九竜(クーロン)半島は、香港島の対岸、ヴィクトリア・ハーバー北岸に突き出た陸地で、今日の行政区でいえば油尖旺(尖沙咀・油麻地・旺角など)や九龍城、深水埗、観塘、黄大仙などの都心部を含む地域を指します。さらに歴史用語として「新界(しんかい)」は、九竜半島の北側と広東省境界に広がる農村・丘陵地帯および多数の離島(大嶼山=ランタオ島など)を含む広大な区域を意味します。世界史の文脈では、1860年の北京条約で九竜半島の一部が清からイギリスに割譲され、つづく1898年の「香港境界拡張に関する英清協定」で新界が99年間の租借地となったという、主権の移動・延長の経緯が重要です。1997年、租借期限の到来にあわせて英中共同声明に基づき香港全域が中国に返還されました。言い換えれば、〈九竜は香港の北側の都市核〉、〈新界は香港の広大な背後地〉であり、その組み合わせが近代アジア随一の港湾都市の骨格をつくったのです。
地名と範囲――「九つの竜」と境界ストリート、新界という呼び名
「九竜」の名は、半島背後に並ぶ獅子山・筆架山・昂船洲山などの峰々を「竜」に見立てた伝承や、南宋の幼帝(端宗または徳祐帝)が「山が八つ、朕が九つ目の竜だ」と言ったという逸話に由来するとされます。現在の一般用法で「九龍(Kowloon)」と言うと、ヴィクトリア港に面した尖沙咀から北の獅子山山麓までの都市密集域と、その東西の湾岸(観塘や荃湾寄りの葵青区の一部を含む広義用法)を指します。
九竜半島の旧・新の境を示す歴史的な線が、今日も道路名として残る「界限街(Boundary Street)」です。ここを境に、南側(九竜半島の先端部と昂船洲など)は1860年の北京条約で「永久割譲」された区域、北側は1898年の拡張協定で「99年租借」となった新界側に分かれました。地図上の線は政治的な意味を持ち、のちに空間構造でも重要な区切りとなります。
「新界(New Territories)」は、文字どおり「新たに拡張された領域」を意味する行政的・外交的用語で、界限街以北の本土部に加え、ランタオ島(大嶼山)・南丫島(ラマ島)・長洲・坪洲・青衣・汲水門周辺の島嶼群など、多数の離島を含みます。面積は香港全域のおよそ8割強を占め、海岸線は入江と岬が複雑に入り組み、内陸は丘陵・谷地と水庫(貯水池)が多く、農村集落や客家の圍村(城郭村)、潮汕系や本地人の祖堂・祠堂が点在します。
近代史の骨格――割譲と租借、返還へ
アヘン戦争後、1842年の南京条約で香港島が英領となり、英本国は香港を中国南岸の貿易拠点・海軍基地として整備しました。第二次アヘン戦争の講和である1860年の北京条約では、九竜の南部(界限街以南)と昂船洲(ストーンカッターズ島)が清からイギリスに割譲され、英領香港の市街はヴィクトリア港を挟んで対岸に拡張します。すでに九竜側は浅瀬の埋め立てが進み、倉庫・ドック・兵営の立地に適した地勢が都市形成を後押ししました。
さらに1898年、清国とイギリスは「香港地域拡張に関する条約(一般に新界租借協定)」を結び、界限街以北の本土部と多数の離島を99年間、イギリスが租借することになりました。これが「新界」の始まりです。租借地は形式上は清の主権下にありつつ、実際の統治・警察・課税・司法はイギリスが担い、香港総督府の行政区として編入されました。九竜半島の北郊や沿岸には軍事施設・弾薬庫・検疫所が置かれ、鉄道・道路が広がり、農漁業の集落と新しい交通インフラが混在する地域構造が生まれます。
20世紀に入ると、九竜は都市化の速度を上げます。南端の尖沙咀は桟橋・ホテル・商館が立ち並ぶ玄関口となり、ネーザン・ロードは直線的に北へ伸び、油麻地・旺角・太子と、商店街と「唐楼(トンラウ)」と呼ばれる長屋式混合用途建物が密集する帯を形成しました。東側の観塘・九龍湾では戦後に大規模埋め立てと工業団地が造成され、1960年代以降の軽工業ブームを牽引します。
返還の政治過程では、租借期限(1997年)がタイムリミットとして決定的な意味を持ちました。英中双方は1984年の英中共同声明で、香港島・九竜(永久割譲部分)・新界を含む香港全域を1997年に中国へ返還し、返還後50年間は「一国二制度」の下で資本主義と高度な自治を維持するという枠組みに合意しました。こうして、租借地の期限が〈全体返還〉のきっかけとなり、歴史的な主権移譲が実現します。
空間とインフラ――港湾・鉄道・空港、そして再開発
九竜の空間的特徴は、高密度の市街と交通結節の重なりにあります。南北の大動脈ネーザン・ロード、海岸線の埋め立てで整えられた広い前面道路、そして内陸の獅子山麓へ向かう斜面市街が組み合わさり、歩行・バス・トラム・MTR(地下鉄)・フェリーの多層ネットワークが形成されました。尖沙咀からのスターフェリーは長く九竜と香港島を結ぶ象徴的交通であり、1972年の海底トンネル(クロスハーバー・トンネル)開通で自動車交通が爆発的に増加します。
鉄道は九竜と新界、さらには広東省の都市圏を結ぶ背骨です。英領期に敷設された九広鉄路(KCR)は九竜塘から羅湖(深圳境界)へ伸び、広州と接続しました。現在のMTR東鉄線・西鉄線は、この歴史を継ぎつつ新界の各新市鎮(沙田・大埔・元朗・屯門・将軍澳など)を都心へ直結します。1970年代以降の「ニュータウン開発」は、新界の谷地に高層住宅群・商業施設・工業団地・道路網を計画的に配置し、人口の一極集中を九竜・香港島の外へ分散させました。
空港は九竜の都市史を象徴します。旧「啓徳空港(カイタック)」は九龍城と九龍湾にまたがる埋立地上にあり、機体が市街すれすれに降下する光景で知られました。1998年、空港機能は新界西部の大嶼山北岸・赤鱲角(チェクラプコク)へ移転し、連絡橋・高速道路・東涌新市鎮・青馬大橋・コンテナ港湾群とあわせ、香港の空間軸は九竜中心から新界西部の空港・港湾複合体へ拡張しました。旧空港跡地は郵輪ターミナルや公園、住宅・商業の再開発地として段階的に転換が進んでいます。
港湾物流は新界側の葵青コンテナ・ターミナル群(世界有数の取扱量)を中核に発展し、九竜半島の西側海域(昂船洲周辺)や青衣島の埋立で巨大なバースと背後地が整えられました。東側では観塘・油塘・将軍澳の工業地区がサービス・クリエイティブ産業へ用途転換を進め、九竜西の西九文化区は博物館・劇場・海浜公園群として都市の文化拠点化が図られています。
社会と文化――九竜の「庶民都市」と新界の農村・自然
九竜はしばしば「庶民の香港」と形容されます。戦後の難民流入と工業化で人口が急増し、唐楼や団地型の高層住宅(公共屋邨)が密に積み重なり、路地の屋台・茶餐廳・街市(マーケット)、看板のネオンが都市の風景をつくりました。ネーザン・ロード沿いの雑居ビルは、1階に商店、上階に住居や工房を重ねた混合用途で、都市の活力の源泉でした。旺角は世界屈指の人口密度を誇り、深水埗は電子部品や布地の市場で知られ、尖沙咀はホテル・ショッピング・ミュージアムが集まる観光核です。
九龍城砦(九龍寨城)は、この地域固有の特異な歴史を物語ります。清朝の水師寨としての起源を持ち、割譲・租借後も法的に曖昧な飛地として残った結果、戦後は高層違法建築と迷路のような通路が密集する「壁の中の都市」と化しました。1990年代初頭に政府の立ち退き・撤去が行われ、跡地は公園として整備されましたが、九竜という都市の複雑さと法域の層の重なりを象徴する場所として記憶されています。
新界は、九竜の対概念として都市の背後に横たわる農村・丘陵世界でした。客家の圍村(城壁で囲まれた村落)には祠堂・牌坊・風水林が残り、田園・蓮池・塩田・養魚塘が営まれてきました。新界北西の米埔・内后海湾はマングローブと干潟の湿地で、渡り鳥の中継地として国際的に知られます。1970年代以降、沙田・屯門・大埔・元朗・将軍澳などの新市鎮が相次いで建設され、農地は住宅・道路・工業用地へ姿を変えましたが、一方で広大な郊野公園が指定され、獅子山・大帽山・馬鞍山から西貢半島の透明な海域に至るまで、都市と野の境界が鮮やかに共存しています。
文化的にも、九竜と新界のコントラストは豊かです。九竜の屋台文化・粤劇の小劇場・ビデオゲームセンター・私塾・補習文化は、庶民的で活気のある都市生活を体現し、新界の村落祭祀(太平清醮・飄色・火龍)、海の神・天后廟の巡礼、客家の擂茶や客家花布などは、地域的な伝統とアイデンティティを育んできました。移民社会の多様性は、食文化(潮州・客家・広東・東南アジア)にも反映されています。
政治・法域・アイデンティティ――「条約で分かれ、都市で結ばれる」
九竜(南)・新界(北)という線引きは、もともと条約に由来するものでしたが、100年以上にわたり都市化と行政実務を通じて、異なる土地利用・人口密度・生活様式を生みました。返還後は香港特別行政区という一つの法域の下で統合されていますが、界限街や獅子山は今も歴史的記憶のランドマークです。獅子山は「獅子山精神」と呼ばれる勤勉・自助・向上の象徴として語られ、九竜の庶民文化と重ねられます。新界では、原居民(租借以前から村に籍を持つ家系)の土地権益・丁屋権が政治課題として繰り返し論じられ、都市拡張・環境保全・伝統保護の調整が続いています。
また、九竜・新界はいずれも香港を中国珠江口の広域圏(グレーターベイエリア)と結ぶ前線です。新界北部の羅湖・落馬洲・深圳湾などの口岸は、貿易と人の往来を担い、橋梁・高速鉄道が都市圏の結合を加速しています。九竜の西九文化区や尖沙咀の美術館群は、観光とソフトパワーの発信拠点として再定義されつつあります。
まとめ――半島の都心、新界の背後地、その連結が生んだ都市国家の器
九竜半島は、海峡を挟んで香港島と対峙する〈都市の正面〉であり、新界は、それを支える〈広大な背面〉でした。1860年の割譲と1898年の租借は、界限街という細い線に歴史の重みを託し、港湾・軍事・商業・移民が織りなす都市形成を一気に進めました。20世紀の鉄道・空港・コンテナ港は、九竜と新界を骨組みでつなぎ、21世紀の文化地区とニュータウン群は、生活の質と都市の多中心化を志向しています。九竜のネオンと人いきれ、新界の風水林と海風――この二つの顔をあわせ持つことこそ、香港という都市のしなやかさの源泉でした。九竜(クーロン)半島と新界という用語は、条約・地理・文化を貫く〈都市の器〉を理解する鍵なのです。

