インディアン – 世界史用語集

「インディアン」という語は、本来コロンブスがカリブ海で到達地を「インド」と誤認したことに由来し、のちにアメリカ大陸の先住民を広く指す総称として定着した言葉です。英語圏では「American Indian」「Native American」、カナダでは「First Nations(ファースト・ネーションズ)」「Indigenous peoples」などの用語が併用され、スペイン語圏では indio / indígena / pueblos originarios、ポルトガル語圏では índio といった表現が使われます。現代では当事者の自己呼称を尊重する立場が広がり、場面によって望ましい語が異なります。歴史用語としての「インディアン」は、征服・植民地支配・法制度・人口変動・文化変容といった広い領域を貫くキーワードであり、南北アメリカの多様な社会の成立を理解するうえで避けて通れない概念です。本稿では、名称の由来と用法の変遷、植民地期から近現代にかけての制度と社会、地域差と自己呼称の問題、そして文化・人口・権利の長期的な動きを、わかりやすく整理します。

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語の由来と用法の変遷:誤認から総称へ、そして自己呼称へ

「インディアン」という語の出発点は、15世紀末にコロンブスがカリブ海で出会った人びとを「インドの住民(インディオ)」と呼んだことにあります。この誤認は地理知識の制約だけでなく、当時の商圏観念、すなわち香料・黄金を求める東方志向が背景でした。これ以降、ヨーロッパ語ではアメリカ大陸の先住民全体が一括して「インディアン」と呼ばれるようになり、同時にカリブ海域は「西インディアス」と命名されました。

しかし、実際の先住民社会はきわめて多様で、言語系統・生活様式・政治組織・信仰形態は地域ごとに大きく異なります。北米だけを見ても、アサバスカ語族・ナ=デネ系、アサバスカ語群のナバホ(ディネ)やアパッチ、アルゴンキン語族、イロコイ連邦、ミシシッピ文化の後裔など、全く異なる歴史と自称をもつ集団が並立します。中南米では、マヤやナワ族、ミシュテカ、ケチュア、アイマラ、マプーチェ、グアラニーなどが、それぞれの政治文化とコスモロジーを築きました。それにもかかわらず、外部からの総称で一括されてしまったことが、のちの誤解と差別、制度化された身分の固定に深く関わります。

近現代になると、呼称の見直しが進みます。アメリカ合衆国では「American Indian」「Native American」の併用が一般化し、部族名(例:ナバホはディネ、ラコタはオグララなど)を尊重する動きが広がりました。カナダでは法制度上の「Indian」という語が『インディアン法』(Indian Act)に残る一方、日常的には「First Nations」や「Indigenous」が推奨されます。ラテンアメリカでは「indio」は侮蔑的に響くことがあるため、「indígena(先住民)」「pueblos originarios(起源の民)」などが公文書やメディアで用いられます。歴史学では、当時の史料用語を忠実に扱いつつ、現代の尊称原則を踏まえて適切な語を選ぶ姿勢が求められます。

日本語の教育現場でも、差別的な含意を避ける観点から「先住民」「先住諸民族」という語を基本とし、必要に応じて歴史的文脈で「インディアン」を括弧付きで使用する配慮が一般的になっています。用語は単なる言い換えではなく、歴史の見方そのものを映す鏡であることを意識する必要があります。

植民地期の制度と社会:征服、労働、布教、そして法

ヨーロッパ勢力の到来は、アメリカ大陸の社会・経済・人口に大規模な変化をもたらしました。スペイン帝国領では、征服直後にエンコミエンダ(先住民共同体に労働と貢納を割り当てる制度)やレパルティミエント(輪番労働・供出)などが導入され、アンデスではインカ時代のミタ(輪番制労役)が銀山労働に転用されました。これらは共同体秩序を再編する一方、過酷な労働と疫病拡散によって急速な人口減少を引き起こし、地域の社会構造を根底から揺さぶりました。

カリブ海やブラジル、メキシコ湾岸では、砂糖・カカオ・インディゴ・タバコなどの商品作物がプランテーションで栽培され、アフリカから連行された奴隷が労働力の中核を担いました。北米の英仏植民地では、毛皮交易や農地拡大、宣教師活動が進み、先住民は一部で同盟関係を築きつつも、土地の収奪と紛争に直面します。フランスは一時期、ハドソン湾から五大湖・ミシシッピ流域を結ぶ広域ネットワークを構築し、先住諸民族の外交世界に深く入り込みました。

宗教布教は、支配正当化の理念と実践の場でした。スペイン領ではフランシスコ会・ドミニコ会・イエズス会がミッション(布教拠点)を設け、教育・医療・芸術の普及を通じて新たな共同体秩序を築きました。カリフォルニアの伝道所列は、その典型です。布教の過程では破壊だけでなく、言語文法の編纂や聖俗の折衷、音楽や美術の融合といった文化の創造も進みました。とはいえ、改宗の強制や異端視、祭祀の抑圧は各地で抵抗と緊張を生みました。

法の面では、スペイン本国が「インディアス法」を整備し、1542年の「新法」でエンコミエンダ世襲の抑制などを掲げ、先住民の保護原理を打ち出しました。ドミニコ会士ラス・カサスが展開した倫理的批判は、征服の正当性を問う大論争(バリャドリッド論争)を促し、王権は少なくとも建前として先住民の法的地位を守る方針を維持します。もっとも、条文と現地運用はしばしば乖離し、暴力と搾取が各地で続いたことも否めません。

英領北米では、条約締結と破棄、交易規制、境界線設定が繰り返されました。18世紀末以降のアメリカ合衆国では、インディアン居留地の設定と強制移住が進み、1830年の「インディアン移住法」によって南東部のチェロキー、チョクトー、クリーク、チカソー、セミノールらがミシシッピ以西へ移送され、多大な犠牲を伴う「涙の道」が生じました。これは領土拡張と綿花経済、奴隷制の拡大が絡み合った結果でもあります。

近現代の転換:同化・分割から自決・復権へ

19世紀後半から20世紀前半にかけて、合衆国は「同化政策」を強め、寄宿学校制度で先住の言語と文化を抑圧しました。1887年のドーズ法(一般土地割当法)は、共同体所有の土地を個人小作地に分割し、余剰地を非先住民に開放することで領土のさらなる喪失をもたらしました。1934年のインディアン再組織法はこの流れを反省し、部族政府の再建を支援しますが、1950年代の「終結政策(Termination)」では一時的に連邦の保護と部族承認を解除する動きも起きました。

転換点は1960~70年代の公民権運動と並行して訪れます。アメリカ・インディアン運動(AIM)などが連邦政府の政策と条約遵守を求め、1975年のインディアン自決・教育援助法に象徴される「自己決定」路線が確立しました。土地返還・資源権・教育・医療の改善、宗教と慣習の保護などが、訴訟と立法の両輪で進みます。カナダでも『インディアン法』の見直しと権利章典の整備、条約交渉の再開、真実和解委員会による寄宿学校被害の検証が行われ、First Nations・メティス・イヌイットの権利が段階的に認められていきました。

ラテンアメリカでは20世紀のインディヘニスモ(先住民擁護運動)や民族学的リバイバルを経て、21世紀にはボリビアやエクアドルが多民族国家(多国民国家)を憲法で明記し、言語・自治・自然資源に関する集団的権利が法的に保障されました。国際的にもILO169号条約や国連「先住民族の権利に関する宣言」(UNDRIP)が、事前情報に基づく自由な同意(FPIC)などの原則を広め、資源開発・環境保護・文化遺産の保全における先住民の意思決定参加を求めています。

他方で、資源採掘・森林伐採・農地拡大・巨大インフラ開発、さらに気候変動の影響は、先住地域の生態系と生計を脅かし続けています。違法伐採や麻薬取引に伴う暴力、活動家への攻撃、観光開発の負荷など、課題は現在進行形です。都市化と移動労働の進展は、先住民のアイデンティティとコミュニティの形を更新し、都市先住民の権利やサービスへのアクセスという新しい論点を生んでいます。

人口・文化・表象:コロンブス交換から現代の多様性まで

「インディアン」をめぐる人口史の最大の転換は、旧世界の疫病の流入でした。天然痘・麻疹・インフルエンザなどは免疫を持たない人々の間で壊滅的被害をもたらし、地域によっては数十年で人口が激減しました。これに暴力・強制労働・飢餓・出生率の低下が重なり、16~17世紀の大陸規模の人口縮退が引き起こされます。一方、トウモロコシ・ジャガイモ・トマト・カカオなどの作物は「コロンブス交換」を通じて旧世界の食文化と人口増に大きな影響を与え、世界史全体の均衡を変えました。

文化の面では、断絶と継続が複雑に絡みます。伝統的な知識(薬草学、農法、天体観測、織物・ビーズ・木工・金属工芸)、口承叙事詩、儀礼と舞踊は、植民地支配の圧力下でも形を変えながら続きました。キリスト教との接触は、聖像に地域的モチーフが取り入れられるなどの混淆を生み、独自の祝祭や音楽・建築が成立します。近代以降は、文学・映画・アート・博物館展示における自己表象とステレオタイプ批判が進み、先住の視点から歴史を語り直す実践が広がりました。

言語の維持と復興は今日の重要課題です。ナバホ語、ケチュア語、グアラニー語、マプーチェ語、ユカテク・マヤ語など、多くの言語コミュニティが教育・メディア・デジタル技術を活用し、バイリンガル教育や辞書・コーパス作成、正書法標準化に取り組んでいます。国家が公用語として先住言語を承認し、司法・行政・医療での通訳体制を整える例も増えています。

表象の問題は、スポーツチーム名やマスコット、地名、商品ブランドなどに現れます。文化の尊重と表現の自由の境界は議論が分かれますが、当事者の合意と歴史理解に基づく名称変更が進むケースが多く、教育と対話の重要性が確認されています。

地域差と自己呼称:北米・中米・南米の比較視点

北米では、条約と裁判を通じた部族主権(tribal sovereignty)の範囲が主要テーマで、司法はしばしば連邦・州・部族の権限分配を調整してきました。資源開発に伴う権利交渉、カジノを含む経済開発、教育・医療・治安の自己管理など、部族政府の政策課題は多岐にわたります。カナダでは条約領域の再交渉と自治政府の樹立、先住女性への暴力や失踪問題への対応、教育と寄宿学校被害の癒やしが社会的に重視されています。

メソアメリカでは、村落共同体(アイユ/カブildo)と自治慣行、マヤ系諸語の多言語状況、土地と水の管理、移住労働のネットワークが鍵になります。アンデスでは、アイユ(共同体)の再編と都市化、ケチュアやアイマラの言語復興、山地と低地の民族関係、鉱山開発との緊張が続きます。南米南部では、マプーチェの領域権をめぐる国家との対立が長期化し、司法・警察・企業活動を巻き込む複合的問題となっています。アマゾンでは、森林保全と先住の生活世界、違法採掘・伐採・牧畜拡大の圧力が最前線の課題です。

自己呼称の尊重は、単なる名称の問題にとどまりません。ナバホは自称ディネ(「人々」)を、ラコタは「ラコタ/ダコタ/ナコタ」を、ケチュアは地域差を持つ自称を、グアラニーはテコ(生のあり方)という概念を軸に共同体を語るなど、言葉は世界観と政治を結ぶ鍵です。歴史用語として「インディアン」を使う場合でも、具体の集団名と地域文脈を明示することで、画一化の弊害を避けることができます。

まとめ:用語の歴史性と現在性を見通す

「インディアン」は、誤認に端を発する外名が帝国の行政・法・宗教・経済の装置に取り込まれ、身分や権利、土地と労働の秩序を規定する力を持つに至った歴史を体現する語です。同時に、当事者が自己呼称を取り戻し、多民族国家の枠組みの中で自決と文化復興を進める現在の動きも、この語の内側で起きています。用語を正確に使い分け、史料の言葉と現代の倫理を往復しながら、具体の地域・時代・集団に即して理解を深めることが、豊かな世界史の読み方につながります。