「商業社会」とは、ものを作ることだけでなく、それを売り買いする「商業」が社会の動きの中心になっている社会のことです。人びとの暮らしや町の姿、お金の流れ、さらには考え方や価値観までが、市場での取引やお金のやりとりを軸に回っていく状態だとイメージすると分かりやすいです。
それまで多くの地域では、農業が生活の土台で、身分や領主への年貢・貢ぎ物などが重視されていました。ところが商業社会では、農産物や手工業品が市場に持ち込まれ、値段が付き、お金でやりとりされることが当たり前になります。その結果、商人や職人、都市の住民など、商業に関わる人びとが大きな力を持つようになっていきます。
世界史の中で「商業社会」という言葉がよく使われるのは、主に中世の終わりから近世にかけてのヨーロッパです。大航海時代によって世界の交易が広がり、港町や大都市の商人が台頭し、お金の貸し借りや投資も盛んになりました。そうした変化が積み重なり、「商業が社会のしくみ全体を動かす時代」が生まれていきました。
ただし、商業が発達した社会はヨーロッパだけではありません。中国の宋代や日本の江戸時代のように、農業を基盤としながらも、都市や市場が発達し、商人が活躍した社会も広い意味で「商業社会」と呼ぶことができます。要するに、「物やサービスの売り買いが社会を形づくる大きな力になった状態」を指す言葉だと理解しておくとよいです。
商業社会の基本的なイメージと定義
まず、商業社会の基本的なイメージを、他のタイプの社会と比べながら整理します。よく対比されるのが「農業社会」です。農業社会では、多くの人が農民として土地に縛りつけられ、生活の中心は自給自足に近い農作業でした。余った作物を売ることはあっても、社会全体はまだ市場に依存していませんでした。
これに対して商業社会では、生産されたものが市場で売られることを前提として作られます。農産物であっても、どのくらいの価格で売れるかを考えながら作付けが決まり、手工業品も「売るための商品」として大量に作られるようになります。つまり、社会の動きが「市場での売り買い」「価格」「利益」といった商業的な要因に強く左右されるようになるのです。
また、身分社会との関係も重要です。封建社会では、生まれつきの身分が権力と富をほぼ決めていました。しかし商業社会が発展すると、お金を蓄えた商人や金融業者が経済的な力を持つようになります。身分は低くても、商業活動で財産を築き、政治的な影響力を持つ人びとが現れました。こうした変化は、身分秩序を揺るがし、新しい社会への移行を促す大きな要因となりました。
一般的に歴史学では、商業社会は「市場経済が発達し、商人階層が社会の中心的な担い手の一つとなった社会」と説明されます。この社会では、貨幣が広く流通し、税の徴収や国家財政も貨幣を通して行われるようになります。人びとの生活も、年貢や現物支払いが中心だった状態から、労働の対価として賃金をもらい、商品を購入して生活する方向へと変化していきます。
商業社会が生まれた歴史的背景
商業社会は、ある日突然に登場したわけではありません。長期にわたる人口の増加、技術の発達、国際貿易の広がりなど、さまざまな要因が積み重なって生まれました。その代表例として、ヨーロッパの中世末から近世への流れを見てみます。
中世ヨーロッパでは、封建領主が農民から年貢を取り立てる農業中心の社会が基本でしたが、11〜13世紀ごろから人口が増え、農業生産力が向上すると、余剰生産物が市場に出回るようになりました。農村だけでなく、城下町や港町で定期市や常設の市場が開かれ、そこで農産物や手工業品が売り買いされるようになります。
同時に、十字軍遠征や地中海貿易の発展によって、ヨーロッパとイスラーム世界、さらにはアジアとの交易が盛んになりました。遠く離れた地域から香辛料、絹織物、貴金属などが運び込まれ、それを扱う商人が莫大な利益を上げるようになります。彼らはしだいに都市の有力者として政治にも関わるようになり、都市の自治を主張するようになりました。
15〜16世紀になると、大航海時代が始まり、ヨーロッパとアメリカ大陸、アフリカ、アジアをつなぐ大規模な海上貿易が展開されます。銀や金、砂糖、綿花、奴隷といった多様な「商品」が世界を行き交い、その中継地点となる港町は巨大な商業都市へと成長しました。これにより、ヨーロッパ諸国の王や政府も、貿易や植民地支配から得られる利益に依存するようになります。
こうした国際貿易の拡大は、銀行や手形取引、保険といった金融の発達も促しました。長距離の取引では現金をそのまま運ぶことが危険で不便だったため、信用取引の仕組みが発展したのです。この結果、お金そのものだけでなく、「お金の動きを扱う仕事」も重要な役割を担うことになりました。これらの変化が重なり合い、商業が経済だけでなく、国家財政や軍事、政治にも深く関わる「商業社会」が形づくられていきました。
ヨーロッパ以外でも、似たような動きが見られます。中国の宋代には、紙幣の使用や都市の発達、市場経済の広がりが見られ、日本の江戸時代には、全国を結ぶ流通網が整備され、大商人が活躍しました。これらの地域では、封建的なしくみと商業社会的な要素が複雑に絡み合いながら独自の発展を遂げました。
商業社会の特徴:経済・社会・文化の変化
商業社会には、経済面だけでなく、社会構造や文化、価値観にも特徴的な変化が見られます。まず経済面では、市場経済の発達がもっとも分かりやすい特徴です。物やサービスの値段が需要と供給によって決まり、取引の中心は物々交換から貨幣を使った売買へ移っていきます。これにより、価格情報が重要になり、人びとは「どこで何をいくらで売るか・買うか」を常に考えるようになります。
次に、社会構造の変化です。商業社会では、商人や職人、金融業者、仲買人など、商業に関わる多様な人びとが登場し、身分的には必ずしも高くないものの、経済的な力を背景に大きな影響力を持つようになります。ヨーロッパでは「ブルジョワジー」と呼ばれる都市の富裕市民が台頭し、王や貴族とのあいだで政治的な駆け引きを行いました。日本や中国でも、大商人や豪商が藩や政府を金融面で支える存在となり、ときには政治に口出しをすることもありました。
さらに、雇われて働く人びとの存在も重要です。商業が発達すると、工房や工場で働く賃金労働者が増えます。彼らは、自分の労働力を時間単位や日単位で売り、その対価として賃金を受け取ります。生活は、自給自足ではなく、市場で食料や日用品を買うことに大きく依存するようになります。このような変化は、のちに産業革命や資本主義社会へと続いていく基盤となりました。
文化や価値観の面でも、商業社会には特徴があります。商取引では、約束を守ることや計算の正確さ、時間を守ることが重要になります。そのため、時間を細かく区切って管理する習慣や、「勤勉」「倹約」「信用」といった価値観が重視されるようになります。また、どのような取引をすれば利益が出るかを合理的に考えることが求められるため、合理主義的な思考が広がり、宗教的権威や伝統だけでは説明できないものの見方が浸透していきました。
こうした価値観の変化は、芸術や文学にも表れます。商人や都市市民がパトロンとして芸術家を支えるようになると、作品のテーマも王侯貴族だけでなく、都市の生活や市民の感情を描くものが増えました。市民層を読者とする出版物も増え、商業活動やお金をめぐる物語が人気を集めるようになります。このように、商業社会は経済の仕組みだけでなく、人びとの暮らし方や心のあり方にも大きな影響を与えました。
世界各地の商業社会とそのひろがり
最後に、「商業社会」という言葉が世界のどのような地域・時代に当てはまるのかを、いくつかの例で見てみます。まずヨーロッパでは、イタリアの都市国家(ヴェネツィアやフィレンツェなど)が早い時期から地中海貿易で栄え、銀行業や保険業を発展させました。その後、ネーデルラント(オランダ)やイギリスが海上貿易を通じて台頭し、株式会社や証券市場といった仕組みが生まれます。これらはいずれも、商業が社会の中心的な原動力となった商業社会の典型例といえます。
イスラーム世界でも、商業社会的な特徴が早くから見られました。イスラーム教徒は広い範囲で共通の信仰と商習慣を共有し、地中海からインド洋にかけて活発な交易を行いました。隊商や商船が香辛料や織物、貴金属などを運び、その取引を通じて各地の都市が繁栄しました。商人は高い社会的評価を得ており、宗教的な規範のもとで商業活動が進められた点も特徴的です。
東アジアでは、中国の宋代がよく引き合いに出されます。農業生産の向上とともに都市が発展し、専門の商人が各地を行き来しました。紙幣の導入や塩・茶などの専売制度、大規模な市場の存在など、商業社会的な要素が強く見られます。日本では、戦国時代の楽市楽座政策や、江戸時代の五街道や海運の発達によって、全国規模の流通網が形成されました。大坂は「天下の台所」と呼ばれ、全国から米や特産物が集まる商業都市として繁栄しました。
こうして世界各地で商業が発達すると、地域ごとの商業社会が互いにつながり、やがて「世界市場」と呼べるような広がりを持つようになります。ヨーロッパ列強による植民地支配や、アメリカ大陸とアフリカ、アジアを結ぶ三角貿易などは、その過程で生まれたものです。そこでは、人びとや資源、商品が地球規模で動かされ、その利害をめぐって国家や商人同士の競争や対立が激しく展開されました。
このように、「商業社会」という用語は、一つの国や時代だけを指すのではなく、商業が主導する社会のあり方を広く捉える言葉です。農業社会や身分社会から、産業革命以後の工業社会・資本主義社会へと移り変わっていく長い歴史の中で、その中間をつなぎ、かつ後の社会の基盤を形づくった重要な段階として理解することができます。

