移民(アメリカ) – 世界史用語集

アメリカの移民は、「外から来た人が国をつくる」ことを最もはっきり示す歴史です。入植の時代から今日まで、飢饉や貧困、自由と仕事への期待、戦争や迫害からの避難といった理由で人びとが海や陸を越え、都市・農場・鉱山・工場・研究所に根を下ろしてきました。移民はアメリカの人口と労働市場を拡大させ、音楽や食、言語や宗教の多様性を生み、同時に排外主義や差別、国境管理と市民権をめぐる激しい論争も生みました。歴史を一望すると、移民の波は何度も形を変え、法制度も揺れ動きます。19世紀のヨーロッパ系大量移民、20世紀のアジア・中南米からの新たな流入、そして難民保護や非正規滞在をめぐる現代の課題まで、「誰を、どのような条件で、どれだけ受け入れるのか」という問いは、常にアメリカの政治と社会の核心にあり続けてきたのです。

スポンサーリンク

移民の波と時代区分――入植・自由移民・制限・再開・グローバル化

アメリカの移民史は、大づかみに五つの段階で捉えると整理しやすいです。第一は植民・入植の段階です。17〜18世紀、イギリス諸島やドイツ・オランダなどからの入植者が大西洋岸に新天地をひらきました。同時に、アフリカからの強制移送による奴隷貿易という「非自発的移動」が大陸の人口構成を決定づけました。ここでの移動は今日の「移民」という語の自発性から外れますが、労働力と人種秩序の起点として無視できません。

第二は19世紀半ばから世紀末にかけての大量移民期です。アイルランドのジャガイモ飢饉に逃れてきた人びと、ドイツの農村や都市の困窮から出た人びとが流入し、のちには南・東欧(イタリア、ポーランド、ロシア帝国内のユダヤ系など)から「新移民」が続きました。ニューヨーク湾のエリス島は、医療検査と審査を経て数百万人が上陸した象徴的な玄関口です。西側では中国人労働者が鉄道建設や鉱山で働き、サンフランシスコ湾のエンジェル島がアジア系移民の管理拠点となりました。

第三は制限の時代です。アジア系を標的にした中国人排斥法(1882)や日米間の紳士協定(1907)を皮切りに、第一次世界大戦後の緊張の中で緊急割当法(1921)と移民法(1924、いわゆるジョンソン=リード法)が制定され、国籍別の「国別割当(ナショナル・オリジンズ)」で北西欧を優遇し、南・東欧やアジアを厳しく制限しました。沿岸の検査から内地の書類審査へと管理は移り、連邦国境警備隊の創設(1924)で陸上国境の取り締まりも強化されます。メキシコからの労働移動は季節的に続きますが、記録されない越境も増え、のちの不法就労問題の素地がつくられました。

第四は再開と規範の組み直しです。第二次世界大戦後、戦争花嫁法や一時的な軍属関連措置、農業労働力を補うブレーサロ(メキシコ人契約労働者)制度(1942–64)などが運用される一方、1952年の移民・国籍法(マッカラン=ウォルター法)が差別的規定を部分的に維持しました。決定的な転機は1965年のハート=セラー法で、国別割当を廃止し、家族再会と技能を柱にした新しい枠組みに再設計されます。これにより、アジア・中南米・アフリカからの移民が本格化し、アメリカ社会の民族構成は大きく変化しました。1980年の難民法は、迫害から逃れる人を国際基準に沿って受け入れる制度を整え、キューバ、東南アジア、中東・アフリカなどからの難民定住が進みます。

第五はグローバル化と制度調整の時代です。1986年の移民改革統制法(IRCA)は、長期不法滞在者の大規模な合法化と、雇用主への制裁(雇用資格確認)をセットで導入しました。1990年法は受け入れ枠の増加と多様化抽選(ダイバーシティ・ビザ)を創設し、1996年の不法移民改革・移民責任法(IIRIRA)は入管執行と退去強制の手続きを厳格化しました。21世紀に入ると、国境警備、ビザ審査、テロ対策、庇護審査が複雑に絡み合い、未成年者や家族の保護、DACA(幼少期に移住した若者の一時的措置)などをめぐって政治対立が続きます。制度の細部は揺れ動きつつも、家族・雇用・人道・抽選という四本柱の基本形は維持され、地域や時代の事情に応じて運用が変わるのが現状です。

法制度と受入の仕組み――家族・雇用・難民・抽選、国籍と市民権、国境管理

現行の枠組みは大きく四つのチャンネルで構成されています。第一は家族同伴(家族再会)で、米国市民や永住者の配偶者・未成年の子・親などの近親を優先し、兄弟姉妹などは国別上限の中で順番を待ちます。第二は雇用で、博士人材や卓越能力者から専門職、投資家、宗教職など、職種と技能に応じた優先順位が設計されています。非移民ビザ(H-1Bなど)から永住へ移行するケースも多く、大学や企業の採用と移民政策が密接に結びついています。第三は難民・庇護で、国外で選定される難民定住と、米国内・国境での庇護申請の二本立てです。第四は多様性ビザ(抽選)で、近年の移民送出が少ない国に配分され、出身の多様化を図ります。

国籍と市民権の面では、出生地主義(合衆国領内で生まれた者に原則として市民権)が憲法修正第14条で定まっています。市民権の取得(帰化)は、一定年数の永住、善行、英語・市民科目の試験などを要件とします。出生地主義は移民の子ども世代の統合を促す一方、政治的論争の対象にもなってきました。

国境管理は連邦の権限で、沿岸・空港・陸上国境での審査、ビザ発給の審査、入国後の在留管理、退去強制手続きなどが一体で運用されます。陸上南部国境では、季節労働や家族帯同の庇護申請者の流入が集中し、拘束・審査・仮放免の運用、収容施設の条件、未成年者の保護などが常に課題です。州や都市は「連帯都市」の方針や、身分証・教育・医療アクセスの確保など、ローカルな統合政策を工夫してきました。連邦・州・地方の役割分担と政治姿勢の違いが、現場の運用に大きく影響するのがアメリカの特徴です。

歴史法制のポイントとして、アジア系への排除(中国人排斥法)、国別割当(1924法)、戦時の日本人・日系人収容、メキシコ人労働者のブレーサロ制度、IRCAの合法化と雇用主制裁、IIRIRAの強化、DACAなどを抑えておくと、現在の議論が過去とどうつながるかが見えてきます。制度は理念(自由・平等・人道)と現実(労働需要・安全保障・世論)の綱引きの中で形成され、修正を繰り返してきました。

社会・経済・文化への影響――都市と産業、政治と排外、同化と多文化

移民はアメリカの都市化と産業化を駆動しました。19世紀の港湾都市(ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィア、ニューオーリンズ)や中西部の工業都市(シカゴ、デトロイト、クリーブランド)は、移民労働とともに膨張し、労働組合や相互扶助団体、教会・シナゴーグ・寺院がコミュニティの核となりました。都市政治では、タマニー・ホールに代表される政党機構が移民に仕事と保護を提供し、票と支持を組織した時期もあります。西海岸の都市はアジア太平洋圏との貿易・移民で成長し、農業地帯ではメキシコ系やアジア系の季節労働者が収穫を支えました。

経済的には、移民は補完的な技能をもたらし、製造業・建設・農業・サービス・IT・医療・大学など幅広い分野で生産性に寄与してきました。起業率が高い集団も多く、シリコンバレーのスタートアップからダウンタウンの小売・飲食まで、移民の企業が雇用を生みます。人口動態の面では、少子高齢化が進む中で移民とその子孫が労働力と納税人口を下支えし、同時に学校や医療、住宅市場に新しい需要を生みます。送金は中南米・アジア・アフリカの家計を支え、逆に本国の政治や経済に影響を及ぼすこともあります。

文化面では、言語・宗教・食・音楽・スポーツにわたる多層の融合が起こりました。ユダヤ系や東欧系の移民は舞台芸術や映画産業に、イタリア系は料理文化に、アイルランド系は警察・消防・労組に、アフリカ系ディアスポラは音楽に、アジア系はテクノロジーや医療・学術に、ラテン系は広大な市場の消費文化と政治動員に、それぞれ顕著な足跡を残しています。第二・第三世代は、英語を基軸に多言語・多文化のアイデンティティを形づくり、母語・宗教・家族ネットワークを通じて越境的に生きる術を身につけています。

同時に、排外・差別・暴力の歴史も忘れられません。19世紀のネイティヴィズム(アメリカ党=ノウ・ナッシング)や移民制限同盟、20世紀のクー・クラックス・クランの復活、赤狩りの風潮、アジア系やカトリックに対する偏見、ヘイトクライム、職場や住宅での見えない壁は、時代ごとに姿を変えて現れました。アメリカは公民権と機会均等を掲げつつ、現場ではジャスティス(法の下の平等)とローカルな慣行の間で摩擦が続いてきた社会でもあります。学校では多言語教育や英語学習の支援、医療では通訳・文化調整、地域では警察・宗教施設・NPOの連携が、統合の具体的手段として積み重ねられてきました。

「同化(アメリカナイゼーション)」と「多文化主義」をめぐる揺れも大きなテーマです。20世紀前半には同化主義が力を持ち、戦後には公民権運動を経て多文化主義が台頭しました。現在は、市民的統合(言語・市民教育・投票参加・法の順守)を基盤にしつつ、文化的多様性を認める折衷が主流といえます。教育・メディア・ポップカルチャーは、分断と連帯の両方を同時に増幅しうる領域であり、「物語の作り方」が社会の空気を左右します。

現代の論点と用語の整理――非正規状態、DACA、庇護、地方の役割、測り方

現代の議題で最も複雑なのは、非正規状態(いわゆる「不法滞在」)の扱いです。入国・在留のルール違反は違法である一方、長期滞在して家族・職場・地域に根を下ろした人びとが大量に存在し、強制送還か合法化か、資格の階段をどう設けるかが政治的に割れます。DACAは幼少期に入国した若者に一時的な就労・滞在の保護を与える措置で、恒久的地位への道がないことが問題とされてきました。農業・建設・外食・ケアなどの基幹産業は、非正規を含む移民労働に構造的に依存している側面があり、労働法の適用・最低賃金の確保・搾取の防止は、治安と人権の双方から重要です。

庇護・難民をめぐっては、国際法上の定義(迫害の恐れ)に照らした審査の厳密さと、家族・子どもの人道的保護の両立が課題です。審査の遅延、収容の条件、弁護アクセス、越境移動の組織犯罪対策など、運用上の問題は多岐にわたります。パンデミック期の公衆衛生措置と国境運用の関係、家族分離の是非など、政策はしばしば短期間で変わり、現場の混乱と政治的分極化を招きます。

地方の役割も見逃せません。労働需要が高い地方都市や農村が移民受入の新しいフロンティアとなり、人口減少と産業維持の鍵を握る例が増えました。自治体は言語教室、保健、学校、住居の整備、地域警察との信頼醸成など、細やかな統合施策で持続性を模索しています。ディアスポラは企業誘致や国際交流、災害時の支援にも貢献し、移民は単なる労働力ではなく、市民として地域を再生する担い手でもあります。

最後に「測り方」です。総移民数、出生地別人口、世代別(第一世代・第二世代)の教育・所得・公民権参加、産業別就業、地域別分布、送金、起業率、特許や研究成果への寄与など、移民の影響は多角的に計測されます。数字は時代と景気で大きく動くため、単年の印象で判断せず、長期のトレンドと地域差を意識する姿勢が大切です。移民は「問題」か「資源」かという二分法ではなく、制度設計と社会の受け止め方によって結果が変わる現象である――この現実的な理解が、歴史と現在をつなぐ鍵になります。