アルザス – 世界史用語集

アルザス(Alsace, 独: Elsass)は、ライン川上流の西岸(現在のフランス北東部)に位置する歴史地域で、ヴォージュ山脈とライン低地にまたがる地理と、ドイツ語系文化とフランス国家の文脈が交差する歴史を特徴とします。中心都市ストラスブールは古代の軍都アルゲントラトゥム(Argentoratum)にさかのぼり、印刷・宗教改革・合唱伝統の拠点として栄え、近現代には欧州統合の象徴都市となりました。アルザス語(アレマン語系の方言群)とフランス語、カトリックとプロテスタントが共存してきた社会であり、法制度でも「アルザス=モゼル地方のローカル法(Droit local d’Alsace-Moselle)」やナポレオン期のコンコルダートが存置されるなど、特別の地位を保っています。

地域像を押さえる鍵は三つあります。第一に、アルプスへ向かう大回廊の一部としての地政と交易です。ヴォージュを越える峠道、ライン川の舟運、運河(マルヌ=ライン運河など)が都市と葡萄産地をつなぎました。第二に、神聖ローマ帝国からフランス王国、ドイツ帝国、第三共和政を経て欧州連合へと連なる主権の変転です。第三に、印刷・神学・合唱文化と機械・化学・医療・EU機関を結ぶ知の蓄積と更新です。これらが重なり合って、アルザスは「周縁にして中心」という二重の顔を獲得しました。

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地理・社会・制度の輪郭:ヴォージュとライン、二言語・二宗派、ローカル法

アルザスは西をヴォージュ山脈、東をライン川とその沖積低地に囲まれ、気候は内陸性で比較的乾燥します。ヴォージュ東麓の斜面は日照と排水に恵まれ、リースリングやゲヴュルツトラミネールなど白ワイン品種に適したブドウ段丘が広がります。木組み家屋が並ぶ古い市街と、城塞・修道院・城館が残る丘陵は、中世以来の景観資産です。都市としては、北のストラスブール、南のミュルーズ(独工業との連携で発展)、コルマール(古都・美術館とワイン貿易)などが中核です。

言語は歴史的にアルザス語(Elsässisch)とフランス語が併存してきました。アルザス語はアレマン語群に属し、バーデンやスイス北部の方言と近縁です。近代以降の言語政策と都市化の進展でフランス語が優勢化しましたが、近年は学校・文化団体で二言語教育や地域語の保存が試みられています。宗教面ではカトリックとルター派・改革派がともに深い根を持ち、音楽(コラール、合唱、オルガン)の伝統が厚いです。

制度面の注目点は、ドイツ帝国領編入(1871–1918)と戦後の特例から生じたアルザス=モゼル地方のローカル法です。日曜休業や社会保険、協会法(1908年法)などの規定が本土(フランス全土の一般法)と一部異なり、コンコルダート(1801年)の存置によって公教育における宗教授業や聖職者給与の扱いが特例となっています。行政区分としては、長らくバ=ラン県(北)とオー=ラン県(南)に分かれ、2016年にグラン・テスト圏が成立、さらに2021年に両県が統合されアルザス欧州共同体(Collectivité européenne d’Alsace)となり、越境協力・道路管理・言語政策などで拡張権限を持つようになりました(地域圏としてはグラン・テストに属しつつ、県の機能を上位統合した特別団体です)。

形成史:ローマから中世・近世へ——帝国都市、宗教改革、フランス編入

古代、ストラスブールはローマ軍団の駐屯地アルゲントラトゥムとして出発し、城壁と道路網の結節として栄えました。ゲルマン系諸族の移住の波を経て、カロリング朝下ではエティコ家(ドイツ語名エティショーネン)に連なる公爵家が地域支配の核となり、聖女オディール(モン・サントディール修道院)がアルザス精神史の象徴となります。中世には、ストラスブールは1262年のハウスベルゲンの戦いを契機に帝国自由都市として自立し、司教支配から離れて都市コミューンの自治を確立しました。都市連合・ギルド・市場権・河川通行権が経済の要でした。

15〜16世紀、印刷業と大学的学知が伸び、ストラスブールは人文主義の拠点となります。宗教改革ではマルティン・ブツァー(Martin Bucer)が和解的神学を模索し、ルター派・改革派の橋渡し役を演じました。市政と教会編成の一体改革、礼拝の音楽文化の整備など、アルザスのプロテスタント文化はこの時代に決定的に形づくられます。

17世紀、三十年戦争の帰結としてヴェストファーレン条約(1648)により、ハプスブルク家のアルザスにおける諸権利がフランスへ移譲され、続く再統合政策(Réunions)のなかでストラスブールは1681年にルイ14世により併合されました。とはいえ、法慣習・言語・宗教の多様性は長く保持され、特にストラスブール大聖堂と市の自治は、王権下でも固有の伝統を保ちました。18世紀にはアルザスはフランス王国の東の門戸として交易が活性化し、綿織物・染色(のちのミュルーズ工業都市化の基盤)や農業・葡萄栽培が発達しました。

近現代史:アルザス=ロレーヌ、両大戦、欧州統合の拠点へ

1870–71年の普仏戦争の敗北により、フランクフルト講和条約でアルザスとロレーヌの一部(モゼル)がドイツ帝国に編入され、帝国直轄領「エルザス=ロートリンゲン」が成立しました。ドイツ語が公用化され、高等教育・都市計画・鉄道が整備される一方、フランス帰属を望む住民の移住やアイデンティティの分裂が生じました。第一次世界大戦後、1918年にフランスへ復帰し、ヴェルサイユ条約で確定します。この際、1871–1918の間に整備された法制度の一部は有用と判断されて継承され、のちに「ローカル法」として体系化されます。

第二次世界大戦中、アルザスはドイツにより事実上編入され、バーデンと結合したガウ体制下で強制同化政策が行われました。徴兵・言語・教育・文化の徹底的なドイツ化が試みられ、抵抗と協力の記憶が地域社会に深い影を落とします。バ=ラン県のナッツヴァイラー=シュトルホフ強制収容所(Natzweiler-Struthof)は、現在のフランス領内に設置された唯一のナチス強制収容所であり、記憶の場として重要です。1944–45年の解放後、フランスへの帰属は再確認されました。

戦後、ストラスブールは欧州統合の象徴都市として位置づけられ、欧州評議会(1949)、欧州人権裁判所、そして欧州議会の公式議場の一つが置かれました。国境を越える上ライン地域は、フランス・ドイツ・スイスの三国協力(オーバーライン会議、ユーロエアポート・バーゼル=ミュルーズ)や、研究・医療(ストラスブール大学・IGBMC・病院群)・産業(自動車・化学・医療機器)で密に結びつき、アルザスの「越境性」は制度化されました。マジノ線の堡塁群や戦跡は、20世紀の国境防衛の遺産として保存・観光資源化されています。

現代のアルザス:特別団体、経済・文化、学習の要点と用語

2021年、バ=ラン県とオー=ラン県は統合されアルザス欧州共同体が発足し、道路網(国道の移管)、観光推進、二言語教育、越境協力(ライン橋梁・公共交通連携・労働市場調整)などで独自の権限を持つようになりました。地域圏グラン・テストとの二層構造は議論を呼びますが、実務上は越境課題(渋滞・大気質・賃金差に伴う通勤者問題)に即した運用が進みます。

経済は、ワイン(AOCアルザス、アルザス・グラン・クリュ)、農食品(チーズ・ハム)、機械・化学・医療・製薬、観光が柱です。観光は「アルザス・ワイン街道」やクリスマスマーケット(ストラスブールは「クリスマスの首都」を標榜)、木組みの古街、修道院・古城(オー=ケーニヒスブール城)などが牽引します。食文化では、シュークルート(ザワークラウトの煮込み)、タルト・フランベ(フラムクーヘ)ベッコフ(肉と野菜の煮込み)、クグロフ(発酵菓子)が代表格で、ビール醸造も盛んです。クラフトビールや自然派ワインなど、新旧の技術革新が共存します。

文化・教育では、ストラスブール大学を中心に人文・医学・工学が強く、言語教育ではフランス語とドイツ語の二言語運用を掲げる校種が拡大しています。音楽は合唱・オルガンが伝統的強みで、教会音楽と現代音楽祭(ムジカなど)が同居します。建築・都市空間では、旧市街グラン・ディル(ユネスコ世界遺産)と、ライン沿いの近現代建築(EU機関群・リヴ=エトワール再開発)がコントラストを作ります。

学習上の要点は、①地理(ヴォージュ—ライン、葡萄段丘と運河)と社会(言語・宗教の複合)をセットで押さえる、②1648ヴェストファーレン・1681ストラスブール併合という近世転機、③1871–1918のエルザス=ロートリンゲン期とローカル法の由来、④1944–45の解放と戦後の欧州機関立地、⑤2021のアルザス欧州共同体という現代的枠組み、の五本柱です。用語では、〈アルザス=ロレーヌ〉は歴史的行政単位で、現代のグラン・テストやアルザス欧州共同体と厳密に区別すること、〈アルザス語〉はドイツ語系方言であって標準ドイツ語とは別であること、〈コンコルダート存置〉や〈ローカル法〉が特例であること、を明確にしておくと混乱が減ります。