ソ連の第1次五カ年計画(1928〜1932年、実務上は1933年春までの調整期を含む)は、農業国だったソ連経済を短期間で重工業中心に転換し、自立的な軍事・産業基盤を築くことを狙った国家総動員の政策です。核心は、鉄鋼・石炭・電力・機械など基礎部門への集中的投資と、農村から余剰を吸い上げる強制的な仕組み(集団化・国家調達)を連動させる点にありました。都市ではマグニトゴルスク製鉄所、ドニエプル水力発電所、自動車工場(ゴーリキー、モスクワ)などの巨大事業が相次ぎ、統計上の生産は急増しましたが、農村では強制的な穀物徴発や富農(クラーク)排除、飢饉と暴力が広がりました。総じて、工業化の成功と社会的惨禍が同時進行した計画だったと理解すると全体像がつかみやすいです。
背景と狙い──NEPからの転換、国家計画の導入
第1次五カ年計画は、内戦後の市場併用政策NEP(ネップ)からの決別として登場しました。1920年代半ば、ソ連は穀物輸出に依存し、機械や設備の多くを輸入に頼っていました。周囲の資本主義国と対峙する現実を前に、指導部は短期での重工業化と電化を決断し、ゴスプラン(国家計画委員会)が物量バランス方式で数値目標を作成しました。スターリンはこれを「大転換」と呼び、穏健な漸進論を退けて急進路線に舵を切ります。計画は当初案より繰り返し上方修正され、達成が困難でも「突撃(ウダル)」で押し切る文化が広まりました。
計画の基本論理は明快でした。第一に、軍事・国家安全保障の観点から基礎産業を優先することです。第二に、農業余剰を都市へ移し替えることで資本形成を行うことです。第三に、価格・賃金・資材配分を国家が統制し、投資を望む部門へ集中させることです。このため、消費財や農村生活は後回しになり、都市労働者や農民には供給不足と配給制が常態化しました。
制度と運用──ノルマ・突撃運動・技術導入
ゴスプランが策定した総枠は、人民委員部(省庁)・総局(トラスト)・工場へと割り付けられ、各現場は「ノルマ(基準)」の達成で評価されました。達成を競う「社会主義的競争」や突撃旅団(ウダルニキ)が組織され、のちのスタハノフ運動の前段となります。数字はしばしば政治的に引き上げられ、現場は資材・人手・運輸力の不足をやり繰りするため、品質低下や隠し在庫、統計の粉飾に走る圧力に晒されました。
一方で、技術・設計の国際調達は現実的に行われました。アメリカやドイツの企業・技師が請負契約や設計提供で参加し、工作機械・自動車・トラクター・化学設備などの導入が進みます。国内では技術者・管理者の養成が急がれ、高等教育や工場内学校での訓練が拡充しましたが、短期の技能育成には限界があり、事故・故障・歩留まりの悪さが慢性化しました。
巨大プロジェクトと都市の変貌──鉄・電力・機械の三本柱
象徴的事業として、ウラル・クズバス連携(鉄鋼・石炭の結び付け)、マグニトゴルスク製鉄所(ウラル南部の一大製鉄拠点)、ドニエプル水力発電所(DniproHES、当時世界最大級のダム発電)、ハリコフ・スターリングラード・チェリャビンスクなどのトラクター・機械工場群、モスクワ・ゴーリキー(ニジニイ・ノヴゴロド)の自動車工場が挙げられます。鉄鋼・電力・機械の生産指数はいずれも数倍化し、重工業都市の人口は急増しました。鉄道・運河・港湾の能力も拡張され、工業化の骨格が形成されます。
急速な都市化は住宅・衛生・食料供給の逼迫を招き、バラック・共同宿舎・食堂の整備が追いつかないまま、配給と行列が日常化しました。文化・宣伝面では、建設現場や工場が「社会主義文明の前線」として描かれ、映画やポスターがヒロイズムを鼓舞しました。労働規律の強化や「サボタージュ」への厳罰が導入され、遅刻・欠勤への処罰、身分証・労働手帳の管理が強まりました。
農業集団化と農村の危機──クラーク排除と飢饉
工業化と並走したのが農業の集団化です。個別農家をコルホーズ(集団農場)またはソフホーズ(国営農場)に統合し、機械化・大規模化で生産性を高めるという建前でしたが、実際には穀物国家調達の確実化と農村統制の強化が主眼でした。富農(クラーク)は階級敵とされ、資産没収・追放(シベリア等)・逮捕が大規模に実施されました。抵抗としては家畜の屠殺・作付け放棄・逃散が発生し、農業生産は短期的に大きく落ち込みます。
1932〜33年にはウクライナ・北カフカース・ボルガ流域などで飢饉が発生し、多数の死者が出ました。原因には、過酷な国家調達、輸送遅延、天候不順、疫病、集団化の混乱と管理不全が重なっています。穀物の輸出や都市への優先配給が続いたため、農村の飢餓は深刻化しました。国家は農村から都市へ人的資源・食料を移すことに成功した一方、その代償はきわめて大きかったと言えます。
成果と歪み──生産の伸長、品質と生活の犠牲
重工業の量的伸長は疑いなく、鉄鋼・石炭・電力・機械の生産は計画期間で倍増・数倍増を遂げました。機械製造の国産化が進み、軍需基盤の萌芽が形成され、のちの戦時動員(独ソ戦)に耐えうる枠組みの下地が整います。他方で、品質は長く未熟で、故障率・耐久性・規格の不統一が課題でした。消費財・食料・住宅は慢性的に不足し、労働者・農民の生活水準は押し下げられました。統計は政治的に操作される余地が大きく、達成率が過大に示される傾向があったことも留意点です。
財政・金融面では、国家投資の比重が極めて高まり、価格体系は行政的に設定されました。外貨獲得のための輸出強化と金・美術品の売却、外国技師への報酬支払いなど、国際市場との接点は途切れませんでした。賃金は名目上上昇しても物不足で実質は伸び悩み、配給・現物サービスが重要な生活の柱になりました。
社会と政治──統制・宣伝・専門家の位置
急進的変化は社会関係を再編しました。技術者・管理者・エンジニアは不可欠のエリートとして再評価され、専門教育の拡大が推進されますが、一方で「階級出自」の監視と政治忠誠が人事評価に介入しました。工場では労働規律の厳格化、刑罰による統制、移動の制限が強まり、職場は政治教育と動員の場にもなりました。文化的には、労働英雄の称号、建設叙事詩、工場新聞などが日常を彩り、社会主義的競争が規範化されました。
政治的には、計画の成功物語が党の正統性を支える一方、破壊・遅延・事故は「サボタージュ」「反革命」として処罰されやすく、治安機関の権限が拡大しました。地方の党・行政は上からの数値圧力と下からの資材不足の板挟みとなり、虚偽報告や過剰な強権的執行に流れる構造が生じました。
国際比較と位置づけ──遅れた工業化の特殊解
第1次五カ年計画は、国家主導の後発工業化(ドイツのビスマルク期、日本の明治・昭和初期の重化学工業化など)と比較されます。共通項は、軍事安全保障の圧力、基礎産業への集中投資、農村から都市への資源移転です。ソ連の特殊性は、党国家による価格・人事・移動の全面統制と、集団化という急進的農村改造にありました。計画はのちの社会主義諸国・開発独裁にモデルを与え、「計画目標」「ノルマ」「動員文化」という語彙は国際的に流通します。
評価と影響──「土台を作った五年」と「破壊を伴った五年」
歴史的評価は二極性を帯びます。肯定面では、重工業・電力・機械の国産化が短期で進み、第二次世界大戦におけるソ連の軍事生産能力の前提が作られた点が指摘されます。否定面では、農村の破壊、飢饉、暴力的統制、消費の抑圧、統計の不透明性が批判されます。いずれにせよ、第1次五カ年計画は20世紀型の「国家による社会の全面動員」の典型であり、その効率とコスト、倫理の問題を考える重要な事例です。
主要トピックの整理(用語ガイド)
ゴスプラン:国家計画委員会。物量バランスで投入・産出を整合させ、数値目標を作成しました。
ノルマ/社会主義的競争:工場・建設現場での達成基準と競争制度で、突撃旅団や表彰制度と結びつきました。
コルホーズ/ソフホーズ:集団農場/国営農場。国家調達と機械化の単位であり、農村統制装置として機能しました。
クラーク排除:富農層の資産没収・追放などの弾圧政策で、農村社会を大きく破壊しました。
巨大プロジェクト:マグニトゴルスク、DniproHES、自動車・トラクター工場群など、目に見える「ショーケース」です。
配給制:慢性的物不足のもとで導入され、都市住民の生活を支えつつ自由な消費を制約しました。
小括──何が残り、何が失われたのか
第1次五カ年計画が残したものは、国土に散在する工業拠点・電力網・教育・研究の基盤であり、のちのソ連の軍工業を支える骨格でした。失われたものは、農村の自律と人命、生活の多様性、統計と議論の自由でした。短期の成果を重視する政治と、現場の適応力・倫理の摩擦は、以後の五カ年計画にも尾を引きます。計画を素材に学ぶべきことは、数字の達成と社会の持続可能性の両立がいかに困難かという事実であり、制度設計の細部が生活の厚みに直結するという教訓です。

