インディアスとは、もともと「インド諸地域」を指す広い言葉でしたが、大航海時代以降は主にスペイン帝国が支配した「新世界」—すなわちアメリカ大陸の征服地とフィリピンを含む太平洋方面—を総称する名称として使われました。コロンブスがアジアのインド(東方)に到達したと誤認したことに由来し、ヨーロッパの地図と言語の中で「西(新)インディアス」と「東インディアス」が併存することになりました。歴史用語としての「インディアス」は、とりわけスペインの行政と法、交易の制度、先住民社会の再編、宗教布教と混合文化の展開を一括して語るための鍵語です。本稿では、語の射程と由来、スペイン帝国下の統治システム、銀と大西洋・太平洋を結ぶ交易、社会と法の枠組み、そして長期的な変容までを、入試頻出のポイントを押さえつつわかりやすく整理します。
語の射程と由来:西と東の「インディアス」
「インディアス」はラテン語とスペイン語の Indiae / Indias に由来し、もともとはユーラシアの東方世界を大づかみに呼ぶ表現でした。15世紀末、コロンブスは西回りでアジアに至る航路を探り、カリブ海の島々に到達した際、それを「インドの島々」と誤認しました。この誤認は単なる勘違いではなく、当時の地理知識と商圏観念の延長上で生まれたもので、以後カリブ海域とアメリカ大陸の広範な地域は「西インディアス(インディアス・オクシデンタレス)」と呼ばれ、アジアの香料諸島・インド洋世界は「東インディアス(インディアス・オリエンタレス)」と区別されます。
スペイン帝国では、アメリカとフィリピンを含む海外領域を総称して「ラス・インディアス」と呼びました。ここには、メキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)やペルーを軸とする副王領のほか、カリブ海の島々、ラプラタ・チリ・ニューグラナダ、さらにマニラを中心とするフィリピン諸島までが含まれます。つまり「インディアス」は、地理的には大西洋と太平洋をまたぎ、制度上はスペイン本国とは別建ての行政・司法・財政の体系で運営された、巨大な「海外世界」の総称でした。
同時代のポルトガルも「東インド」交易を担い、のちにオランダ・イギリスが「東インド会社」を設立するなど、「インディアス」はヨーロッパ各国の帝国的想像力を支えるキーワードとなりました。ただし本稿で中心的に扱うのは、歴史用語として最も頻出し、法と行政のまとまりをもったスペインの「インディアス」です。
統治のしくみ:評議会・商館・副王領と地方秩序
スペインのインディアス統治は、多層の機関が分担し合う仕組みで支えられました。最上位にはセビリャ(のちカディス)に置かれた「インディアス枢密院(コンセホ・デ・インディアス)」があり、国王に直属して立法・司法・監督機能を担いました。海外との交易独占を担ったのが「カサ・デ・コントラタシオン(貿易管理院)」で、航路・積荷・税関・航海地図の管理や、航海者養成、海図作成まで司り、インディアスと本国の物資と情報の結節点となりました。
現地側の大枠は「副王領」によって構成されます。16世紀に設置されたヌエバ・エスパーニャ(首都メキシコシティ)とペルー(首都リマ)を皮切りに、18世紀にはニューグラナダ(ボゴタ)とリオ・デ・ラ・プラタ(ブエノスアイレス)が加わりました。副王の下には高等法院「アウディエンシア」が置かれ、司法と行政の監督を行います。地方では都市自治体「カビルド(カブildo)」が公共事業や秩序維持を担い、王の代理監察官「ビシタドール」、のちには徴税・行政を再組織する「インテンデンテ(地方監察官)」制度が導入され、ボルボン改革期に中央集権化が進みました。
征服の初期段階では、先住民に対して労働と貢納を割り当てる「エンコミエンダ」や、交易品の強制配布「レパルティミエント(しばしば強制購買)」などの制度が用いられました。アンデス地域では前インカ期からあった輪番制労役「ミタ」が銀山労働へ転用されます。これらは地域社会の再編を促すと同時に、過酷な負担と人口減少を招き、早い段階から法的規制と倫理的批判の対象となりました。
法制度の整備も重要です。先住民保護を含む包括的な規範として「インディアス法(レジェス・デ・インディアス)」が編纂され、1542年の「新法」はエンコミエンダの世襲禁止などを掲げました。条文と現地慣行の乖離、植民者の抵抗により運用は揺れましたが、「王権は先住民を被保護者とみなす」という原理が、公文書・裁判・布告の言語で繰り返し確認され続けた点は見逃せません。これは道徳と統治の双方をめぐる長期の妥協と緊張の歴史でした。
インディアス経済:銀、砂糖、そして大西洋と太平洋を結ぶ回路
インディアスの経済史を一言で捉えるなら、「銀を核にした二つの海の結節」です。16~17世紀、ポトシ(ボリビア)やサカテカス(メキシコ)で産出された膨大な銀は、王室の百分の一税(キンタ)とともにセビリャに向かい、ヨーロッパの金融と戦費を支えました。銀は同時にアジアへの扉も開きます。メキシコのアカプルコとフィリピンのマニラを結ぶ「ガレオン貿易」は、メキシコ銀を東アジアの絹・陶磁・香辛料と交換し、太平洋を横断する世界規模の物流を常態化させました。マニラに集まった華商(サンギレ)とスペイン商人の取引は、インディアスがアジアとの連結点であった事実を雄弁に物語ります。
カリブ海域と北東ブラジルの砂糖プランテーションは、アフリカからの奴隷労働に依存しながら拡大し、カカオ、インディゴ、タバコ、後にはコチニール(赤色染料)などの商品作物も加わっていきました。スペインは当初、セビリャの独占と船団制度(インディアス艦隊)で貿易を管理しましたが、密貿易と私掠、他国の侵入が絶えず、18世紀後半にはボルボン改革の一環として「自由貿易(コメルシオ・リブレ)」勅令が出され、帝国域内港湾間の交易が弾力化します。これによりブエノスアイレスなど南方の港が躍進し、銀と牛皮・干し肉の回路が再編されました。
この経済構造は現地社会を大きく組み替えました。鉱山都市の周囲には労働供給のための再定住(レドゥクシオン)が進められ、銀精錬のための水銀(ウアナカヴェリカ)の供給網が組み込まれました。都市ではギルド的な職人組織や商人層が力を持ち、農村では先住民共同体と大農園(ハシエンダ)が土地と労働をめぐってせめぎ合いました。経済の中心が変われば、権力と文化の中心もまた移動していきます。
宗教・社会・法:布教、混血、論争と妥協の四百年
征服と並行して進んだのが、カトリックの布教でした。フランシスコ会・ドミニコ会・イエズス会などの修道会は、学校や医院の設立、文字と芸術の教育、先住民言語の文法書・辞書の編纂を通じて新しい共同体を形づくりました。ミッションの空間は、単なる宗教施設ではなく、文化変容と交渉の場でした。教会建築や祭礼、音楽、絵画には、先住民的要素とヨーロッパ的要素が混ざり合い、地域ごとの独自スタイルが生まれます。
社会構造は多層化しました。半島生まれのスペイン人(ペニンスラール)、アメリカ生まれのスペイン系(クリオーリョ)、先住民(インディオ)、アフリカ系(ネグロ)、そして混血(メスティーソ、ムラート、サンボなど)という多様な出自が同居し、18世紀には「カースタ絵」と呼ばれる混血類型の図像まで登場します。こうした分類は法的身分や課税、職業機会に影響し、差別と交渉の両方を生みました。他方で都市のサロンや大学、印刷物の世界では、学問・文学・科学の新しい潮流が共有され、クリオーリョの自意識が育っていきます。
倫理と法をめぐる論争は早くから噴出しました。帯剣した征服者の暴虐に対し、ドミニコ会士ラス・カサスは先住民の人間としての尊厳を激しく擁護し、エンコミエンダの廃止と穏健な布教を主張しました。1550~51年の「バリャドリッド論争」では、ラス・カサスとセプルベダが自然法と征服の正当性をめぐって理論戦を展開します。結果は明確な勝敗に帰しませんでしたが、王権は少なくとも建前として、先住民を法の保護対象とみなす立場を維持し、告発・上訴の通路を完全には閉ざしませんでした。インディアス法の条文は、その揺れ動く原理の記録でもあります。
また、宣教と統治の緊張は、17~18世紀のイエズス会の活動と追放にも現れます。パラグアイの「イエズス会領」では、布教と共同体運営が一体となった独特の秩序が実験されましたが、王権強化の潮流の中で修道会の独立性が問題視され、1767年にイエズス会は追放されます。この出来事は、教会と国家、地方社会の力学が絡み合うインディアス政治の一断面でした。
変容と終わり:ボルボン改革から独立へ
18世紀、スペイン王家がハプスブルクからボルボンに交代すると、帝国経営は「効率化」と「中央統制」を旗印に改革されます。前述のインテンデンテ制の導入、交易の自由化、軍事防衛線の整備、教会特権の見直しなどは、財政の引き締めと生産の活性化を狙ったものでした。しかし、クリオーリョは高位官職への道が半島生まれに偏ることに不満を募らせ、自治意識と王権への忠誠の間で揺れます。19世紀初頭、ナポレオン戦争で本国が動揺すると、各地でフンタ(臨時評議会)が立ち上がり、独立への道が一気に開かれていきました。
カディス憲法(1812年)は帝国内の臣民に市民権と代表の理念を広げる試みでしたが、実施は混乱し、現地の政治過程は独自の方向へ進みます。メキシコ、グラン・コロンビア、ラプラタの諸地域、チリ・ペルーなどで独立運動が連鎖し、1820年代にかけて旧副王領は相次いで主権国家へ移行しました。唯一フィリピンとキューバ、プエルトリコなどが長く残存し、最終的には1898年の米西戦争を経てスペインの「インディアス」は終焉を迎えます。こうして四世紀以上続いた「ラス・インディアス」という帝国的枠組みは歴史の地平へ退きましたが、その制度・社会・文化の遺産は、今日のラテンアメリカとフィリピンの多層的なアイデンティティに深く刻まれています。
要するに「インディアス」とは、誤認から生まれた名称が、やがて法と行政、交易と宗教、文化と社会の全体を抱きとる概念へと成長した言葉です。ヨーロッパ・アフリカ・アジア・アメリカという四つの大陸を一本の歴史回路で結びつけ、二つの海(大西洋と太平洋)の交差点をつくり出した巨大な舞台—それがスペイン帝国の「インディアス」でした。その中で行き交った人・モノ・制度・思想の相互作用をたどることが、近代世界の成り立ちを理解するための大切な手がかりになります。

