常備軍 – 世界史用語集

「常備軍(じょうびぐん)」とは、平時から国家が一定規模の兵力を組織し、給料を支払って常時維持している軍隊のことです。戦争が起きたときだけ領主が家来や農民を動員するのではなく、国王や国家が直接、職業軍人として兵士を雇い、訓練し、指揮系統や武器・兵站(へいたん)を整えておく仕組みを指します。ヨーロッパでは中世末から近世にかけて、封建的な動員や傭兵隊に頼る軍制から、常備軍を核とする軍制へと移行していき、それが近代国家の成立と深く結びつきました。

常備軍の特徴は、「常に存在している軍隊」であることと、「国家が直接統制している軍隊」であることです。戦争のたびに臨時でかき集められる軍勢に比べ、規律の面でも軍事技術の面でも格段に高いレベルを維持できる一方、その維持には莫大な費用がかかります。そのため、常備軍の発展は、近代的な租税制度や官僚制度の整備と切り離せません。逆に言えば、常備軍を持てるほどの財政力・統治能力を持つ国が「強国」として頭角を現していきました。

世界史では、フランスの絶対王政期の軍隊や、プロイセンの軍隊などが常備軍の代表例として紹介されます。また、オスマン帝国のイェニチェリ軍団や、清朝・徳川幕府の軍制なども、広い意味では「常備軍的」な要素を持った軍隊と見なすことができます。19世紀以降になると、徴兵制による「国民皆兵」の軍隊が登場し、常備軍は「平時から維持される常設の軍事組織」として、さらに巨大な規模へと発展していきました。

以下では、まず常備軍という概念がそれ以前の軍隊のあり方とどう違うのかを確認し、その誕生の背景、構造と社会への影響、そして近代以降の変容と課題について、順を追って解説していきます。

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封建的軍制から常備軍へ:何が変わったのか

常備軍の登場を理解するには、それ以前の軍隊がどのような仕組みだったかを押さえておく必要があります。ヨーロッパ中世の典型的な軍制は、「封建的軍制」と呼ばれるものでした。国王や大貴族(領主)は、土地を家臣に与える代わりに、「戦争があれば一定期間、騎士として軍役を務めよ」という義務を課しました。このような主従関係にもとづき、戦時にのみ領主が家来を呼び集めて軍隊を編成するのが基本でした。

この方式にはいくつかの問題があります。第一に、動員できる兵力が、封土を持つ家臣の数とその配下の兵士に左右されるため、国王が自由に兵力を増減できないことです。第二に、騎士たちは本業が「武士」であるとはいえ、各自がバラバラに装備や訓練を行っており、統一的な指揮系統や戦術をとりにくいという問題がありました。第三に、軍役の期間は通常限定されており、長期戦になれば兵士たちの帰国希望とどう折り合いをつけるかが問題になります。

そこで中世末になると、諸侯や都市は、職業軍人としての「傭兵(ようへい)」を雇うようになります。スイス傭兵やドイツのランツクネヒトに代表されるように、戦争のたびに契約にもとづいて雇われる戦闘専門集団が活躍しました。彼らは訓練された兵士として有用でしたが、あくまで雇い主との契約で動く存在であり、支払いが滞れば戦場を離脱したり、略奪や反乱に転じたりする危険もありました。

このような封建的軍制と傭兵への依存から徐々に移行していったのが、「常備軍」です。常備軍は、国王や国家が直接組織する「常設の軍隊」であり、兵士は一定期間または長期にわたって国家から給料を受け取る職業軍人でした。これにより、国王は自らの意志で軍隊を動かし、長期戦にも対応できるようになります。

常備軍の発達は、戦術・技術の変化とも深く関係しています。火器の普及や砲兵の重要性の高まりは、騎士個人の武勇だけでなく、統一された訓練と集団行動を必要としました。歩兵方陣や砲兵隊など、組織的な戦闘単位を運用するには、臨時にかき集めた兵士ではなく、継続的に養成された兵士集団が必要だったのです。

このように、常備軍は封建的軍制から近代軍制への橋渡しをする存在であり、「誰が兵士を支配しているのか」「兵士は誰に忠誠を誓うのか」という点で、従来の主従関係とは異なる、新しい権力構造を生み出しました。

常備軍誕生の背景:財政・戦争・国家

常備軍が本格的に整備されていくのは、15〜17世紀のヨーロッパ、とくに「絶対王政」の時代と重なります。フランスのルイ14世やスペイン・ハプスブルク家、スウェーデンやプロイセンなどが、常備軍を柱として国家の力を強化していきました。では、なぜこの時期に常備軍が必要とされ、その維持が可能になったのでしょうか。

第一の要因は、「戦争の規模と性格の変化」です。中世末以降、ヨーロッパでは領土争いや王位継承戦争、宗教戦争が長期化・大規模化し、数年から十数年に及ぶ「総力戦」に近い戦争が多くなりました。騎士や臨時の傭兵に頼る軍隊では、このような長期戦に耐えきれません。常備軍であれば、平時から兵士を維持し、戦争が長引いても継続的に戦力を投入できます。

第二の要因は、「財政・租税制度の整備」です。常備軍を維持するには、兵士の給与、武器・弾薬、制服、兵站などに膨大な支出が必要です。これを支えるために、王権は国内の租税制度を再編し、恒常的な税収を確保しようとしました。フランスの人頭税・塩税、イングランドの議会同意による税徴収、プロイセンの効率的な徴税官僚制度などは、いずれも軍事費を賄うための仕組みとしても機能しました。

第三の要因は、「王権・国家の集権化」です。常備軍は、王が地方貴族や都市の自立的軍事力を抑え、自らのもとに軍事権を集中させる手段にもなりました。王の直属の軍隊を持つことで、反乱貴族の鎮圧や国内治安の維持がしやすくなり、結果として王権の支配力が高まります。フランスの絶対王政が内乱を抑えつつ強化されていった背景には、常備軍の存在がありました。

第四の要因として、「軍事革命」とも呼ばれる技術・戦術の革新があります。火薬兵器の発達、砲兵・歩兵の組織化、要塞建設の技術革新などにより、戦争はより技術集約的になりました。砲兵や工兵など専門性の高い兵科を育成するには、長期的な訓練と経験の蓄積が欠かせません。その意味で、常備軍は単に数の問題ではなく、「質の高い軍事専門集団」として不可欠になっていったのです。

このような背景のもと、各国はそれぞれの事情に応じて常備軍を整備しました。フランスでは、ルイ14世のもとでヨーロッパ最大規模の常備軍が編成され、制服・軍階制・軍法会議など、近代軍隊に通じる制度が整えられました。プロイセンでは、「兵営国家」と呼ばれるほど軍事中心の国家運営が行われ、常備軍の規律と効率性が高く評価されました。

常備軍の構造と社会への影響

常備軍は、その構造や運用のしかたを通じて、社会全体にも大きな影響を与えました。ここでは、「組織としての軍隊」「兵士という職業」「市民社会との関係」という三つの切り口から見てみます。

第一に、常備軍は「官僚制的組織」として発達しました。軍隊の規模が数万人から十万人単位に膨らむと、兵站・装備・人事・訓練・給与などを管理するための事務機構が必要になります。各国は戦争省や陸軍省などの官庁を設け、将校や文官を配置して軍事行政を行いました。階級制度や命令系統も整備され、軍隊内部は、明確な上下関係にもとづく組織となっていきます。

第二に、兵士という「職業」が社会に定着します。封建的軍制では、騎士は貴族身分を背景とした戦士であり、農民は農繁期以外に動員される臨時の兵士にすぎませんでした。常備軍のもとでは、農民や都市の住民が「兵士」として長期契約し、給料を得て生活するようになります。軍隊は、多くの場合、貧しい階層の若者にとって職と出世の機会を提供する場ともなりました。

同時に、兵士の生活は厳しい訓練と規律に縛られていました。脱走や略奪は厳しく処罰され、軍法会議や鞭打ち刑なども存在しました。常備軍が成熟するにつれて、兵士は単なる武装集団ではなく、「規律に従う国家の道具」として位置づけられるようになります。この過程は、社会における「規律・訓練」の文化の拡大とも結びついていました。

第三に、常備軍の維持は、社会の経済構造や政治構造にも影響を与えました。軍事費は国家財政の大部分を占めるようになり、税負担の増大は農民や市民に重くのしかかりました。フランス革命前夜のフランスでは、戦争と常備軍維持のための財政負担が、財政危機の一因ともなっています。また、常備軍の存在は、国家が国内の反乱や民衆運動を武力で抑え込む手段を常に持っていることを意味し、政治的な緊張の背景ともなりました。

一方で、常備軍は国防や治安維持の面で一定の安定をもたらした側面もあります。外敵の侵入や海賊・盗賊の活動に対して、常備軍は迅速に対応できる力を持っていました。また、近代国家が植民地を支配する際にも、常備軍やそれに準じる軍隊は重要な役割を果たしました。このように、常備軍は暴力装置としての負の側面と、秩序維持装置としての側面を併せ持つ、アンビバレントな存在でした。

近代以降の常備軍:徴兵制と総力戦の時代

19世紀になると、常備軍は新たな段階を迎えます。それが、「徴兵制による国民軍」との結びつきです。フランス革命戦争とナポレオン戦争の時期、フランスは国民皆兵の理念に基づき、大規模な徴兵制を導入しました。これにより、戦争は一部の職業軍人だけでなく、国民全体を巻き込む「国民戦争」となり、動員される兵力の規模は飛躍的に拡大しました。

ナポレオン戦争の経験は、他のヨーロッパ諸国にも大きな衝撃を与えました。プロイセンは改革を通じて徴兵制を整備し、常備軍(現役兵)と予備役を組み合わせる軍制を採用しました。平時には比較的コンパクトな常備軍を維持しつつ、有事には予備役や国民軍を大量動員して巨大な戦力を生み出す仕組みです。このモデルは、19世紀後半以降の多くの国家にとって基本形となりました。

この段階になると、「常備軍」はもはや全体の軍隊そのものを指すというより、「平時から維持される現役部隊・常設の軍事組織」という意味合いが強くなります。その背後には、徴兵制によって訓練された大量の予備兵力が存在し、戦争が始まれば「総力戦」として国家と社会のあらゆる資源が動員されるようになりました。第一次世界大戦や第二次世界大戦は、このような徴兵制国家どうしの総力戦として展開されました。

アジアでも、近代国家を目指す日本やオスマン帝国、清朝末期の中国などが、西洋型の常備軍・徴兵制を導入します。日本では、明治維新後に徴兵令が出され、四民平等の原則のもとで「国民皆兵」の軍隊が整備されました。これにより、幕藩体制下の藩兵や武士中心の軍制から、国民国家型の常備軍へと大きく転換しました。

20世紀後半になると、一部の国では徴兵制を廃止し、志願制の常備軍へ移行する動きも出てきます。技術集約的な現代戦では、高度な訓練を受けたプロフェッショナルな兵士が求められ、短期間の徴兵では対応しきれない分野も増えました。その一方で、「常備軍の存在が軍拡競争や軍事介入を容易にしてしまうのではないか」という批判や、「軍事費が社会福祉や教育への投資を圧迫している」という問題提起も強まっています。

このように、常備軍は中世末のヨーロッパで生まれた一つの軍制モデルでありながら、その後、国民国家・徴兵制・総力戦・軍縮といった近現代の大きなテーマと結びつきながら形を変えてきました。世界史で「常備軍」という用語に出会ったときには、「平時から維持される職業軍隊」という基本イメージに加えて、それが財政・官僚制・国民国家・戦争の性格とどのように関わってきたのかをセットで押さえておくと、歴史の流れがより立体的に見えてきます。