旧法党 – 世界史用語集

旧法党(きゅうほうとう)とは、主に16世紀を中心とするジェノヴァ共和国の政治社会における派閥の一つで、伝統的な旧来貴族層(古くからの大商人一族・海軍私掠の名門・領主的家門)を母体とし、既存の統治枠組み(「法」=慣習法・貴族統治の秩序)を維持・強化しようとした勢力を指す呼称です。イタリア語の Vecchi(ヴェッキ=「古い人びと」)に対応し、対立勢力としては Nuovi(ヌオーヴィ=新法党、新しい人びと)が挙げられます。イタリア戦争の渦中、スペイン(ハプスブルク)・フランスという二大強国への外交的傾斜をめぐって両派は鋭く対立し、また都市社会の既得権配分と新興富裕層の台頭をめぐる利害が絡み合いました。簡潔に言えば〈旧来の名門が、貴族的共和国の秩序と海上金融ネットワークを守ろうとして形成した保守派閥〉が旧法党で、これに対し〈新興勢力が制度改革と新たな外債・貿易機会の拡張を求める〉新法党が対置されました。

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用語の位置づけと背景――「旧/新」は何を指すのか

旧法党・新法党という対語は、ルネサンス期のイタリア都市国家でしばしば見られる派閥呼称の一つですが、特にジェノヴァで明瞭な政治ブロックとして展開しました。ここでいう「法」は、単に成文法に限らず、貴族団体(アルベルギ)による議会・執政の枠組み、官職配分、税・関税・公債(ルオーガ)の運用、海上保険・私掠権・造船ギルドなど、都市国家を動かす慣習的秩序全体を指します。旧法党の「旧」は、長くこの秩序を握ってきた家門の継続を意味し、「新」はそこに挑む新興家門・新規富裕市民の参加拡大を求める潮流を表します。

背景には、15~16世紀にかけての地中海・大西洋商圏の変容があります。航海術・軍船技術の革新、オスマン帝国の伸長、ポルトガル・スペインの大西洋進出により、ジェノヴァ商人は旧来の地中海交易に加え、スペイン帝国の財政・銀流通に深く関与するようになりました。従来からの名門は、海上保険・公債運用・スペイン王室への軍資金融資(座頭金融)で優位を保ち、ハプスブルクとの結びつきが強まりました。これが旧法党の外交的志向(対スペイン協調)を強める要因でした。

構成と制度――アルベルギとアンドレア・ドーリアの改革

ジェノヴァの政治社会を理解する鍵は、家門団体アルベルゴ(複数形アルベルギ)です。これは血縁・婚姻・主従関係で結ばれた家門同盟で、姓や紋章を共有し、市政における議席・官職・兵装の動員単位となりました。旧法党は、ドーリア、センプリーチェ、センプリチャーティ、グリマルディ、スピノーラ、フレゲーゾなど、有史以来の海軍私掠・武装商船・辺境領主を担ってきた名門が中心でした。一方、新法党には、新しい金融・遠隔貿易で台頭した家が多く、旧来貴族の内側に取り込まれつつも配分をめぐって緊張が続きました。

1528年、提督アンドレア・ドーリアはフランスから離反してカール5世(ハプスブルク)側に転じ、ジェノヴァをスペインの影響下で自治回復させます。このとき実施された憲制改革は、アルベルギを28団体に再編・均衡させ、元老院とドージェ(総督)選挙の手続きを整備しました。名目上は旧・新の和解を図るものでしたが、実態としては旧来名門の影響力を温存し、スペインとの金融・軍事ネットワークを支える「保守的寡頭制」を強化しました。ここに、旧法党の長期的優位の基盤が築かれます。

旧法党の政策志向は、海軍力・私掠の制度化、アルセナーレ(造船所)の整備、公債制度の安定運用、港湾の関税・保税の秩序維持といった「国家の骨格」を重んじる点にありました。彼らは急進的な市民参加拡大やギルド政治化には慎重で、都市治安と信用の維持を最優先しました。対する新法党は、対フランス同盟や近隣都市との商圏再編、官職配分の見直し、税制の「広く浅い」負担への転換などを主張し、既得権の切り崩しを図りました。

外交と戦争――イタリア戦争の中の「スペインか、フランスか」

16世紀のイタリア戦争(1494–1559)は、旧・新両派の選択を分ける外圧でした。旧法党は、スペイン帝国の海軍・資金力に依拠して、オスマンやフランスの圧迫に対抗する道を選び、ドーリア家を中心にスペイン艦隊と協働しました。スペインのアメリカ銀がジェノヴァの銀行を経由してヨーロッパに流れ、ジェノヴァ商人はハプスブルク財政の主要パートナーとなります。旧法党にとって、スペインとの連携は、都市の信用・為替・公債価格の安定に直結する「安全保障」でもありました。

新法党は、これに対してフランス王国との同盟や、イタリア北西部の陸上商圏(ピエモンテ・ロンバルディア)を軸にした独自路線を模索しました。フランスの王権は、都市内の反ハプスブルク勢力を梃子に影響力拡大を狙い、ジェノヴァにおける政変・暴動のたびに介入の機会を探りました。とはいえ、最終的にはカトー・カンブレジ条約(1559)でハプスブルク優位が確定し、その後もしばしば内乱は起こるものの、旧法党の構造的優位は続きます。

経済と社会――公債・海上保険・私掠、誰が得をしたのか

旧法党の強みは、金融・海運の「制度知」でした。ジェノヴァの公債(ルオーガ)は、徴税権と結びついた有利な投資商品で、都市政府の資金調達を担いました。旧来名門はこの公債の大口保有者であり、政策決定にも発言力を持ちます。海上保険・為替手形・両替商のネットワークも、長い航海経験に裏打ちされていました。私掠(国許しの海賊行為)は、戦時の収入源であると同時に、若年貴族の武勲と富の獲得手段で、旧法党の家門はこの分野で優勢でした。

一方、新興の富裕市民は、香辛料・繊維・穀物などの貿易、地中海東岸や黒海方面の新しい取引先を開拓し、フランス・サヴォイアとの陸路商圏でも力を伸ばしました。彼らは税・関税の負担配分に不満を持ち、官職売買や公債配分の透明化、都市参政枠の拡大を求めました。社会的には、旧来名門による婚姻ネットワーク(相互に娘を娶り、財産と官職を維持する)が強固で、新興層は名門への「入り婿」戦略や保護を通じて上昇を試みますが、壁は厚かったのです。

事件と転機――内乱・反乱・ペスト、17世紀の「信用の転調」

旧・新対立は、しばしば流血を伴いました。16世紀後半から17世紀前半にかけて、仏寄り勢力と西寄り勢力の政変・暗殺・暴動が繰り返され、都市統治は不安定化します。遠因として、地中海の戦争経済の縮小、オスマンとの競合、スペイン財政の危機(バンクロット)などが重なり、ジェノヴァの金融センターとしての地位が揺らぎました。ペスト流行は人口と労働力を奪い、貧富格差を拡大します。旧法党の支配は形式上続くものの、17世紀後半にはアムステルダム・ロンドンといった北方の金融市場に主役の座を奪われ、「信用の転調」が起こりました。

それでも、旧来名門は外交と財政の実務で一定の影響力を保ち、18世紀にいたるまでジェノヴァは中小国として生存を図ります。だがナポレオン時代の再編(リグーリア共和国→フランス併合)で寡頭的秩序は一掃され、旧・新の区別は歴史の語彙として残るのみとなりました。

用語上の注意と比較――他都市の「古党/新党」、近代史への射程

教科書や用語集で「旧法党」と出てきた場合、まずジェノヴァの Vecchi を指すと考えるのが一般的です。ただし、イタリア各地では時代により「古党/新党」(antichi/nuovi)と呼ばれる派閥が別途存在し、フィレンツェやヴェネツィアでも、名門と新興の利害対立が繰り返されました。したがって文脈上の都市・年代・主導家門の確認が重要です。日本語の「旧法党」は、〈旧来の法・秩序を守る党〉というニュアンスを含みますが、必ずしも頑迷な反改革ではなく、信用・秩序・安全保障の維持という合理性を伴う選択だったことにも注意が必要です。

比較史的に見ると、旧法党と新法党の対立は、都市国家の「制度的内戦」とも言うべき現象です。既得権と新規参入、秩序と革新、外部同盟の選択(大国間のバランス)という三軸で、利害と理念が交錯します。旧法党の「保守」は、しばしば都市の短期安定をもたらしますが、長期的には経済地図の変化に乗り遅れる危険を伴いました。逆に新法党の「改革」は、参政拡大や交易多角化を促しつつも、既存の信用ネットワークを毀損して危機を招くこともありました。都市が生き延びるには、二派のバランスを取りつつ外部環境に即応する複雑な舵取りが必要だったのです。

総じて、旧法党は、ジェノヴァという海上共和国が自己の「法」と信用を守るために選んだ〈秩序の党〉でした。その強みは、海軍・金融・公債・官僚制というハードな制度を維持する実務能力であり、弱みは、社会の開放性を抑え、新興勢力のエネルギーを取り込みきれなかった点にありました。旧法党/新法党というレンズを通せば、ルネサンス世界の都市が、外からの大国政治と内側の階層力学の板挟みで揺れた様子が生々しく見えてきます。用語に出会ったら、〈どの都市の、いつの、どの家門が担い手か〉、〈どの大国に寄っていたか〉、〈経済構造の変化にどう反応したか〉という三つの問いを添えて読むと、理解がぐっと深まります。