工場制手工業(マニュファクチュア) – 世界史用語集

工場制手工業(マニュファクチュア)とは、機械制大工業へ移行する前段階に広まった生産の形で、手作業を基本としながらも、多数の労働者を一ヶ所に集め、厳密な分業と監督のもとで大量生産を行う方式を指します。問屋制家内工業のように各家庭に仕事を配って仕上げさせるのではなく、工場(マニュファクトリー)に労働者と道具を集中させ、原料の受け入れから途中加工、仕上げ、検査・梱包に至る工程を連続化する点が核心です。動力の中心は人力・手道具ですが、水力・風力・畜力を補助的に使うこともあり、やがて蒸気機関の導入によって機械制工業へ接続していきました。ギルドの解体や農村労働力の都市流入、国家の重商主義政策、国際市場の拡大が背景にあり、労働・資本・市場の関係を大きく作り替えた制度的転換点でもあります。以下では、成立背景と仕組み、地域別の展開、労働と社会への影響、機械制大工業への移行という観点から、わかりやすく整理して解説します。

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成立背景――ギルド秩序の動揺と重商主義、国際市場の拡大

中世以来の都市手工業は、同職者組合(ギルド)が技能・価格・品質・徒弟制度を統制する仕組みに支えられていました。ところが16世紀以降、人口の増加と海外交易の拡大、国家財政の需要増大にともない、ギルドの「小規模・手堅い生産」では市場の需要に応えきれなくなります。特に毛織物や絹、綿織物、ガラス、造船、金属加工などで大量かつ均質な供給が求められ、商人資本はギルドの外側に新たな生産組織を模索しました。

このとき並行して広がったのが「問屋制家内工業(プッティング・アウト・システム)」と「工場制手工業」です。前者は原料を農家に貸し与え、出来高で回収する外注方式、後者は労働者と道具を工場に集め、監督者(オーバーシーアー)が工程を管理する集中方式です。国家は重商主義の立場から、奢侈品や軍需品を中心に王立工場・特許工場(フランスのコルベール体制におけるマニュファクチュール・ロワイヤル等)を保護し、関税や品質規格、補助金で後押ししました。農村では囲い込み(エンクロージャー)や地代上昇が自営農民を圧迫し、農業外収入を求める人々が家内工業や都市工場に吸収されていきます。

思想面では、アダム・スミスが『国富論』(1776年)でピン製造の分業例を提示し、工程の細分化が労働生産性を飛躍的に高めることを理論化しました。これは工場制手工業の実践を思想的に裏づける説明となり、分業・規律・監督の経済合理性が可視化されていきます。

仕組みと特徴――分業・監督・標準化、そして「手作業の大量生産」

工場制手工業の核心は、(1)工程の細分化、(2)空間の集中、(3)労働規律と監督、(4)品質・寸法・時間の標準化、にあります。たとえば毛織物なら、原毛の選別→洗い→梳き→紡ぎ→整経→織り→縮絨→起毛→仕上げ→検査→梱包といった段階を、熟練度と性別・年齢に応じて割り当て、現場監督が歩留まりと作業速度を管理します。道具は手車・足踏み機・台鉋・ハンマー・手紡ぎ具などで、作業台と通路、窓や採光、換気、火気取扱いの規則が決められました。

集中化には三つの利点がありました。第一に、道具・原料・燃料・作業場を共有することで固定費を下げ、工程間の運搬コストを削減できること。第二に、現場監督が品質・速度を直接チェックし、不良率を低下させられること。第三に、知識の共有と職能分化が同時に進み、熟練の移植と新技術の吸収が容易になることです。結果として、単位時間当たりの生産量は家内工業に比べて大幅に増し、受注に応じたロット生産や規格化が可能になりました。

もっとも、工場制「手工業」である以上、決定的な生産力の飛躍は限定的で、動力や主要工程は人力・手道具に依存します。水車や風車、馬力の補助が導入されても、機械制大工業のような連続駆動・自動化は未発達です。この「半集中・半手工」の性格が、のちの蒸気機関の導入を受けて、機械と分業の結合へ一気に転化します。

地域別の展開――イギリス、フランス、ドイツ・プロイセン、ロシア、インド、東アジア

イギリスでは、毛織物や金属加工、陶器(ウェッジウッドなどの工場的生産)、造船で早くから工場制手工業が定着しました。スタッフォードシャーの陶業は、分業・規格・釉薬の統一によって品質の均一化に成功し、販路は国内の他、北米・西インド諸島へ伸びました。綿工業では、家内手工の段階から水力紡績機(アークライト)やミュール(クロンプトン)が導入され機械化に踏み出しますが、その橋渡しの時期には、手作業工程(紡ぎ・梳き・整経・仕上げ)の工場内分業が生きました。鉄では、ハンマー鍛造・釘製造・工具製造で、家内職人を工場へ集める方式が多く用いられました。

フランスでは、コルベールの重商主義のもと、王立工場が絹織物(リヨン)、ガラス(サン=ゴバン)、タペストリー(ゴブラン)、武器・軍服などで整備されました。これらは国家需要に結びつく高付加価値製品で、厳格な規格・検査・商標が導入されました。他方、地方には家内工業と工場制手工業が併存し、パリ近郊の織物や金属細工、ノルマンディーの綿などで分業工場が増加します。

ドイツ・プロイセンでは、糸・布・金属の分野で官営・特許工場がつくられ、関税同盟(ツォルフェライン)後には国内市場の統合が進み、多数の中規模工場が都市に集中しました。工学教育と兵器生産が結びつき、精密加工や鉄道資材での工場制生産が拡大します。

ロシア帝国では、17~18世紀にウラルの製鉄・製鋼で大規模な工場制手工業が展開し、農奴を工場に付属させる「工場農奴制」が特徴となりました。広大な森林資源による木炭製鉄と水力、国営需要(軍需)に支えられ、半ば強制的な労働動員と監督が行われました。

インドでは、ムガル期の都市における高級綿織物・更紗工房が集合的に生産を進め、欧州東インド会社はこれを組織的に発注して国際市場へ供給しました。ここでの工場は、欧州型工場制手工業とは必ずしも同一ではありませんが、監督者の下で分業と検査が進む「工房の集中」という点で共通性があります。のちにイギリスの機械制綿工業の台頭で、インドの手工業は価格競争に苦しむことになります。

東アジアでは、中国の絹・陶磁・茶において、都城や港市周辺に大規模な作坊群(工房群)が集まり、役所や商人が監督する半官半民の集中生産が行われました。日本でも近世後期、銅・製糸・綿織・和紙などで「座繰り・共同工場」や藩営・民営の集中工房が作られ、監督者が品質・納期を統制します。薩摩の集成館事業(19世紀半ば)は機械制の要素を含む先進的工場群ですが、その前段には分業と集中の手工業的生産が広く存在しました。明治維新後の富岡製糸は本格的な機械制ですが、そこへ至る地域の座繰り製糸の分業・検査は、工場制手工業的な前史といえます。

労働と社会――規律・労働時間・女性と児童、都市と農村の再編

工場制手工業は、労働のあり方を大きく変えました。家族単位で自宅のペースで働く家内工業に比べ、工場では決まった始業・終業、休憩時間、遅刻・欠勤の罰則、歩合と日給の併用、品質検査による賃金控除など、厳密な労働規律が導入されました。生産の「時間化」が進み、鐘・笛・時計が労働時間を可視化する象徴となります。労働日は長く、14~16時間に達することも珍しくありませんでした。

女性と児童の就労は、軽作業・細作業の多い手工工程と親和性が高く、糸繰り・整理・仕上げ・検査などに多く配置されました。賃金は成人男性より低く抑えられ、家計補助的に組み込まれましたが、工場内の事故・疾病、監督とのトラブルは社会問題化します。これに対し、慈善学校や救済組織、のちには労働保護立法が登場しますが、工場制手工業の時代は、保護制度が未発達で労働者が脆弱な環境に置かれた時期でもありました。

都市と農村の関係も再編されます。農村の余剰労働が季節ごとに工場へ流入し、都市は市場・金融・物流の中枢として膨張しました。宿屋・飯場・質屋・両替商・信用組合が工場周辺に集まり、工場主は社宅・救貧・教化事業で労働力を囲い込みます。一方、ギルドの解体と家内職の衰退は、自治と誇りの源泉を失わせ、労働者は個別の賃労働者として資本との非対称な関係に置かれます。やがて職工組合・フレンドリー・ソサエティ、相互扶助が芽ばえ、労働運動の土壌が形成されました。

機械制大工業への移行――蒸気・鉄・綿、そして「工場」の再定義

18世紀末から19世紀前半、蒸気機関の改良、綿紡績機械の普及、鉄の大量生産(コークス精錬・パドル法など)が相次ぎ、工場は「機械が人を駆動する空間」へと変貌します。工場制手工業で培われた分業・監督・規格・会計の技法は、機械制の導入によって一段と効果を発揮し、作業は機械のタクトタイムに従属するようになります。労働者は機械のオペレーター・保守員となり、技能の性質が変化しました。投資規模は跳ね上がり、資本調達・株式会社・銀行・保険といった金融インフラが生産を支えるようになります。

工場制手工業の段階で未解決だった課題――賃金の安定、労働保護、教育、都市衛生、環境――は、機械化と規模拡大の中で一層深刻化しました。他方で、製品価格の低下と供給の安定は消費社会の基礎を築き、国内市場の統合と国際分業を加速させます。この意味で、工場制手工業は単なる過渡期ではなく、近代的生産社会の「制度と習慣」を先行して整えた時代でした。

比較と用語の整理――家内工業・工場制手工業・機械制大工業

最後に用語を整理します。家内工業(問屋制家内工業)は、農家や職人の家に原料を配り、出来高で回収する分散型生産で、時間管理と監督は緩やかです。工場制手工業は、労働者・道具・原料を一つ所に集め、手作業中心で分業・監督を強めた集中型生産です。機械制大工業は、蒸気などの動力で機械が連続的に工程を駆動し、大資本・大量労働力・大市場を前提とする段階です。現実には三者が混在し、産業・地域ごとに移行時期が異なりますが、この区別を押さえると、近代経済の起点が立体的に見えてきます。

総じて、工場制手工業(マニュファクチュア)は、手作業でありながら「工場」という空間と規律、分業と監督、標準化と市場対応を備えた、近代工業の準備段階でした。そこでは、時間が管理され、人が集められ、工程が切り分けられ、品質と価格が数値で語られるようになりました。その習慣は、やがて機械と蒸気が主役を奪っても、なお工場の奥底で生き続け、現代の生産管理や労務管理の基層を成しています。