インド連邦とは、1947年の分割独立以降にインドが採用した国家の枠組みを指す用語で、暫定的な「ドミニオン(自治領)としてのインド連邦(Union of India)」から、1950年の憲法施行後に確立した「連邦共和国(Republic of India)」までを含む概念として用いられます。基本の考え方は、広大で多言語・多宗教の社会を、中央(Union)と州(States)、および連邦直轄領(Union Territories, 旧中央直轄領)の重層構造で統治することにあります。直轄州と約560の藩王国から成る「英領インド」の遺制を引き継ぎながら、段階的に藩王国を編入・統合し、言語・行政・財政の制度化を進めていったのがインド連邦の核心でした。本稿では、名称と成立経緯、ドミニオン期から共和国への移行、憲法が定める連邦制の仕組み、藩王国編入と州境再編、財政・司法・非常権限のデザイン、言語政策と地方自治という観点から、用語理解に必要なポイントを整理します。
名称と成立経緯:ドミニオンの「Union」から共和国の「連邦」へ
1947年8月、英議会のインド独立法により、英領インドはインド連邦とパキスタンに分割され、いずれもドミニオン(英連邦王国の一員)として出発しました。このときインド側の公的呼称は「Union of India(インド連邦/インド連合)」で、元首は国王を代表する総督、立法と政府の中核は制憲議会兼暫定議会と内閣でした。インド連邦は、英領直轄領の大半に、帰属文書(Instrument of Accession)に署名した藩王国を加えた「連接体」として成立し、外交・防衛・通信などの主権機能を中央が担い、旧来の行政法規は1935年統治法を読み替えつつ暫定的に継承されました。
1950年1月26日に新憲法が施行されると、国家は「ソブリンな連邦共和国(Sovereign Democratic Republic)」へ移行し、国王に代わって大統領が元首となります。以後、Union of India という語は「連邦政府(Union)」と「連邦領土(Union Territories)」を指す法的語として定着し、国制としての「インド連邦」は、共和国の恒久的構造—中央と州の権限分配・財政連邦主義・司法の独立—を指す用語になりました。
憲法が定める連邦制:中央・州・直轄領の三層と権限分配
インド憲法は、一見すると「連邦(federal)」と「単一国家(unitary)」の性格を併せ持つ設計です。中央と州の権限分配は、第七附表(Seventh Schedule)の三つのリスト—〈連邦リスト(Union List)〉〈州リスト(State List)〉〈併存リスト(Concurrent List)—によって明確化されます。連邦リストには外交・防衛・通貨・関税・航空・鉄道・原子力など国家主権の中枢が並び、州リストには警察・公秩序・地方行政・農業・保健・州内商業などが配置されます。併存リストには教育・労働・婚姻・破産・森林などが入り、連邦法と州法が抵触する場合は原則として連邦法が優越します。
行政面では、中央に首相と閣僚から成る連邦内閣、各州に州首相と閣僚から成る州内閣が置かれ、州ごとに大統領の任命する知事(Governor)がいます。知事は儀礼的元首としての役割に加え、特定状況では憲法上の裁量を持ちます。連邦直轄領(Union Territories)は、規模や沿革に応じて連邦直轄の行政長官の下に置かれるものから、独自の立法議会・政府を持つ「準州」型(デリー、プドゥチェリーなど)まで多様です。
司法は、最高裁判所(Supreme Court)を頂点に、各州の高等法院(High Courts)と下級裁判所が連なる階層をとり、連邦—州・基本権—政策指針・立法の合憲性審査などについて最終判断を下す権能を備えます。最高裁は〈基本構造(basic structure)〉という判例理論を通じ、憲法改正にも越えられない原理(司法の独立・連邦制の骨格・基本権の本質など)があると宣言し、連邦制の守護者としての役割を強めてきました。
藩王国の編入と州境再編:モザイクから地図の再設計へ
インド連邦の初期課題は、藩王国を国家の枠に「無理なく」組み込むことでした。独立直後、多くの藩王は帰属文書に署名してインド連邦への参加を表明し、外交・防衛・通信の三分野を中央に委ねました。そののち、小藩の連合や大藩の州昇格を通じて、連邦内の行政単位として再編が進みます。たとえばラージプートゥァーナ連合、サウラシュトラ連合、トラヴァンコール=コーチン連合などの「藩王連合州」は、後により大きな州へ統合されました。ジュナーガドやハイダラーバードの事例では、住民投票や警察行動(治安出動)を伴う複雑な交渉が必要でした。
次の大転換が、言語に基づく州境再編です。独立直後から、行政単位を歴史や藩王の境界ではなく、住民の言語共同体に合わせるべきだという主張が高まり、1950年代に相次ぐ州分割・統合の動きが起こりました。決定的だったのは、1956年の「州再編法(States Reorganisation Act)」で、言語境界に沿った大規模な地図の描き替えが実施され、マドラスからアーンドラ・プラデーシュ、ボンベイからマハーラーシュトラとグジャラート、トラヴァンコール=コーチンとマラバールからケーララなど、現在の骨格の多くが整えられました。以後も、ヒマーチャル、ハリヤーナ、ナガランド、メーガーラヤ、ミゾラム、ウッタラーカンド、チャッティースガル、ジャールカンド、テランガーナなどの新設・分離が重ねられ、連邦は「可塑的に調整される地図」という性格を保ってきました。
財政と計画:連邦財政主義、財政委員会、資源配分
広域の連邦を動かすには、税源の分配と移転の仕組みが不可欠です。憲法は、関税・法人税・所得税・物品税など主要税目を連邦に、土地収用・印紙・州内売上税(のちの消費税体制では調整)などを州に配分し、〈共有税〉の分与や補助金で縦の不均衡を調整する設計を採用しました。これを定期的に見直し、各州の人口・所得・徴収能力・財政努力などに基づいて配分式を提案するのが〈財政委員会(Finance Commission)〉です。財政委員会はおおむね5年ごとに設置され、連邦—州の財政関係を制度的に再調整します。
独立後の長期にわたり、連邦政府は計画委員会や中央資金(後年は各種補助金と計画枠)を通じて、インフラ・灌漑・教育・保健・産業政策をリードしました。貧困や人口の偏在、地理的制約を抱える州に対しては、特別支援や後発地域への傾斜配分が行われ、連邦は「統合と均衡」の両立を目指す再分配装置として働いてきました。税制や連邦消費税(GST)への移行に伴い、連邦—州の財源と裁量の再調整が続けられている点も、インド連邦のダイナミズムを物語ります。
非常権限と安全弁:単一国家的に「引き締める」仕組み
インド連邦の設計には、危機や統治の破綻に備えた「単一国家的」安全弁がいくつか組み込まれています。最も知られるのが、〈州非常統治(President’s Rule)〉の制度で、州政府が憲政を維持できないと判断される場合、知事の報告と連邦内閣の助言に基づいて大統領が州議会を停止・解散し、連邦が直接統治を行うことができます。財政非常事態や国家非常事態の宣言条項もあり、戦争・外敵侵入・内乱に準じる重大事態では、連邦が州リストの領域にも立法・行政権限を及ぼしうる構造です。
これらの非常権限は、統一の維持や治安対処、自然災害・パンデミックなどで有効に機能する一方、政治的に恣意的な適用が州の自治を損なうとの批判もたびたび起こりました。最高裁は濫用防止の判例(州政府解任の司法審査など)を積み上げ、「強い連邦」と「州自治」の均衡点を模索してきました。インド連邦が「準連邦(quasi-federal)」と形容される理由の一つは、こうした安全弁の存在にあります。
言語政策と地方自治:多言語国家を運営する工夫
インド連邦は数百の言語・方言が共存する社会に立脚しています。憲法は〈連邦の公用語〉としてヒンディー語(デーヴァナーガリー表記)を規定しつつ、〈英語の補助的使用〉を柔軟に認め、州は自州の公用語を定めることができます。憲法附表(第八附表)は、憲法上の承認言語(かつて14、のち増加)を列挙し、教育・試験・放送・議会通訳などの優遇枠を整えました。実務では、中央省庁・高等教育・司法で英語が広範に用いられ、州や地方行政は地域語で運営されるなど、機能分担が進んでいます。
地方自治では、農村のパンチャーヤト(村落自治体)と都市地方団体に憲法上の根拠を与え、選挙・権限・財源の枠を整えました。保健・初等教育・上下水・地域道路・市場の管理など、住民に近いサービスは自治体が担当し、州と連邦は財政移転と基準設定で後押しします。多言語・多宗教・多カーストの社会で、連邦—州—地方の三層が重なり合う運営は必然であり、その「擦り合わせ」の技法がインド連邦のガバナンスを支えています。
カシミールと特別規定、直轄領の多様性:連邦の可変性
インド連邦は、歴史的事情に応じた特別規定を持つ地域を抱えてきました。山岳・辺境・島嶼・部族地域などでは、土地の保護・慣習法・自治機構に関する特則が置かれ、知事や自治評議会の権限が強化されることがあります。連邦直轄領についても、デリーのように立法議会と首席大臣を持つ「準州型」から、軍民共管の戦略要地、観光・文化保護を重んじる小規模領域まで、運営モデルは一様ではありません。こうした可変性は、画一的な「州=同じ箱」で運営しないという、インド連邦の柔構造を象徴しています。
国制の進化と連邦—州関係:交渉としての連邦主義
インド連邦は固定された器ではなく、「交渉としての連邦主義」を通じて進化してきました。選挙結果や政党連合の構図、最高裁判例、財政配分や全国政策(食糧保障・教育の権利・医療保険など)の設計は、連邦—州の力関係に影響します。時に中央集権化が進み、時に州の裁量が広がる振幅の中で、制度は修正・補強され続けてきました。工業・デジタル・環境・都市化といった新課題が、連邦と州の新しい役割分担を促し、税・規制・福祉・インフラの各分野で「誰が何を担うか」の再定義が今も進行形です。
まとめ:多様性を束ねる「強くて柔らかい」器
インド連邦は、英領期の遺制を引き継ぎつつ、藩王国の編入、言語に基づく州境再編、連邦—州—地方の三層化、財政連邦主義、司法の独立、非常権限という安全弁を組み合わせて、「多様性を束ねる器」を築き上げました。名称は1947年のUnion of Indiaに始まり、1950年以降の連邦共和国へと定着しますが、その本質は、巨大で多元的な社会を〈交渉と制度〉で運営する技法にあります。国家が一枚岩であることを前提とせず、差異を前提に設計されたこの連邦は、政治の変化・経済の発展・社会の要請に応じて、今日もなお更新され続けているのです。歴史用語として「インド連邦」を学ぶことは、植民地解消から国家建設、そして多様性の統治という世界史的課題を理解する手がかりになります。

