女性解放運動 – 世界史用語集

「女性解放運動」とは、社会の中で不利な立場に置かれてきた女性が、自分たちの権利と尊厳を求めて立ち上がり、法律・政治・経済・文化などさまざまな分野で変化を作り出そうとしてきた歴史的な動きの総称です。具体的には、参政権(選挙権・被選挙権)の要求、教育や職業の機会の拡大、家族法や結婚制度の改革、性に関するダブルスタンダードへの批判、家庭内暴力や性的暴力への問題提起など、幅広い課題が含まれます。国や地域によって状況は違いますが、「女性も人間として男性と同じように尊重されるべきだ」という根本的な主張が共通しています。

世界史の流れで見ると、近代ヨーロッパやアメリカで展開した「女性参政権運動」から始まり、20世紀半ば以降のフェミニズム(女性解放思想)の広がり、そして現在のジェンダー平等運動にまで連なっていきます。しばしば「第一波」「第二波」「第三波」といったかたちで区分されることもありますが、それぞれの時期に焦点となるテーマや担い手の姿は異なります。また、西欧だけでなく、アジア・アフリカ・ラテンアメリカなどでも、植民地支配や伝統的慣習と関わりながら、独自の女性解放運動が展開されてきました。

女性解放運動は、単に女性のためだけの運動ではなく、家族・労働・国家・宗教など、社会の根本的なあり方を問い直す運動でもあります。女性の生き方が変わるということは、同時に男性の生き方や家族のあり方も変わることにつながるからです。そのため、女性解放運動はしばしば激しい抵抗や議論を呼びながらも、長い時間をかけて社会を少しずつ動かしてきました。

以下では、まず近代以降の女性解放運動の大まかな歴史的展開をたどり、次に「第一波」と「第二波」を中心に、どのような要求が掲げられ、どのような変化が起こったのかを見ていきます。そのうえで、西欧以外の地域も含めたグローバルな広がりと、現代まで続く課題について考えていきます。

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近代における女性解放運動の出発点

女性解放運動の背景には、近代社会の成立が大きく関わっています。18〜19世紀のヨーロッパやアメリカでは、市民革命や産業革命が進み、「自由・平等・人権」といった理念が広く語られるようになりました。しかし、フランス革命やアメリカ独立宣言が掲げた「人権」は、実際には主に成人男性市民を対象としており、女性は政治参加や法律上の権利の面で依然として大きく制限されていました。

フランス革命期には、オランプ・ド・グージュが『女性および女性市民の権利宣言』を発表し、「女性は生まれながらにして自由で、男性と同じく権利において平等である」と主張しましたが、彼女自身はのちに処刑され、その主張も長く主流にはなりませんでした。多くの国で、女性は財産を自由に管理できず、結婚すると夫の「家」に属する存在とみなされ、教育や職業選択の自由も大きく制限されていました。

19世紀に入ると、産業革命の進展にともなって都市の工場やサービス業で働く女性が増え、同時に中産階級の家庭では「良妻賢母」的な役割が理想とされるようになります。ここから、「家庭に閉じ込められた女性」と「低賃金で搾取される働く女性」の二つの姿が見えてきます。これに対して、女性自身が「教育を受けたい」「自分の職業を持ちたい」「法律上の差別をなくしたい」と声をあげ始めました。

この時期の女性解放運動は、主に中産階級の女性知識人やキリスト教的な改革運動に関わる女性たちによって担われました。彼女たちは新聞や雑誌に文章を書き、読書会やサロンを開き、ときには署名運動や請願書を通じて、議会や政府に法律改正を求めていきます。ここでの中心的なスローガンは、「女性も人間であり、市民である以上、権利を認められるべきだ」というものです。

第一波女性解放運動―参政権と市民としての平等

19世紀後半から20世紀初頭にかけて展開した女性解放運動は、しばしば「第一波フェミニズム」と呼ばれます。この時期の中心的な要求は、政治的な市民権、とくに選挙権・被選挙権の獲得でした。イギリスやアメリカをはじめとする多くの国では、男性に比べて女性の政治参加が厳しく制限されており、女性は法律や税の負担を負いながらも、政治決定に関与できない状況に置かれていました。

イギリスでは、19世紀後半から「サフラジェット」と呼ばれる急進的な女性参政権運動家たちが活動し、デモ行進や演説会、時には投票所の妨害やハンガーストライキなども行いました。彼女たちは、しばしば警察に逮捕され、社会から激しい非難を浴びましたが、その行動は「女性も政治の主体であるべきだ」というメッセージを広く社会に知らしめることにつながりました。

アメリカでも、センカフォールズ会議(1848年)などを通じて女性の権利宣言が出され、19世紀末から20世紀初頭にかけて、州ごと・連邦レベルで女性参政権を求める運動が続きました。これらの運動は、禁酒運動や奴隷制廃止運動と連動することも多く、「道徳的改革」の担い手として、女性が社会問題に関わる道を切り開きました。

第一波の女性解放運動は、また教育と職業の機会拡大も求めました。女子高等教育機関の設立や、女性医師・教師・事務員などの職業の拡大は、「女性は家庭の中だけにいるべきだ」という考え方を少しずつ揺さぶりました。ただし、当初は中産階級・上層階級の白人女性が中心であり、労働者階級や有色人種の女性のニーズや経験が十分に反映されていなかったという限界もありました。

第一次世界大戦は、女性解放運動にとって一つの転機となりました。多くの男性が戦場に送られた結果、工場や看護・運輸・行政などさまざまな分野で女性が労働力として動員され、「女性も国家を支える重要な存在である」ことが可視化されたからです。戦後、多くの国で女性参政権が認められるようになったのは、この戦時動員の経験と、長年続けられてきた女性たちの運動が結びついた結果だと言えます。

この時期までの女性解放運動は、主に「法律や制度上の平等」を目指すものであり、「女性も男性と同様に市民として扱われるべきだ」という主張が中心でした。つまり、「男性と同じ権利を要求する」という意味での「平等」が強く意識されていたと言えます。

第二波女性解放運動―日常生活と意識の変革

20世紀半ば、第二次世界大戦後になると、女性の生活環境はさらに変化します。先進国では教育水準が上がり、家庭電化や大量消費社会の進展の中で、都市の中産階級女性の暮らしは一見すると豊かになりました。しかし同時に、「専業主婦」という役割に閉じ込められた女性の孤独や不満も、徐々に表面化していきました。こうした背景から、1960〜70年代にかけて、欧米を中心に新しいタイプの女性解放運動が広がります。これが「第二波フェミニズム」と呼ばれる動きです。

第二波女性解放運動は、単に法律上の平等を求めるだけでなく、「日常生活の中に埋め込まれた差別」や「性別役割の押しつけ」を批判しました。家庭内での家事・育児の不均等、職場での昇進差別、メディアにおける女性の描かれ方、性に関するダブルスタンダードなど、目に見えにくい形で女性を縛っている構造が問題視されるようになったのです。

この時期のスローガンとして有名なのが、「個人的なことは政治的なこと(The personal is political)」という言葉です。これは、「家庭内の問題」「結婚生活の悩み」「性に関する経験」といった、一見すると個人の私事に見える出来事が、実は社会全体の構造と深く結びついているのだ、という認識を示しています。たとえば、家庭内暴力や性被害が「恥ずかしいこと」「家庭の問題」として隠されてきたことに対して、それを公的な問題として告発し、法律や制度の改革を求める動きが広がりました。

第二波フェミニズムは、避妊技術の進歩や中絶をめぐる議論とも深く関わりました。女性が自分の身体と生殖に関する決定権を持てるかどうかは、人生の選択の自由に直結するからです。また、性役割に関する固定観念、たとえば「女性は優しく受動的、男性は強く能動的であるべき」といったステレオタイプへの批判も強まりました。性別に基づく暴力やハラスメントを可視化し、その加害構造を問い直すことも、第二波の重要なテーマの一つでした。

この時期の運動は、大学キャンパスや都市のコミュニティを拠点に、意識向上グループ(コンシャスネス・レイジング・グループ)や女性センターなどを通じて広がりました。女性たちは自分の経験を語り合い、それが自分固有の悩みではなく、多くの女性に共通する構造的な問題であることに気づいていきます。ここから、理論としてのフェミニズム(ジェンダー論)と、草の根の運動が互いに影響し合うダイナミックな展開が生まれました。

一方で、第二波フェミニズムは当初、白人中産階級の女性の経験に偏りがちであり、有色人種の女性や貧困層の女性の問題が十分に取り上げられていないという批判も出ました。これに対して、「人種」「階級」「性的指向」など複数の要素が絡み合う差別を考える視点――いわゆる交差性(インターセクショナリティ)の考え方が生まれていきます。このように、第二波は内部の議論と批判を通じて、多様な女性の経験に目を向けるきっかけともなりました。

グローバルな広がりと多様な女性解放運動

女性解放運動は、西欧や北米だけの現象ではありません。アジア・アフリカ・ラテンアメリカの多くの地域でも、植民地支配からの独立運動や、社会主義革命、国家建設の過程と結びつきながら、独自の女性運動が展開されました。そこでは、「女性としての権利」と「国民としての義務・解放」が同時に問われることが少なくありませんでした。

たとえば、植民地支配下の社会では、女性は民族解放運動の一員として活動することを求められ、教育を受けたり、政治活動に参加したりする機会を得る一方で、独立後には再び伝統的な性役割に押し戻される、といったことも起こりました。また、宗教や慣習法が強く影響する社会では、結婚・離婚・相続・服装などをめぐって、宗教的価値観と「普遍的人権」とのあいだで激しい議論が生じました。

社会主義国や革命運動の中では、「階級解放」と「女性解放」がセットで語られることもありました。女性の就労参加や教育機会の拡大は進んだものの、家事や育児の負担が女性に偏ったままであったり、政治指導部における女性の割合が低かったりといった問題も見られます。このように、イデオロギーとしては平等を掲げながらも、実際のジェンダー関係がどうだったのかは、国や時期によって大きく異なります。

20世紀後半から21世紀にかけて、国連や国際NGOが「女性の人権」や「ジェンダー平等」を重要なテーマとして取り上げるようになり、各国政府も女性政策や法改正を進めるようになりました。女子教育の普及、家族法の見直し、ドメスティック・バイオレンスや性犯罪に対する法整備、クオータ制(議会や政党における女性の一定割合確保)など、多くの国で具体的な政策が導入されています。

同時に、グローバル化の中で、「誰のための女性解放か」という問いもより複雑になっています。大都市のエリート層の女性が国際的な基準に沿った権利を享受する一方で、農村やインフォーマル経済の中で働く女性たちは依然として過酷な条件のもとに置かれていることも多いからです。また、宗教的価値観を尊重しつつ女性の権利をどこまで拡大できるのか、という点も多くの社会で議論の対象となっています。

現代の女性解放運動は、性的マイノリティの権利や、男性のジェンダー役割の見直しとも結びつき、「ジェンダー平等」というより広い枠組みの中で語られることが増えています。SNSやインターネットの普及により、性的暴力やハラスメントの告発が一気に世界に広がるようになったことも、新しい局面と言えるでしょう。

このように、「女性解放運動」という言葉の中には、19世紀の参政権運動から、20世紀のフェミニズム、21世紀のジェンダー平等運動まで、さまざまな時代と地域の経験が折り重なっています。一つひとつの国・地域の具体的な事例に目を向けながら、「女性がどのような条件のもとで、どのような形で自らの権利と生き方を切り開いてきたのか」をたどっていくことが、この用語をより深く理解することにつながります。