アラム語は、アフロ・アジア語族セム語派に属する言語群で、古代オリエントから現代まで連続的に用いられてきた長寿の言語です。起源はシリア内陸から上メソポタミア一帯に居住したアラム人にさかのぼり、前1千年紀の半ば以降にはアケメネス朝の行政用語として採用されて、西アジア広域の共通語(リンガ・フランカ)となりました。古代イスラエル・ユダの亡国とバビロン捕囚をへて、ユダヤ人社会にも深く浸透し、後代の宗教文献・法学・商業書式に大きな影響を与えました。
中世に入ると、アラム語はキリスト教世界で「シリア語(古典シリア語)」として高度な文献文化を築き、詩人エフレムらの神学や翻訳運動を通じてギリシア語の学知をアラビア語・ペルシア語圏へ橋渡ししました。他方でユダヤ教伝統では、タルムードやタルグーム(聖書アラム語訳)が整備され、マンダ教やサマリア人共同体にも独自のアラム語文献が蓄積されます。近代に至るまで、アラム語は宗教言語として生命力を保ち、同時に各地で口語としても多様な方言(新アラム語)に分岐しました。
今日、アラム語の話者はイラク北部、シリア、トルコ南東部、イラン西部などに点在し、ディアスポラを含む共同体が宗教儀礼や日常語の一部として伝承しています。紛争や移住の影響で多くの方言が危機にさらされていますが、教育・デジタル化・教会とコミュニティの連携によって保存の試みが続いています。本項では、成立と拡散、文字と文法・言語接触、宗教・文献と歴史的役割、近現代の状況と遺産を整理します。
成立と拡散:古代オリエントの共通語から地域文語へ
アラム語の最古層は、前11~8世紀頃の碑文・記録に見られる「古アラム語」です。ダマスカスやザッハラ、テル・ファッハリエなどの碑文は、在地のアラム人王国が独自の政治文化と書記伝統をもっていたことを伝えます。前8世紀以降、アッシリア帝国の拡大に伴い、アラム人は徴発・移住・行政の担い手として帝国各地に配置され、アラム語は実務上の便利さから広域に普及しました。
決定的だったのは、前6世紀後半に成立したアケメネス朝がアラム語を帝国の標準行政語(いわゆる「帝国アラム語」)として採用したことです。粘土板やパピルスに楔形文字より扱いやすいアルファベット的書記が適していたためで、エジプトのエレファンティネ文書をはじめ、イラン・レヴァント・小アジアに至るまでアラム語の行政文書が出現します。これにより、アラム語は地理・民族を越える〈実務のことば〉としての地位を確立しました。
ヘレニズム期以降、コイネー・ギリシア語が都市文化の支配的共通語となる一方で、アラム語は内陸の交易・法務・宗教教育などで根強く使用され続けました。ローマとパルティア/サーサーン朝のにらみ合いの中でも、パルミラやハトラ、ナバテアの都市からは独自のアラム系書体で刻まれた碑文が出土し、地域文語としての多様化が進みます。
この流れの中から、後に大きな文化的役割を果たす諸変種が育ちました。第一に、ユダヤ社会の「ユダヤ・アラム語」で、タルグーム(聖書翻訳)やタルムード(バビロニア版・エルサレム版)の主たる言語です。第二に、キリスト教世界の「シリア語(古典シリア語)」で、エデッサ(現ウルファ)周辺を中心に文芸・神学・翻訳の豊かな伝統が形成されました。第三に、マンダ教の宗教文献に用いられる「マンダ語」や、サマリア人のアラム語など、宗教共同体ごとの文語が整備されます。
文字と文法・言語接触:書記体系の多様化とセム語としての骨格
アラム語の書記は右から左へ書くアブジャド(子音主導の文字体系)です。古アラム文字はフェニキア文字に近く、やがて字形が丸みを帯び、地域ごとの分岐が生まれました。バビロン捕囚を経たユダヤ社会ではアラム文字が聖書写本の標準となり、今日「ヘブライ語の四角文字」と呼ばれる字形の祖となりました。ナバテア系のアラム文字は筆写体化が進み、のちのアラビア文字の起源の一つと見なされます。イランではアラム文字を基にした表音・表語混在のパフラヴィー文字がサーサーン朝期の公用書記となり、アラム語の語形が決まり文句として残りました(フラザイ語のヘテログラフ現象)。
キリスト教世界のシリア語では、古いエストランゲラ体、東方教会系のマドンハヤ体(東シリア体)、西方教会系のセルト体が整い、のちに母音記号による発音の精密表記が発達しました。マンダ語やサマリア・アラム語も独自の文字体系を持ち、書体の多様性はアラム語の広域性と共同体の自律性を映し出しています。
文法の骨格はセム語派に共通する要素をもちます。語根(多くは三子音)に派生パターンを当てて語彙を作る仕組み、接頭・接尾を用いた動詞のアスペクト体系(完了/未完了)、人称・性・数の一致、名詞の状態(絶対・連接〈構文〉・定〈強意〉)などが基礎です。例えば古典アラム語の定(強意)状態は語尾 -ā/-ā’ で示され、所有や目的語は接尾代名詞で標示します。語順はVSOが基本ですが柔軟で、前置詞と接尾代名詞の結合(bēt-eh「彼の家」)などが広く見られます。シリア語では、動詞の語幹に Peal(基本)、Pael(強意)、Aphel(使役)などの系列が区別され、文体や派生に豊かな表現可能性を与えました。
言語接触の面では、アラム語はギリシア語・ペルシア語・アラビア語などと相互に影響し合いました。ユダヤ・アラム語からはヘブライ語への借用が多数あり、アラム語自身もイラン系語やギリシア語の語彙を取り込みます。キリスト教文献のシリア語はギリシア語の神学・哲学用語を大量に翻訳・音写し、その後のアラビア語翻訳運動の基礎語彙の整備に貢献しました。新約聖書の地平では、イエスが日常言語としてアラム語を用いたと考えられ、その痕跡とされる語句(タリタ・クミ、エロイ/エリ・エリ・ラマ・サバクタニ等)が伝わっています。
宗教・文学と資料:タルムード、シリア語文学、翻訳運動
ユダヤ教伝統でのアラム語は、宗教教育と法学の中核を担いました。ヘブライ語聖書の逐語訳・注解を兼ねるタルグーム(オンクロス、ヨナタンなど)は会堂での朗読・教授を支え、タルムード(特にバビロニア・タルムード)はアラム語を主言語として法議論・日常生活の規範を体系化しました。これによりアラム語は宗教実務の高度な抽象性を表現する器として練り上げられます。
キリスト教世界では、シリア語が豊饒な文芸言語へ発展しました。詩人・神学者エフレムやナザレのイショヤブ、セルジューク期のバル=ヘブライウスらは、説教詩や神学書、年代記を著し、翻訳事業はアレクサンドリア学派やアンティオキア学派のギリシア語文献を吸収しました。標準訳聖書「ペシッタ(Peshitta)」は広域教会の基盤となり、修道院・学院(ベイト・マドラシャ)が教育と写本制作の中核を担いました。
アッバース朝期の翻訳運動では、シリア語文献がアラビア語翻訳の中間段階を務め、医学・哲学・天文学・数学の専門語彙と概念枠組みを供給しました。こうしてアラム語は、ギリシア古典とイスラーム科学文明を媒介する知的回路の必須部分を構成します。マンダ教の『ギンザ』やサマリア五書の周辺文献も、宗教的多様性とアラム語の包容力を物語っています。
近現代の状況と遺産:新アラム語、危機と保存、用語上の注意
19~20世紀、民族国家化と社会変動の中でアラム語話者は周縁化し、多くの共同体が移住・難民化を経験しました。現在、口語の「新アラム語」は大きく東方群(アッシリア新アラム語、カルデア新アラム語、ヘルウェネ、ウルミア周辺など)、西方群(トゥロヨ/スライート=トゥル・アブディン地域)と、きわめて限られた西新アラム語(シリアのマアルーラ、バハア、ジュバアディーン)に分かれて存続しています。宗派としては東方教会(アッシリア東方教会、カルデア・カトリック等)、西方系(シリア正教会、マロン派等)、マンダ教などがアラム語の典礼と教育を維持しています。
危機と保存の局面では、学校教育・教会学校・文字コード(Unicode)対応・デジタル聖典・辞典・音声資料の作成が鍵となっています。ディアスポラ(米欧豪)では、週末学校やオンライン講座、メディア(衛星放送・YouTube)によって言語継承の試みが進み、地域でも大学や研究所が写本デジタル化、方言記述、地名・口承の採録に取り組んでいます。アラム語の可視性は、宗教遺産・文化観光・博物館活動とも連動し、地域の多言語的歴史を示す教育資源になっています。
用語上の注意として、アラム語(Aramaic)はアラビア語(Arabic)とは別個の言語群であり、名称が似ているために混同が起きやすい点に気をつけます。また、「シリア語(Syriac)」は古典アラム語の一文語で、現代国家としての「シリア語(Arabic in Syria)」とは別概念です。民族名称の「アラム人(Arameans)」と「アルメニア人(Armenians)」も語形が近く混同されがちですが、言語系統・歴史はいずれも異なります。
総括すると、アラム語は古代オリエントの実務言語から宗教文語、近代の口語方言へと姿を変えながら、西アジアの知と信仰の回路を二千年以上にわたって支えてきた言語です。書体の多様化(ヘブライ文字・シリア文字・ナバテア~アラビア文字・パフラヴィー文字)に見られる波及力、法学・神学・科学翻訳を通じた知的媒介としての働き、そして現代における継承と保存の努力は、アラム語の意義を現在形で問い直す材料を提供します。世界史の学習では、①アケメネス朝の「帝国アラム語」、②タルムードとタルグーム、③シリア語文学と翻訳運動、④新アラム語の現況という四本柱を押さえることで、アラム語の全体像を的確に説明できるはずです。

