開催の背景と世界情勢
アジア・アフリカ会議(通称バンドン会議、Bandung Conference)は、1955年4月18日から24日にかけて、インドネシアのバンドンで開催された国際会議です。この会議は第二次世界大戦後の新しい国際秩序の中で、アジア・アフリカ地域の新興独立国が一堂に会した歴史的な出来事でした。
背景には、戦後の冷戦構造の激化と、アジア・アフリカ地域における脱植民地化の進展がありました。欧米列強の植民地支配から独立した新興国家は、アメリカとソ連という二大陣営のいずれかに従属するのではなく、自主独立の道を模索していました。特にアジアではインド(1947年独立)、インドネシア(1949年独立)、ビルマ(現ミャンマー)、セイロン(現スリランカ)、パキスタンなどが独立を果たしており、アフリカでも独立運動が拡大していました。
開催国と参加国
バンドン会議は、インドネシアのスカルノ大統領の提唱によって実現しました。開催にはインドのネール首相、エジプトのナセル大統領、ユーゴスラヴィアのチトーらが協力し、「平和五原則(平和共存五原則)」を基盤とした国際秩序の構築が意図されました。
参加国は29か国にのぼり、当時のアジア・アフリカの人口の大部分を代表しました。主な参加国は、インド、インドネシア、ビルマ、セイロン、パキスタン、エジプト、エチオピア、ガーナ(当時はまだ英領ゴールドコーストとして準備段階)、日本などです。日本は敗戦国ながら招待され、鳩山一郎首相が代表団を派遣しました。
会議の主題と議論
バンドン会議では、以下のような主要なテーマが議論されました。
- アジア・アフリカ諸国の独立と主権尊重
- 人種差別・植民地主義の否定
- 平和共存と中立外交の推進
- 経済協力と技術交流の促進
- 文化交流と相互理解の拡大
特に重要だったのは、「冷戦においてどちらの陣営にも属さない」という姿勢の確認でした。すなわち、アメリカ主導の西側陣営やソ連主導の東側陣営に従属するのではなく、「第三の道」を模索する非同盟の理念が形成されていったのです。
平和十原則
会議の成果として採択されたのが「平和十原則」です。これは中国とインドが1954年に確認した「平和五原則(領土保全と主権尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存)」を発展させたもので、以下の理念が掲げられました。
- 基本的人権と国連憲章の尊重
- すべての国家の主権と領土保全の尊重
- すべての人種の平等と大国・小国の平等
- 他国の内政への不干渉
- 各国が自ら防衛を行う権利の尊重
- 集団的防衛体制や大国の圧力による特定陣営への強制反対
- 侵略や脅迫の禁止
- 国際紛争の平和的解決
- 相互の利益と協力の促進
- 正義と国際義務の尊重
これらはその後の非同盟運動や国連における新興国外交の基本理念となりました。
会議の意義
バンドン会議は「アジア・アフリカ諸国の連帯」を象徴する歴史的事件でした。それまで国際政治の舞台は欧米列強に支配されていましたが、新興独立国が集団として発言権を持ち、国際社会に新たな潮流を作り出した点で画期的でした。
この会議を契機に、1961年にはユーゴスラヴィアのベオグラードで第1回非同盟諸国首脳会議が開かれ、非同盟運動が本格化しました。冷戦構造の中で「第三世界」の存在感を国際的に示す出発点となったのです。
日本にとっての意義
日本は敗戦からわずか10年でこの会議に招待され、国際社会への復帰を印象づける契機となりました。特にアジア諸国との関係改善に努め、植民地支配の過去を清算する姿勢を示す必要がありました。日本代表団は会議で経済協力の重要性を訴え、戦後の国際的立場を強化することに成功しました。
歴史的評価
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)は、冷戦下における第三勢力の誕生を告げるとともに、非同盟運動の礎を築いた歴史的な国際会議でした。その意義は、アジア・アフリカ諸国が独自の立場から世界秩序に発言する道を切り開いた点にあります。
今日においても、バンドン会議は「南南協力」や「グローバル・サウス」の原点として記憶され、国際関係史における重要な節目として評価されています。

