囲い込み(エンクロージャー)(第2次) – 世界史用語集

第2次囲い込み(エンクロージャー)とは、18世紀後半から19世紀にかけてイングランド・ウェールズで議会制定法にもとづいて体系的に進められた土地再編のことです。村落の開放耕地(オープン・フィールド)や入会地(コモンズ)を測量・分割し、長方形の区画に整えて垣・生け垣・溝で明確に囲い、各所有者に私的権利として確定させました。個別の地主と村の合意や既成事実化が中心だった第1次に比べ、第2次は「議会の私法(プライベート・アクト)」やのちの「一般エンクロージャー法(ジェネラル・アクト)」に基づく公式手続で、測量、公告、異議申立、配分、地役権と道路の新設まで一括して進めたことが特徴です。結果として、散在していた細長い地条(ストリップ)は統合され、輪栽・排水・施肥・家畜改良などの集約的農法を適用しやすい景観へと変わりました。他方で、入会権に依存していた零細層の生活基盤は細り、小作人や農業労働者の増加、農村から都市への人口移動、貧民救済制度の負担増など、社会のうねりを生み出しました。ここでは、第2次囲い込みの背景、制度と実務の流れ、技術・経済・景観の変化、社会への影響、地域差と関連現象までを、用語を整理しながら分かりやすく解説します。

スポンサーリンク

背景:農業革命と市場統合がもたらした制度化の必要

18世紀のイングランドでは、穀物・肉・乳製品・羊毛などの市場が拡大し、価格シグナルに応じて作付・放牧・土地改良を柔軟に変える経営が有利になりました。ノーフォーク式輪栽(小麦—カブ—大麦—クローバー)やクローバー・カブの導入、選択育種、排水(ドレーン・タイル)、施肥の強化など、いわゆる「農業革命」と総称される技術群は、区画の連続性と境界の明確さを前提とします。散在ストリップと共同規律のもとでは、改良を世帯単位で自由に行うことが難しく、土地の私的囲い込みが技術採用のボトルネックを解く鍵と見なされました。

また、地主収益の安定化と担保化、地代契約の標準化、道路網・運河・市場との接続を進めるには、境界と権利の明文化が不可欠でした。第1次期に蓄積された測量・契約の経験が、18世紀後半には議会の場に持ち込まれ、村単位の個別法(プライベート・アクト)を通じた再編が相次ぎます。やがて、個別法の費用と時間の負担を軽減するため、1801年の一般囲い込み法(General Enclosure Act、俗に「1801年法」)が制定され、標準的な手続枠が整えられました。さらに1836年の一般測量法、1845年の一般囲い込み法は、王室委員会(のちのインクロージャー・コミッショナーズ)による中央監督を強化し、地方差の大きい慣行を国レベルのプロセスに編み直していきます。

制度と実務:議会私法→一般法、測量・公告・裁定・配分の一気通貫

手続の典型的な流れは次の通りです。まず、村内の主要所有者(フリーホルダー、コピー・ホルダー、テナントら)から囲い込み請願が提出され、公告期間中に異議申立を受け付けます。次に、議会私法もしくは一般法にもとづき、独立した「コミッショナー(囲い込み専任委員)」が任命され、測量官(サーベイヤー)と書記が付けられます。彼らは現地調査、権利の確認(耕作権・入会権・地役権)、境界標(バウンド)設置の計画、公道・私道の改廃、排水路や共用施設の配置案を作成します。

この過程で、十分な現物補償を伴う限り、共同の採草・薪採取・放牧などの入会権は消滅・代替されるのが通例でした。配分は「アワード(award、裁定書)」として文書化され、各人の区画図(マップ)とともに公示・保存されます。アワードは、のちの地籍・登記の基礎資料として極めて重要で、道路や用水の公的性格、墓地・共有地の残置、貧民向けの小区画(「プアーズ・オールトメント」)の設定など、村の空間秩序を決定づけました。

法制史上の節目としては、1801年法が「私法乱立の標準化」を進め、1836年の測量法が品質基準と地図作成の精度を引き上げ、1845年法が中央の囲い込み委員会を常設化して事務の迅速化と公正性を担保した点が挙げられます。1852年や1876年の補足法は、残存共有地の保全や公共利用(村の緑地、運動場、墓地)の制度化を進め、乱暴な全面私有化を抑え込む方向へ微調整を加えました。もっとも、実務は地域により濃淡があり、ファーンズ(原野)やヒース(荒地)の多い地方では19世紀後半まで囲い込みが継続し、ウェールズや中部イングランドの一部ではかなり遅くまで開放耕地の名残が見られました。

技術・経営・景観:長方形区画、ヘッジとドレーン、ノーフォーク輪栽

第2次囲い込みの成果として現れた典型的景観は、長方形の区画地を生け垣(ヘッジ)や土堤、溝で囲んだ「チェッカーボード」状の農地です。生け垣は家畜の管理や風除けとなるだけでなく、木材・薪・果実・狩猟資源も提供し、境界紛争の抑止にも役立ちました。区画の連続性が確保されることで、排水管(ドレーン・タイル)の敷設や石灰散布が効率化し、ぬかるみの多い土壌でも作付の自由度が高まります。ノーフォーク式輪栽は、休閑を実質的に廃し、マメ科のクローバーで窒素固定を図りつつ、冬季飼料のカブを通じて家畜密度を高め、糞尿施肥で土の肥沃度を回復させる循環を完成させました。これらはバラバラのストリップでは適用しづらく、囲い込みによる地割統合が前提でした。

経営面では、年季契約のテナント・ファーマーが地主の投資と管理のもとで改良農法を実行し、モデル・ファーム(模範農場)が各地に現れました。家畜の改良(ショートホーン牛、レスター種羊など)、脱穀機の普及、倉庫・牛舎・サイロの建設、私道(カート・トラック)の整備、マーケット・タウンまでの輸送の合理化は、農産物の市場対応力を高めました。区画境界の確立は、担保としての土地価値を引き上げ、農業資本の調達を容易にしました。

景観史の観点では、囲い込み地図(Enclosure Map/Award Map)と現地のヘッジ・土塁の対応が重要な資料です。今日のイングランドの田園風景—曲がりくねった生け垣、樹列、フィールド・ネーム—の多くが、この時期の区画と命名に由来します。公道の付け替えや新設(直線道路、ターンパイク道路との接続)、公共の小さな緑地(ビレッジ・グリーン)の残置など、交通・共同空間の再編も同時に進みました。

社会への影響:入会権の消滅、小規模層の圧迫、労働と移住

第2次囲い込みは、生産性の向上と引き換えに、入会権に依存していた層の生活を直撃しました。燃料となる枯れ木の採取、落葉・牧草の採集、耕作後の畑への共同放牧といった慣行は、代替地や少額の補償に置き換えられることが多く、現物のアクセスを失った家計は現金収入への依存を高めざるをえませんでした。小区画保有者は手数料や測量費用の負担、債務の増加、相続による細分化の解消をめぐる交渉の中で土地を手放しやすく、テナント化・賃労働化が進みます。

救貧制度との相互作用も無視できません。1795年のスピーハンランド方式は、低賃金層に物価と家族構成に応じた補助を行う運用で、農村労働者の最低生活をつなぎましたが、地代・小作料・賃金・救貧税(レイツ)のからみ合いは、村の財政と雇用慣行を硬直化させました。1834年の新救貧法で屋外救済が抑制されると、農村労働者の一部は都市へ移動し、運河・鉄道・工場労働に吸収されます。1830年のスウィング暴動は、脱穀機の導入や賃金低下への抗議として知られますが、背景には囲い込み後の労働・生活の不安定化がありました。

もっとも、第2次囲い込みが直ちに全農民を没落させたわけではありません。地域・階層・タイミングにより影響は異なり、資力と交渉力のあるヨーマンやテナントは、配分でまとまった地所を獲得し、改良農法の先導者となる例も多く見られます。村のエリート層が推進の中心で、下層は補償の交渉やアロットメント(貧民向け小区画)の確保を通じて最低限の自給基盤を残した地域もありました。都市近郊では、乳製品・園芸・市場向け野菜の集約経営が展開し、囲い込みが「近郊農業の飛躍」につながったケースもあります。

地域差と関連現象:ウェールズ、スコットランド、アイルランド、道と権利

第2次囲い込みは主としてイングランドとウェールズの制度ですが、英国諸地域の土地再編は多様でした。スコットランドでは、低地で囲い込みに近い区画化が進む一方、高地ではクロフティング制度やハイランド・クリアランス(小作地の整理と羊牧への転換)が目立ち、法的枠組みも社会的帰結も異なります。アイルランドでは、地主・小作関係のあり方と作物構成(馬鈴薯依存)、19世紀半ばの大飢饉の衝撃が強く、囲い込みという語よりは土地法改革・解放運動の文脈で語られます。

権利の面では、囲い込みアワードが「公道」「私道」「通行権(ライト・オブ・ウェイ)」をどのように記載したかが長期に影響します。後世まで残る里道・フットパスの多くは、アワードに明記されたものか、逆にそこで失われたものです。共有地の一部を村の緑地や墓地、学校用地として残置する取り決めは、コミュニティの公共空間の核になりました。生け垣の保全や伐採、境界杭の維持、家畜の逸走責任など、日々の「境界の法」が整備されたのもこの期です。

史料と読み方:アワード・マップ、地籍、地名、口承

第2次囲い込みを具体的に追うには、アワード(裁定書)と付属地図が最重要です。そこには、誰がどれだけの土地をどの場所で得たか、どの道が公道として存置され、どの水路が共用か、どんな地役権が残されたかが詳細に記されています。地名(フィールド・ネーム)は土地利用の履歴を映し出し、「フラワー・ガーデン」「コーンズ・クロース」「ロング・フィールド」といった名称が、過去の作付や形状、所有者を示唆します。測量精度の高まりとともに、のちの地籍図・登記簿と連動し、土地信用と市場の基盤となりました。

同時に、司法記録・救貧台帳・教区議会議事録・手工業者の日記・新聞報道・民謡など、周辺の史料を組み合わせることで、数字に表れない生活の変化—燃料調達の困難、家畜頭数の調整、女性や子どもの労働の比重、季節移動のパターン—が浮かび上がります。囲い込みは地図の線だけではなく、人々の時間割と身体の動きを変えた現象でした。

総括:制度化された再編としての第2次囲い込みの全体像

第2次囲い込みは、議会法にもとづく公式手続が核心であり、測量・公告・裁定・配分・道路や水路の設計・共有地の残置までを一気通貫で処理した点に画期がありました。技術的には、輪栽・排水・施肥・家畜改良といった農業革命の具体策を普及させ、経営の柔軟性と市場対応力を高めました。景観としては、生け垣と直線道路、長方形区画、村の緑地という現在の田園像を形づくり、社会的には、入会権の縮小と引き換えに賃労働化・移住・救貧制度の再設計を促しました。地域差は大きく、勝者と敗者の分布は一様ではありませんが、制度化された再編としての第2次囲い込みは、18〜19世紀イングランド社会の組み替えを最も鮮明に示すプロセスの一つでした。事務手続の書類と現地のヘッジ、その両方を読み解くことで、地図の線が生活の線に変わる過程を具体的に理解することができます。