結婚税 – 世界史用語集

結婚税(けっこんぜい)は、狭義には婚姻という行為や届出に直接ひもづけて課される税・賦課・手数料のことで、広義には税制や社会保障制度の設計の結果として「結婚したほうが不利(あるいは有利)になる」効果が生じ、その不利な部分を比喩的に「結婚税」と呼ぶ用法を含みます。歴史的には、婚姻の登録や教会の許可に対する課金、封建領主への婚姻料、国家が戦費や財源確保のために設けた婚姻課税、占領地や帝国の人頭税に付随する婚姻時の納付など、さまざまな形で現れました。他方、近現代の所得税・社会保険・給付の制度では、夫婦の合算課税や控除の仕組み、扶養や被用者保険の適用条件などにより、世帯の態様によって負担が変わることがあり、これが「結婚税」「結婚ボーナス」といった俗称で語られます。言い換えれば、結婚税は、婚姻をめぐる社会秩序と公的財政の関係が映し出される鏡です。以下では、用語の幅、前近代・近世の具体例、近現代における比喩的用法、日本における議論の整理、制度設計上の論点を順に説明します。

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用語の幅:直課としての結婚税と比喩としての「婚姻ペナルティ」

結婚税という言葉は、二つの異なる層で使われます。第一は「婚姻そのものに紐づけて課金する」直課型です。婚姻登録の印紙税・登録税、教会や役所が発給する婚姻許可証・婚姻免許状の手数料、封建的な支配関係に基づく婚姻料(領主への納付)などがこれに当たります。これは文字通り、結婚という出来事が課税要件(トリガー)になっています。第二は比喩的な用法で、税制の中立性が損なわれ、結婚した結果として実効税率や可処分所得が独身時よりも不利に変わる現象を「結婚税」と呼ぶものです。夫婦合算課税や控除の構造、給付の所得制限、社会保険の保険料・被扶養者要件の組み合わせで、結婚に伴う金銭的な損得が発生することがあります。この層では、課税の名目は結婚ではなく所得や保険ですが、政策効果として結婚に影響が出るため、比喩的な表現が定着しました。

両者を区別することは重要です。前者は制度の条文に「婚姻」「結婚」という語が現れ、納付や免許が婚姻の条件となるタイプです。後者は条文上は婚姻を直接課税していないにもかかわらず、複数制度の相互作用で「結婚で損をする(あるいは得をする)」という結果が生まれるタイプです。歴史の実例をみる際も、これを踏まえると理解が整理されます。

前近代・近世の実例:封建婚姻料、婚姻登録課税、帝国・教会の課金

中世ヨーロッパでは、農奴や隷属民が婚姻する際、領主に納める「婚姻料(merchet)」が広く見られました。これは、娘が他領へ嫁ぐことで労働力や地代収入が流出するのを補填する性格を持ち、婚姻が領主的支配の管理対象であることを示しています。婚姻の自由は形式上認められていても、実際には許可と納付が不可欠で、違反すれば罰金が科されることもありました。

近世の国家は、人口動態の把握と財源確保のために、出生・婚姻・死亡という人生イベントを課税・登録の対象に組み込みました。イングランドでは17世紀末、戦費調達を背景に、出生・婚姻・埋葬に課税する法が制定され、婚姻には免許状・登録に応じた印紙税・手数料が課されました。これは国家が教区台帳と税務を接続し、個人の身分行為を財政基盤へ変換した典型です。フランスやイベリア世界でも、婚姻契約書や持参金契約(結婚契約)に対し、印紙税・登録税が課されることが一般化し、都市の公証人制度と一体化しました。婚姻が市民社会の契約であると同時に、国家の歳入源でもあったことがうかがえます。

オスマン帝国では、「花嫁税(resm‑i arus/arusiyye)」と通称される婚姻課金が、地方財政や封土(ティマール)制と結びついて存在しました。婚礼は地域社会の重要な公事で、役所・宗教裁判所での手続や文書化とともに、相応の賦課が伴いました。こうした課金は、婚姻の社会的承認と公権力の可視化を同時に達成する装置でもありました。

宗教的な課金も無視できません。カトリック圏では、婚姻に関わる教会の諸手数料(婚姻障害の免除、親等に関する特別許可、婚姻証明書の発給、聖職者への謝礼など)が慣習化し、地域社会の秩序と教会財政を支えました。これは信仰の義務という側面と、準税的な徴収という側面を兼ねています。近代に入って国家が民事婚を採用すると、教会課金は縮小する一方、役所での登録に対する印紙税や登録手数料が一般化しました。

また、植民地社会や帝国の人頭税では、婚姻や世帯形成が納税義務の判定基準となることがありました。たとえば「既婚の成年男子」を納税単位とし、未婚者や寡婦に別枠の負担を課す仕組みです。婚姻そのものを課税するわけではありませんが、婚姻が税負担のシグナルとして機能しました。

近現代の用法:税制・社会保障がつくる「結婚税/結婚ボーナス」

20世紀に普及した所得税や社会保険は、個人単位で課税・保険料算定を行うか、世帯単位(夫婦合算など)で行うかによって、結婚の金銭的インセンティブを大きく左右します。合算課税では、総所得が一括して高い税率区分にかかるとき「結婚ペナルティ(結婚税)」が発生しやすく、逆に税率が逓増的で片働き世帯に大きな控除があると「結婚ボーナス」が生じやすくなります。子ども関連の税額控除や給付、医療・年金の被扶養者制度、保育料・奨学金・公営住宅などの所得制限も、夫婦の届出や同居の有無で適用額が変化し、実効的な「結婚税/ボーナス」を作り出します。

この問題は、税制の公平原則(水平的公平=同じ所得には同じ税負担、垂直的公平=高所得者がより多く払う)と、婚姻・家族の中立性(税制が家族形態に中立であるべきか)という二つの価値の衝突として理解できます。完全な中立性を達成するのは難しく、どの制度設計でも、ある世帯には有利、ある世帯には不利という結果が残りがちです。そのため、国や時代によって、①個人課税へ寄せる、②夫婦控除・配偶者控除の調整、③子ども・ケアに焦点を移す(世帯形態より養育・介護の事実を重視)、④社会保険の被扶養者要件を見直す、といった改正が繰り返されてきました。

また、近年の共働き化・非典型雇用の増加・賃金格差の変動は、同じ制度でも家計に与える影響を変質させています。片働きモデルを前提に設計された控除や保険は、共働きが多数派になると、女性の就業調整(いわゆる「壁」)や賃金抑制のインセンティブとして作用しやすく、結果的に「結婚税」のような歪みが可視化されます。ここでの論点は、婚姻を促すか中立に保つかという価値選択だけでなく、労働市場・ケア責任・ジェンダー平等と税制の整合性に及びます。

日本における歴史と議論:直課は例外的、比喩用法が主流

日本の歴史において、婚姻そのものに広く直接課税する制度は一般化しませんでした。近代以降は戸籍制度にもとづき、市区町村への婚姻届は行政手続であり、印紙税等の課税ではなく手数料も不要であることが通常です(結婚式や宗教儀礼は私的サービスであり、費用は税ではありません)。したがって、狭義の「結婚税」は現在の日本では基本的に存在しません。

他方、広義の「結婚税(ペナルティ)」という言い方は、税制・社会保障・給付の相互作用から生じる不利を指してしばしば用いられます。例としては、①所得税・住民税の税率構造と各種控除の組み合わせにより共働き世帯の実効税率が上がる、②公的医療保険の被扶養者認定や企業の家族手当、③配偶者に関する税制上の控除が第二就労者(主に女性)の労働供給の調整点(いわゆる「壁」)を生み、世帯合算では結婚後の可処分所得が減る、④児童手当・保育料・高等教育の給付や負担が世帯合算所得で判定されるため、婚姻届の提出によって支給が縮小・停止される、といった現象です。これらは条文上「結婚に課税」しているわけではないものの、生活者の感覚として「結婚したら損になった」と見えるため、「結婚税」という用語がメディアや議論で用いられます。

この点をめぐる政策議論では、①個人単位課税・保険への移行、②配偶者控除から夫婦控除や人的控除の個人化への切替、③児童関連給付を世帯形態ではなく児童本人を基軸に設計する、④社会保険の保険料と給付を個人ベースで整合させる、⑤就労とケアの配分を前提にしない中立的制度へ改める、などの方向性が提示されてきました。目標は、婚姻の有無そのものに中立で、労働参加やケア責任の配分とも整合的な制度とすることです。ただし、税収・再分配・家族政策の目的の違いから利害は割れ、段階的な調整が現実的な道筋になります。

制度設計の論点:公平・中立・簡素の三角形

結婚税の議論は、税・社会保障設計の基本原則に直結します。第一に公平です。水平的公平(同じ所得には同じ負担)と垂直的公平(能力に応じた負担)を両立させるには、世帯の規模や扶養の実態、ケア労働の評価をどう織り込むかが鍵です。第二に中立性です。婚姻・同居・未婚・事実婚・離婚などの選択に対して、制度が過度に誘導・阻害をしないことが望ましいと考える立場があります。第三に簡素性です。多数の控除と給付の相互作用は、予期せぬ「崖」や「壁」を生み、生活者の予見可能性を損ないます。簡素で透明な制度は、結果として偶発的な「結婚税/ボーナス」を減らす方向に働きます。

さらに、ジェンダーの視点を外すことはできません。婚姻課税が女性の就業や賃金形成、家事・育児の分担に与える影響は、短期の家計だけでなく生涯所得・年金・貧困リスクに波及します。結婚税という言葉の陰には、税・保険・労働・家族の制度が作るインセンティブの網があり、その調整は単一の法改正では足りません。複数制度を同時に見直し、数字で影響を試算し、移行期の混乱を抑える配慮が必要です。

歴史を振り返れば、直課型の結婚税は、領主制・教権・国家財政の論理が婚姻を管理・収益化するための装置でした。近現代では、結婚税という語は、むしろ制度の歪みや配分の不公平を批判する比喩として生きています。どの時代でも、婚姻は人口・労働・財産・宗教と密接に絡むため、公共部門は何らかの形で関与します。結婚税という鍵語は、その関与の仕方が生活者の自由と安心に資するのか、それとも阻害するのかを問う視角を与えてくれるのです。