イスラーム暦 – 世界史用語集

イスラーム暦(ヒジュラ暦)は、イスラーム教徒の宗教生活を律する純太陰暦で、1年を12の月(各29または30日)から構成し、おおむね354日(うるう年は355日)で回転する暦法です。年号はヒジュラ(ムハンマド一行のメディナ移住)を紀元とし、「AH(Anno Hegirae/ヒジュラ歴)」と表記します。宗教行事――断食月ラマダーン、開斎祭(イード・アル=フィトル)、犠牲祭(イード・アル=アドハー)、巡礼期(ズー・アル=ヒッジャ月)など――の日付決定は基本的にこの暦に依拠します。他方、多くの国では行政・経済の実務でグレゴリオ暦(太陽暦)を併用・主用しており、宗教暦と公暦の二層構造が一般的です。以下では、用語と起源、暦の仕組み、実務と地域差、換算と史料上の注意の順で要点を整理します。

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用語と起源—ヒジュラを紀元とする純太陰暦

イスラーム暦は「ヒジュラ暦」とも呼ばれます。「ヒジュラ(ヒジュラ)」はムハンマドと初期信徒がメッカからヤスリブ(のちのマディナ)へ移住した出来事を指します。共同体の自己定義と政治的独立の転機であることから、暦の起点(紀元)に選ばれました。制度としての暦年号の導入は、第2代カリフのウマルの治世(7世紀)に整備されたと伝えられ、紀元1年(AH 1)は移住の年に遡って設定されます。通例、ユリウス暦で622年7月16日頃がムハッラム1日(AH 1)に相当するとされます。以後、年は「AH n年」と数え、同一年号でも太陽暦より短い周期で巡るため、季節との結びつきは持ちません。

名称については、「イスラーム暦」「ヒジュラ暦」「回教暦」などの表記が流通してきましたが、現代日本語では宗教名に即した「イスラーム暦」または歴史起点を明示する「ヒジュラ暦」の用語が中立です。年号の接尾には「AH」を付すのが国際的慣行で、西暦(CE/AD)との併記が研究・実務では一般的です。

暦の仕組み—月の見え(ヒラール)と月名・うるう・日付の切り替え

イスラーム暦は純太陰暦です。月は新月の細い三日月(ヒラール)が観測されることをもって始まります。各月は29日または30日で、朔望の周期(平均29.53日)に即して交互または近似的に配列されます。宗教実務では、多くの地域で実際の目視(ルイヤ)が重視され、天候や地理の条件、宗教当局の告示により月初が1日前後ずれることがあります。これに対し、公的なカレンダーや印刷物、デジタル機器では、天文学計算(ヒサーブ)に基づく暦を採用して事前に年間予定を提示する方式も広く用いられます。

年の長さは平年354日、うるう年355日です。天文学計算による「表ヒジュラ暦(Tabular Islamic Calendar)」では、30年を1周期として11回のうるう年を置くのが通例で、ズー・アル=ヒッジャ月(第12月)に1日を加えて調整します。しばしば挙げられる配列例では、周期内の第2・5・7・10・13・16・18・21・24・26・29年がうるう年です。ただし、これはあくまで便宜的な近似であり、宗教儀礼の日付は各地域の告示(目視基準)を優先するのが原則です。

月名は以下のとおりです(括弧内は一般的な転写)。第1ムハッラム(Muḥarram)、第2サファル(Ṣafar)、第3ラビーウ・アル=アウワル(Rabīʿ al-awwal/ラビーウⅠ)、第4ラビーウ・アッ=サーニー(Rabīʿ al-thānī/ラビーウⅡ)、第5ジュマーダー・アル=ウーラー(Jumādā al-ūlā/ジュマーダーⅠ)、第6ジュマーダー・アル=アーヒラ(Jumādā al-ākhira/ジュマーダーⅡ)、第7ラジャブ(Rajab)、第8シャアバーン(Shaʿbān)、第9ラマダーン(Ramaḍān)、第10シャウワール(Shawwāl)、第11ズー・アル=カアダ(Dhū al-Qaʿda)、第12ズー・アル=ヒッジャ(Dhū al-Ḥijja)です。第9月ラマダーンが断食月、第10月の初日が開斎祭(イード・アル=フィトル)、第12月の10日頃が犠牲祭(イード・アル=アドハー)、同月8~13日頃がメッカ大巡礼(ハッジ)の中心期間です。

日付の切り替えにも特徴があります。宗教実務では、日没をもって新しい日が始まると理解されます(例えば、金曜礼拝の「金曜」は、木曜の日没後から始まる計算です)。公的刊行物やデジタル暦では便宜上、深夜0時切り替えが併用されることがありますが、礼拝・断食・祭儀の実施はあくまで日没基準で判断します。この「日没始まり」は史料の読解や出来事の比定に小さくない影響を与えます。

純太陰暦であるため、イスラーム暦の月は季節と固定的に結びつきません。太陽暦に対して毎年概ね10~11日ずつ前倒しで巡り、約33年で四季を一巡します。したがって、ラマダーンは数十年のスパンで夏にも冬にもめぐり、断食の体感は地域の緯度・季節によって大きく異なります。

実務と地域差—目視と計算、公暦との併用、宗教行事の運用

イスラーム暦の運用は、大きく「目視主義(ルイヤ)」と「計算法(ヒサーブ)」の二つの志向のあいだで調整されてきました。目視主義では、各地の宗教当局がヒラール(新月弧)の確認を経て月初を宣言し、隣国・在外コミュニティはその告示を参照します。雲量や地形、観測技法の違いで結果が分かれることは珍しくありません。計算法は、天文学計算に基づき一定の基準(例えば、日没時に月齢・高度・太陽との離角が所定値を満たすか)を満たすかで月初を予告する方式で、印刷物や学校行事、ビジネス計画に適します。

サウジアラビアの公用暦として知られる「ウンム・アル=クラ暦(Umm al-Qurā)」は、メッカを基準点に天文学計算で月初を決める近代的方式で、官庁・企業の実務、航空券・ホテルの予約、デジタル機器の標準で広く参照されます。ただし、ラマダーン開始やイードの最終決定は宗教当局の告示が優先され、ウンム・アル=クラの事前予定と1日程度ずれることがあります。トルコや北アフリカの一部では、全国的に計算法を採用して統一を図る例が増え、欧米のムスリム団体でも教育・職場配慮の観点から計算法を用いることが一般化しています。

多くのアラブ諸国は行政ではグレゴリオ暦、宗教ではイスラーム暦を用います。トルコ共和国は1920年代に完全にグレゴリオ暦へ移行しました。イランとアフガニスタンは同じ「ヒジュラ」を紀元としつつ、太陽年に基づく「太陽ヒジュラ暦(ペルシア暦)」を公暦に採用しており、イスラーム暦(太陰)とは別物です。近代オスマン帝国には、財政実務を太陽年に合わせた「ルーミー暦」も存在しました。こうした「ヒジュラ」由来の複数暦法の併存は、研究や文書実務での取り違えの原因となりがちです。

宗教行事の運用では、ラマダーンの開始・終了、二つのイード、巡礼の期日が最重要です。特にラマダーンは教育機関や労働時間、公共サービスの運営に直結するため、各国は数日前から「ほぼ確実な見込み」を公表しつつ、最終的には観測結果に従います。巡礼(ハッジ)はサウジ当局の暦・告示に準拠し、世界の巡礼者が統一日程で儀礼を行います。ディアスポラ社会では、宗教評議会やモスクが採用方式(目視・計算)を声明し、地域の一体性を保つためにルールを明確にする努力が続けられています。

デジタル環境では、スマートフォンやPCの「イスラーム暦」表示が計算法ベースであることが多く、宗教当局の実際の告示と齟齬を生むことがあります。重要行事の最終確認は現地モスクや公的機関の発表を参照するのが安全です。

換算と史料上の注意—グレゴリオ暦との対応、記録解釈のコツ

イスラーム暦(太陰)とグレゴリオ暦(太陽)は年の長さが異なるため、年号の相互換算には注意が必要です。概算では、西暦年 ≒ ヒジュラ年 × 0.97023 + 621.57 という一次近似が知られますが、正確な日付変換には、どの暦法(目視/表暦/ウンム・アル=クラ等)を採用するかを確定し、該当年のうるう配列を反映した計算が必要です。歴史史料では、同じ出来事にヒジュラ暦とユリウス/グレゴリオ暦の両日付が併記されることがあり、地域と制度の差を踏まえて読み解くと誤差を抑えられます。

また、宗教実務における「日没始まり」を念頭に置くと、夜間の出来事の「日付」が現代の感覚とずれる理由が理解できます。例えば、グレゴリオ暦で月曜の夜(20時)に起きた出来事は、イスラーム暦ではすでに翌日(火曜)に属する可能性があります。年代記や法文書の「〇年ラマダーン27日夜」などの記載は、こうした日付の切り替えを反映しています。

用語の注意として、「ラビーウⅠ/Ⅱ」「ジュマーダーⅠ/Ⅱ」は近年、原語の区別に合わせて「ラビーウ・アル=アウワル/アッ=サーニー」「ジュマーダー・アル=ウーラー/アル=アーヒラ」と表記されることが増えました。学術や教育現場では、略称と正式名を適切に併記すると混乱を避けられます。

最後に、イスラーム暦は宗教・共同体のリズムを刻む装置であると同時に、王朝史・社会史・経済史の一次史料を読む鍵でもあります。貨幣銘文や碑文、ワクフ文書、裁判記録、旅日記などはヒジュラ年号を基本とするため、暦の仕組みと地域差、換算法の基礎を押さえておくことが、正確な歴史理解に直結します。実務では、公的行事は各国の宗教当局の告示、事前の計画は計算法カレンダー、学術的検証は採用暦の明示――この三点を使い分けることが、混乱を避けるコツです。