新自由主義(改革) – 世界史用語集

新自由主義(しんじゆうしゅぎ)とは、1970年代以降に台頭した、「市場の自由な働きを最大限に重視し、国家の経済介入や規制をできるだけ縮小しよう」とする経済思想・政策路線の総称です。とくに世界史の文脈では、1979年のサッチャー政権(イギリス)、1981年のレーガン政権(アメリカ)以降の改革路線や、IMF・世界銀行が途上国に求めた構造調整政策、1990年代の「ワシントン・コンセンサス」などと結びつけて語られます。規制緩和・民営化・財政支出の削減・労働市場の柔軟化・貿易や資本の自由化などが、新自由主義改革の典型的なメニューです。

新自由主義は、単なる経済政策の技術的な変更ではなく、「国家と市場の役割をどう考えるか」「成長と平等をどう両立させるか」という、現代資本主義の根本問題に関わる思想でもあります。支持者は、「過度な政府介入や高い税金・規制が経済の活力を奪っており、市場の自由を回復することが成長と効率を生む」と主張しました。一方で批判者は、「新自由主義改革は格差を拡大し、福祉を切り縮め、弱者を追い詰めている」と反論し、世界各地で反対運動や「反グローバリズム」のうねりも生まれました。

世界史の流れのなかで見ると、新自由主義(改革)は、戦後の「ケインズ主義的福祉国家」モデルが行き詰まったあとに登場した、新しい資本主義の運営ルールとして位置づけられます。1970年代のスタグフレーション(不況とインフレの同時進行)や、石油危機・財政赤字の拡大などに直面した先進諸国は、「これまでのやり方では立ちゆかない」という危機感から、市場原理を重視する方向へと舵を切っていきました。その結果、1990年代の冷戦終結・社会主義圏の市場化とも重なり、「新自由主義」が世界経済の事実上の標準ルールとして広がっていきます。

ただし、「新自由主義」と呼ばれるものは、国や地域によって中身や強さが異なり、一枚岩ではありません。サッチャーやレーガンのようにイデオロギー色の強い改革もあれば、財政危機に追い込まれたラテンアメリカ諸国のように、外圧と危機管理からやむなく導入されたケースもあります。また、東アジアの一部では、国家主導の産業政策と市場開放が独自の仕方で組み合わされました。したがって、「新自由主義(改革)」を学ぶときには、共通する原則と、地域ごとの具体的な違いの両方に目を向けることが大切です。

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新自由主義の概念と歴史的背景

「新自由主義」という名称から分かるように、その基盤には「自由主義」の伝統があります。18〜19世紀の古典派経済学(アダム=スミスなど)は、市場の「見えざる手」による資源配分の効率性を強調し、国家の役割を治安維持や契約の執行などに限定しようとしました。20世紀前半になると、世界恐慌や失業問題に対応するため、ケインズ経済学が登場し、財政支出や金融政策を通じて需要を調整する「積極国家」モデルが広がります。

第二次世界大戦後の欧米諸国では、このケインズ主義をベースに、高度成長と福祉国家の拡大が進みました。政府は失業対策やインフラ整備に大きく関与し、社会保障や公的医療・教育が充実しました。こうした体制は、一時期「修正資本主義」「混合経済」として成功を収め、「黄金の30年」と呼ばれる安定成長の時代をもたらします。しかし、1970年代に入ると、状況は変わっていきました。

第一に、石油危機による原油価格の高騰や、国際競争の激化によって、多くの先進国がスタグフレーションに悩まされました。これまでのケインズ政策では、不況には財政支出を増やし、インフレには支出を抑えるという対処が想定されていましたが、「不況」と「インフレ」が同時に進む事態には対応しづらかったのです。第二に、高度成長を前提として膨らんだ社会保障や公共部門の規模が、成長鈍化のもとで財政赤字と官僚主義の肥大として批判されるようになりました。

このような背景のもとで、「国家はやりすぎている」「市場の力をもっと信頼すべきだ」という主張が力を持ち始めます。思想的な源流としては、フリードリヒ=ハイエクやミルトン=フリードマンらの自由主義経済学者が挙げられます。彼らは、価格メカニズムこそが分散した情報を集約して資源配分を行う優れた仕組みであり、国家がそれを歪めると非効率と自由の侵害が生じると主張しました。ケインズ主義が主流だった時期には少数派でしたが、1970年代の危機を機に、その処方箋が「代替案」として注目されるようになったのです。

1979年にイギリスでサッチャー政権が誕生し、1981年にはアメリカでレーガン政権が発足すると、この新しい路線は具体的な政策として展開されます。「小さな政府」「規制緩和」「民営化」「減税」といったスローガンは、国内の経済改革だけでなく、国際機関を通じた途上国への政策パッケージの形でも世界に広がっていきました。この流れを、一般に「新自由主義(改革)」と呼びます。

新自由主義改革の具体的内容:小さな政府と市場の拡大

新自由主義(改革)は、国や地域によりスタイルが異なりますが、多くの場合、いくつか共通する政策メニューを含んでいます。代表的なものを順に見ていきます。

第一に、規制緩和(デレギュレーション)です。これは、政府が企業活動や市場取引に課してきたさまざまな規制――価格の上限・下限規制、参入制限、運賃や金利の行政決定など――を緩め、企業同士の自由競争に任せようとするものです。たとえば、航空・電気通信・金融などの分野で、運賃・料金や金利の自由化が進められ、新規参入が認められるようになりました。競争が活発化することで、効率化やサービス向上が期待されたのです。

第二に、民営化です。これまで国営企業や公社として運営されていた鉄道・電力・ガス・通信・郵便などの事業を、民間企業に売却したり株式会社化したりすることで、市場原理のもとに再編しようとしました。イギリスのサッチャー政権は、この民営化政策の代表例で、多数の国営企業を売却し、「持ち株民主主義」と称して国民に株式を購入させることを通じて、所有の分散と市場経済への参加を促しました。

第三に、財政支出の抑制と減税です。新自由主義では、「政府支出の拡大は財政赤字とインフレを招き、民間の活力を圧迫する」と考えました。そのため、社会保障や補助金、公務員給与などの支出を削減し、同時に所得税や法人税の税率を引き下げることで、民間部門の投資と消費を活性化させようとしました。レーガン政権は大規模な減税と軍事費増大を同時に行ったため、財政赤字が膨らむという矛盾も抱えましたが、「減税による供給側(サプライサイド)の刺激」という発想は世界に影響を与えました。

第四に、労働市場の柔軟化です。企業が雇用や賃金を柔軟に調整できるようにするため、解雇規制の緩和や労働組合の力の弱体化、非正規雇用の導入などが進められました。サッチャー政権は、強力だったイギリスの労働組合に対して厳しい姿勢をとり、ストライキ権に制限を加えるなどして、労働運動の力を抑え込みました。企業にとってはコスト削減や競争力強化につながる一方、労働者にとっては雇用の不安定化や格差拡大の要因となりました。

第五に、貿易と資本の自由化です。関税や輸入規制を引き下げ、外国企業の参入や資本の流入・流出を自由にすることで、世界市場への統合を進めました。IMFや世界銀行は、財政危機に陥った途上国に対して融資を行う代わりに、貿易自由化・為替レートの統一・外資導入の促進などを求める「構造調整プログラム」を提示しました。これに従う形で、多くのラテンアメリカ・アフリカ・アジアの国々が、新自由主義的な改革を導入していきます。

こうした政策パッケージは、1990年代に「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれる合言葉として整理されました。これは、アメリカ財務省・IMF・世界銀行といったワシントンの政策関係者が共有していた、途上国向けの標準改革メニューを指す言葉で、「財政規律」「民営化」「自由化」「規制緩和」などが柱とされました。冷戦終結後、市場経済を導入する旧社会主義国に対しても、同様の路線が推奨されました。

世界経済と社会への影響:成長・格差・危機

新自由主義(改革)は、世界経済と社会にさまざまな影響を及ぼしました。ポジティブな評価としては、競争の活発化やインフレ抑制、財政赤字の縮小、効率性の向上などが挙げられます。例えば、イギリスではサッチャー改革後、インフレ率が大きく低下し、民営化された企業の一部は収益性を高めて国際競争力を回復しました。ラテンアメリカの一部の国では、ハイパーインフレが収まり、マクロ経済が安定した例もあります。

しかし同時に、新自由主義改革は、所得格差の拡大や社会的弱者への負担増大というマイナスの側面も強く持っていました。労働市場の柔軟化は、失業者や非正規雇用を増やし、安定した長期雇用の減少をもたらしました。社会保障支出の削減や公共サービスの縮小は、低所得層や地方の人びとに特に大きな影響を与えました。都市の再開発やグローバル企業の進出とともに、豊かな層と貧しい層の生活世界の格差が鮮明になっていきます。

途上国においては、構造調整プログラムに従った急激な自由化・民営化が、必ずしも期待どおりの成果をもたらしたわけではありません。貿易自由化により一部の輸出産業は成長しましたが、保護を失った地元産業や農業が打撃を受け、失業や貧困が悪化したケースも多くありました。水道や電力などの公共サービスが民営化されると、料金値上げによって貧困層の生活が苦しくなるといった問題も生じました。その結果、ラテンアメリカやアフリカでは、1990年代以降、「IMF反対」「反グローバリズム」を掲げる社会運動や政権交代が相次ぎました。

また、金融の自由化は、国際資本の流れを加速させ、短期的な投機資金が各国の市場を出入りする状況を生みました。これは、好況期には投資ブームをもたらしましたが、不安定要因も抱えていました。1997年のアジア通貨危機、1998年のロシア危機、2001年のアルゼンチン危機などは、金融の自由化と規制の弱さが組み合わさって発生した面がありました。2008年の世界金融危機(リーマンショック)も、アメリカを中心とした金融市場の規制緩和と高リスク金融商品の拡大が背景にあり、「行きすぎた新自由主義」が批判の的となりました。

さらに、新自由主義改革は政治や社会の構造にも影響を与えました。所得や資産の格差が拡大する中で、富裕層や大企業の政治的影響力が強まり、「お金を持つ者の声が通りやすい民主主義」への懸念が高まりました。公営住宅の削減や都市再開発によって、低所得層が中心部から追い出される「ジェントリフィケーション」現象も各地で見られました。教育や医療の市場化が進むと、サービスの質やアクセスが所得によって左右される度合いが強まり、「機会の平等」が揺らぐという批判も出てきました。

こうした影響を受けて、1990年代末のシアトルでのWTO閣僚会議反対デモや、世界社会フォーラムなど、「もう一つのグローバリゼーション」をめざす運動が広がりました。新自由主義に対する批判は、単なる経済政策論争にとどまらず、「人間の生活や環境を市場原理に従属させてよいのか」という価値観の問題としても提起されるようになります。

評価と今日の議論:ポスト新自由主義をめぐって

新自由主義(改革)についての評価は、大きく分かれています。推進派は、「停滞していた経済に競争と効率の論理を取り戻し、インフレ抑制や財政健全化に貢献した」と評価します。たとえば、1970年代に「英国病」とまでいわれたイギリス経済が、サッチャー改革後に一定の競争力を回復し、ロンドンが世界有数の金融センターとして発展したことを成功例として挙げます。また、国営企業の民営化によって、無駄な赤字補填が減り、サービスの質や選択の幅が広がったという指摘もあります。

一方、批判派は、「新自由主義は格差と不安定を拡大し、社会の連帯を弱めた」と主張します。高所得層に有利な減税や規制緩和は、資本や高スキル労働者には恩恵を与えたものの、低所得層や非正規労働者には厳しい競争と自己責任だけを突きつけたと批判されます。また、福祉の削減や公教育の弱体化は、「貧困の世代間連鎖」を強め、人びとが自らの力だけでは這い上がれない構造を作り出したとされます。

2008年の世界金融危機以降、「新自由主義の終わり」や「ポスト新自由主義」という言葉が頻繁に語られるようになりました。多くの国で、金融規制の強化や、景気対策としての財政出動、格差是正のための政策が再検討されています。国際的にも、IMFや世界銀行が、かつての「ワシントン・コンセンサス」をそのまま押しつけるのではなく、社会的セーフティネットの重要性や、各国の事情に応じた政策の柔軟性を認める方向に舵を切るようになりました。

とはいえ、完全に「新自由主義から決別」したわけではありません。貿易や投資の自由化、民営化や規制緩和といった要素は、多くの国の経済政策に深く組み込まれたままです。また、デジタル経済やプラットフォーム企業の台頭により、「市場の力」が巨大グローバル企業に集中する新たな段階も生まれています。その一方で、環境問題や気候危機への対応には、市場原理だけでなく、国家や国際機関による強力なルールづくりや投資が不可欠だという認識も広がっています。

今日の議論では、「市場と国家のバランスをどこに置くべきか」「効率と公平をどう両立させるか」が改めて問われています。新自由主義の時代が明らかにしたのは、「市場の自由」だけでは、持続可能で公正な社会は自動的には生まれない、ということでした。しかし同時に、過度な国家介入や硬直した官僚制が、非効率や腐敗を生むことも、20世紀の経験から明らかです。

世界史の学習において、新自由主義(改革)を理解することは、単に「サッチャーやレーガンが何をしたか」を覚えるだけではありません。戦後のケインズ主義的福祉国家がどのように行き詰まり、新自由主義がどのような期待と不安を背負って登場し、その後どのような成果と問題を生んだのかをたどることは、現在の世界経済や政治の対立ライン――格差、グローバル化、ポピュリズム、環境危機など――を読み解く鍵になります。その上で、「市場の自由」と「人間の尊厳・連帯」をどう両立させるのかという問いが、私たち自身に突きつけられていると言えるでしょう。