます。この解説では、まず作品が生まれた清代中期の社会状況と、作者・呉敬梓の背景を整理します。つぎに、作品の構成と主要なエピソードの特徴、描かれる人物像を紹介し、続いて、どのような点で儒教や科挙制度を批判しているのかを考えます。最後に、中国文学史の中での位置づけや、後世への影響についても触れ、『儒林外史』という用語を見たときに、「なぜこの作品が重要なのか」をイメージできるようにしていきます。

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作者・呉敬梓と清代中期の社会背景

『儒林外史』の作者とされる呉敬梓(1701頃〜1754)は、江蘇省を中心とする江南地域の出身で、いわゆる士大夫層に属する文人でした。家柄はもともと富裕な名家でしたが、彼が生きた時代には家運が傾き、経済的な困窮や親族間の不和を経験したと伝えられます。自らも科挙を受験したものの、最終的には高位の官職につくことはなく、地方で細々と暮らしながら執筆活動を続けました。

清代中期は、康熙・雍正・乾隆に代表される「康雍乾の盛世」と呼ばれる一方で、科挙制度が完全に社会の中に根を下ろし、多くの士人にとって「人生の成功=科挙合格・官途進出」であるという価値観が強く浸透していた時代でもありました。膨大な数の受験者が、きわめて狭い官職の椅子を奪い合う構造のなかで、科挙合格者だけでなく、その周辺にいる無数の落第秀才や郷紳、私塾の教師たちも「儒林」の一員として存在していました。

このような社会では、表向きには「仁義礼智信」を唱え、経書の暗誦や規範的な文章作法(八股文)を競う一方、裏側では賄賂やコネ、出世のための権力争い、人間関係の打算が渦巻いていました。儒教倫理は建前として尊重されながらも、実際の日常生活ではしばしば形骸化し、名誉欲や金銭欲を正当化する手段として利用されることさえありました。

呉敬梓は、自らもその儒林世界の一員であったがゆえに、その矛盾や滑稽さ、悲哀を身をもって感じていたと考えられます。家の没落と科挙への挫折、周囲で見聞きした士大夫たちの振る舞いが、『儒林外史』におけるユーモラスで残酷な描写の原動力になったとみなされます。彼は「儒教そのものを全否定した」とまでは言えないものの、少なくとも当時の儒者たちが掲げる理想と現実とのギャップを強く意識し、「外史」という形でその実態を暴き出そうとしたのです。

また、清代中期の江南地域は、経済的・文化的に高度に発展しており、多くの書店・文人・学塾が集まる場でもありました。商業出版が普及し、白話小説や戯曲が広く読まれるようになっていたことも、『儒林外史』のような風刺小説が成立する土壌をつくりました。読者は、科挙や儒林の世界をある程度知っている層であり、その読者に向けて、身近でありながらもどこか「笑えない現実」を描き出すのが本作の位置づけだと言えます。

作品の構成と人物像:連作風刺としての『儒林外史』

『儒林外史』は、四大奇書(『水滸伝』『三国志演義』『西遊記』『金瓶梅』)のような明代の長編小説と比べると、物語構造がかなり異なります。特定の英雄や主人公の成長物語を追うのではなく、各地の儒者・官僚・秀才・郷紳などのエピソードが次々に現れ、互いにゆるやかに関係しながらも、ひとつの大きな筋に収束していくわけではありません。ある人物がしばらく中心となって描かれたあと、いつの間にか舞台の外へ去り、別の人物に焦点が移る――という連作短編的な形式をとっています。

登場人物には、名利にとらわれた滑稽な儒者、純粋だが世渡り下手な理想主義者、虚名を嫌って隠棲する高士風の人物など、さまざまなタイプが登場します。そのなかで特に印象的なのは、「立派な言葉を並べ、儒教の教えを口にしながら、その実、行動は俗物的で、欲望に忠実な人物たち」です。彼らは他人の前では清廉を装いながら裏で賄賂を受け取ったり、表向きは節義を唱えながらも、状況が変わるとあっさり態度を変えたりします。

一方で、作者はただ儒者全体を嘲笑しているわけではありません。作品には、名利を捨てて学問そのものに打ち込もうとする人物や、貧困のなかでも誠実さを失わない人物なども描かれます。ただし、そのような人物も多くの場合、現実の社会では報われず、むしろ損をする側にまわります。この対比を通じて、『儒林外史』は「名実の倒錯」を明らかにします。すなわち、儒教が称揚する徳を実践する者ほど出世から遠ざけられ、名利に走る者ほど「成功者」として扱われるという、価値観の転倒です。

作品世界には、具体的な政治事件や歴史上の大事件はあまり前面には出てきません。その代わり、地方の宴席、塾や書斎での会話、婚姻や相続をめぐるトラブル、地方官とのやり取りなど、「日常生活の場面」が細かく描かれます。読者は、笑いながら読み進めるうちに、科挙や官僚制と深く結びついた士大夫社会の空気や、人間関係の機微を感じ取ることになります。

こうした描写のスタイルは、単なる勧善懲悪ものとは異なり、必ずしも「最後に悪が懲らされ、善が報われる」とは限りません。むしろ、善人が損をし、悪人がうまく立ち回る現実そのものを提示することで、読者に「この社会で生きるとはどういうことか」を考えさせる仕掛けになっています。この点で、『儒林外史』は理想主義よりも、どこか冷めた観察眼とユーモアをもった社会小説だと言えます。

儒教・科挙批判としての側面

『儒林外史』の中心テーマのひとつは、科挙制度とそれに依存する儒者社会への批判です。科挙は、中国歴代王朝のなかで才能ある人物を登用する制度として一定の役割を果たしましたが、清代中期には、試験科目が形式化し、八股文のような定型的な文章表現が重視されるようになっていました。受験者たちは、経書の内容を自分の頭で考えるというより、「正解とされる文章パターン」を暗記して再生することに多くの時間を費やしました。

『儒林外史』に登場する多くの儒者たちは、まさにこのような「形式主義的な学問」に没頭しています。彼らは、実際の社会問題や人間の苦しみに目を向けることなく、科挙に受かるための答案作りに人生を賭けており、その結果、現実の行政や倫理的判断においては無能であったり、利己的であったりします。作者は、こうした姿を笑いと皮肉を交えて描くことで、「学問を志すはずの儒者が、かえって狭い価値観に囚われている」状況を批判しています。

また、儒教倫理の扱い方についても、『儒林外史』は徹底して冷ややかです。たとえば「孝」「忠」「節義」といった徳目は、建前としては高く掲げられているものの、作中ではしばしば、自己正当化や他人支配の道具として用いられます。親への孝を強調しながら、実際には相続財産をめぐって醜い争いを繰り広げる兄弟、忠義を語りながら自己保身に終始する官僚などの描写は、儒教の美辞麗句と現実の行動の乖離を鋭くえぐり出しています。

とはいえ、作者は儒教そのものを無価値だと断じているわけではありません。むしろ、儒教の本来の理想――仁愛・誠実・節度・公正――と、現実の儒者たちのふるまいとの差を浮かび上がらせることによって、「本来の理想からの堕落」を告発していると見ることができます。言い換えれば、『儒林外史』は「反儒教」ではなく、「偽善的な儒者への批判」であり、本来の道徳を取り戻すべきだという、ある種の倫理的まなざしも含んでいると解釈することができます。

さらに、作品は、学問や名誉をめぐる価値観そのものにも疑問を投げかけます。科挙に成功して官職を得ることが本当に幸福なのか、学問とはもともと官職への道具にすぎないのか、名声は人間の価値を測る唯一の基準なのか――こうした問いが、登場人物たちの運命を通じて暗に提示されています。名利を捨てて田園に退き、学問や人間関係を大切にしようとする人物の姿には、作者自身の理想や葛藤も投影されていると考えられます。

中国文学史の中での位置づけと後世への影響

『儒林外史』は、明清白話小説の系譜の中では、やや後期に位置する作品であり、四大奇書のような英雄譚・冒険譚・艶笑小説とは違う、社会風刺小説の代表例として評価されています。明代末の『金瓶梅』もまた、日常生活を舞台にした風刺性の強い作品ですが、『儒林外史』はそれよりも政治色を抑えつつ、儒者社会という特定の世界を集中的に描くことで、科挙・儒林をテーマとする独自のジャンルを切り開きました。

その文体は、書き言葉としての文言文と、口語に近い白話表現が混ざり合ったもので、会話部分では登場人物の癖や地方色が生き生きと表現されています。ユーモラスな言い回しや皮肉の効いた対話は、当時の読者にとっても現代の読者にとっても読みやすく、重苦しい告発というより、苦笑いを誘う笑劇として受け止められる側面もあります。この点で、『儒林外史』は娯楽性と批判精神を兼ね備えた作品だと言えます。

近代以降、中国社会が科挙制度を廃止し、西洋近代思想や科学技術を取り入れていく過程で、『儒林外史』は「旧社会の風刺」として再評価されました。清末・民初の知識人たちは、この作品の中に、自らが批判しようとした旧来の儒教的価値観や科挙文化の縮図を見出しました。一方で、現代の研究者は、単なる「古いもの=悪いもの」という図式を越えて、『儒林外史』を当時の社会や人間心理を知る豊かな資料として読み解いています。

また、中国以外の地域でも、『儒林外史』は翻訳を通じて読まれ、儒教社会や科挙制度に関心を持つ読者に影響を与えてきました。日本でも江戸時代末期から明治期にかけて、一部漢学者を通じてその存在が知られ、のちに現代語訳を通じて一般読者にも紹介されています。儒学が日本の武士階層の教養として受け入れられていたことを考えると、『儒林外史』は「儒教社会の自己風刺」として、日本の読者にも興味を引く題材となりました。

世界史の文脈で『儒林外史』という作品名を目にしたときには、「清代中期、科挙と士大夫社会を風刺した連作白話小説」であり、「儒教倫理の建前と現実のギャップを笑いと皮肉で描いた作品」だとイメージしておくとよいでしょう。そのうえで、同じ時代の他地域の風刺文学――たとえばヨーロッパのモリエールやスウィフトの作品、日本の近世洒落本や人情本――と比較してみると、「近世社会の知識人が自らの世界をどのように相対化したか」という観点から、より広い文化史的な位置づけも見えてきます。