官戸(宋) – 世界史用語集

「官戸(かんこ)」は、宋代中国において、科挙に合格して官僚となった者の家(およびその親族の戸籍単位)を指す呼称です。一般の編戸(通常の庶民戸)と区別され、租税や徭役の面で一定の優遇・免除を受けることが多かった点に特徴があります。唐以前の「官戸」が官に隷属する賤民的身分(官府に所属する雑役戸)を意味した例と異なり、宋ではむしろエリート層の戸籍区分として用いられました。多くは地方の大土地所有者=形勢戸(けいせいこ)から科挙合格者を輩出して官戸化し、官戸と形勢戸は相互に重なり合いながら、士大夫層の社会的基盤を構成しました。以下では、用語の変遷と宋における意味、制度的な位置づけ、形勢戸・士大夫との関係、租税・徭役制度と王安石の改革との接点、社会経済的な影響と用語上の注意点を、噛み砕いて説明します。

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用語の変遷と宋での意味―賤民的「官戸」からエリート的「官戸」へ

「官戸」という語は時代により意味が異なります。秦漢から唐にかけては、官府に隷属して雑役や特定技能に従事する家を指すことがあり、しばしば一般民よりも身分的に低い位置づけでした(官奴婢・雑戸・楽戸などと同列に語られる場面がありました)。

ところが、五代十国を経て宋王朝(960–1279)が成立すると、中央集権の強化と科挙の制度化によって、官僚登用の正規ルートが確立し、官職獲得が人格的名誉と社会上昇の標識になりました。この文脈で「官戸」は、科挙合格者(進士など)や現職官人の家、あるいはその親族・後継世代の戸籍を特に指す語として定着します。彼らは通常の編戸と異なる扱いを受け、租税・徭役で軽減や免除を得ることが多く、象徴的には「国家に奉仕する士」の家であることが付加価値となりました。

この意味転換には、宋の「重文抑武」政策と、文官を国家運営の中心に置いた統治思想が背景にあります。王朝が文治主義を掲げ、官人の倫理(儒教的徳目)と行政技術を重視するほど、官職は血統より資格に依拠する「公的栄誉」となり、その家=官戸の社会的評価が高まりました。

制度的位置づけ―戸籍・租税・徭役での差異

宋代の戸籍は、租税賦課や兵役・差役(雑役)の動員単位となる「戸」を基本に整えられました。ここでの官戸は、一般の編戸と区別して登録されることがあり、租税と徭役の面で次のような特性を帯びました。

第一に、租税の軽減・免除です。官戸は、現職官人の給与(俸祿)と合わせて家産が保護される傾向があり、一定の範囲で租税の減免が認められました。とりわけ高位の官僚の家は、地域社会における課役負担の外側に置かれやすく、実質的な経済的優遇を受けました。

第二に、徭役・差役からの免除(あるいは軽減)です。宋の地方社会では、道路・堤防・倉廩・城壁の維持、運河や漕運の補助、治安業務などに住民が差し出される雑役(差役)が恒常的に課せられていましたが、官戸はこれらの直接負担から外されるか、金銭や物資で代替することが認められる場合がありました。これにより、官戸の家計は安定し、教育投資や土地経営の余力が増しました。

第三に、特権の世代継承の問題です。原則として官戸の地位は「その者一代限り」とされることが多かったのですが、実際には三〜四代にわたり便宜が継承される例が少なくありませんでした。現職官人の退隠後も、その家が地域の名望家として扱われ、非公式に優遇が続く慣行が形成されたのです。

こうした制度的差異は、宋王朝が官僚制を国家統治の要とし、その担い手の家族を保護することで行政の質と継続性を確保しようとした政策意図と整合します。他方で、地域の課役負担が相対的に“官戸以外”の編戸に偏る結果を招き、社会的な不満の原因にもなりました。

形勢戸・士大夫との重なり―エリート層の再生産

宋代の社会経済で重要なのが、地方の大土地所有者である「形勢戸」です。彼らは小作(佃戸)から地代を得て豊かな家産を築き、学問への投資(書籍購入、師資招聘、子弟教育)を通じて科挙合格者を輩出しやすい条件を持っていました。このため、形勢戸の内部で進士を出して官戸化し、官戸と形勢戸が一体化していく現象が一般的でした。

結果として、官戸=形勢戸=士大夫という三つの輪が部分的に重なります。士大夫とは、儒学教育を受け、官界と文芸活動の双方で活躍する文化エリートの総称で、彼らの学問・道徳が社会規範の上位に置かれました。科挙は形式上は能力主義的選抜でしたが、受験勉強に必要な時間・資金・人的ネットワークは裕福な家ほど確保しやすく、官戸(=科挙合格者の家)が再び官人を生み出す「教育と資本の好循環」が生まれたのです。

こうした構造は、地域の紛争解決や公共事業の主導、学田・書院の維持運営などで良い効果をもたらす一方、エリート層の閉鎖性、社会移動の摩擦、課役負担の偏在という負の側面も抱えました。

租税・徭役と王安石の改革―免役・募役・均輸との関係

北宋中期、王安石が推進した一連の新法(熙寧・元豊年間)は、財政基盤の強化と社会の不均衡是正を目指しました。とりわけ雑役負担の平準化に向けて「免役法」や「募役法」が整備されます。免役法は、徭役を金銭(免役銭)で代替させ、その財源で公役の労働力を雇い上げる仕組みで、富裕層の役逃れを抑えつつ、貧困層の過重負担を軽減する狙いがありました。

この改革は、形式上は官戸や形勢戸の特権的免除を掣肘し、課役の貨幣化・均衡化を進める方向でした。しかし、実施過程では地域ごとの運用差や徴収の硬直化により、逆に新たな負担や摩擦を生むこともありました。官戸にとっては、従来の非金銭的免除が金銭支払いに切り替わる局面が生じ、特権の“現金化”が進む一方、依然として人的ネットワークや行政交渉力によって実質的な優遇を維持する例も多かったと考えられます。

同じく新法の「均輸法」「市易法」は、物流と価格の安定化、商業信用の供給を通じて国家歳入を確保し、課役と併せて財政の再設計を図るものでした。これらは官戸・形勢戸の経済活動(地代収入、貸付、商業投資)にも影響し、地方エリートの資本運用と国家財政が絡み合う構図を強めました。

社会経済的影響―利点・歪み・地域社会の力学

官戸制度の利点は、国家が官僚制の担い手を社会的に保護し、行政の継続性・質を維持できることにあります。官人の家計が安定すれば、腐敗や収賄への依存を抑える効果も理論上は期待できます。また、官戸は地域の公益(学校の維持、橋・堤の寄進、寺観の修理、災害時の施粥など)に資源を投じ、名望家として公共性を担いました。

しかし、負担の偏在は避けがたく、官戸以外の編戸、とくに中小農民や零細商工に課役が集中する傾向がありました。免役の広がりは、貨幣経済の成熟期には合理性を持ちますが、現金収入の乏しい層には逆進的です。さらに、官戸・形勢戸の土地集積は、小作化の進行とともに地域の身分差を固定化し、社会的緊張の温床となりました。

教育面では、官戸の家が私塾や書院を通じて文化の中心を担い、学術の発展に寄与しました。宋学(理学)の形成や文芸の繁栄の背後には、こうした学術投資の土壌がありました。他方、競争的な科挙文化は、地域社会に受験至上主義的な風潮をもたらし、農業・工業の実務人材が相対的に評価されにくいという副作用も生みました。

関連概念と用語上の注意―「官戸(宋)」を正しく読むために

第一に、時代差の注意です。唐以前の「官戸」は、官府に隷属する被差別的身分を指す用法が確かに存在します。宋の「官戸」はこれと意味が異なり、科挙・官人家のエリート的区分です。史料を読む際には、文脈(時代・地域・制度)を必ず確認する必要があります。

第二に、他王朝との比較です。元・明・清では「軍戸」「匠戸」「站戸」「旗人」など、機能や身分で戸籍を分ける別系統の制度が発達しました。宋の官戸は、そうした職能別の強制編入よりは、官僚登用の結果としての“栄転的”区分であり、性格が異なります。

第三に、継承と流動性です。官戸の特権は法理上は限定的で、必ずしも無条件に世襲されません。実態としては、教育投資や婚姻ネットワークを通じて同じ家系から繰り返し合格者が出るため、社会的には世襲的に見えるという現象が起こります。したがって、「官戸=世襲特権階級」と決めつけるのは正確ではありません。

第四に、地域差です。租税・差役の実施は州県の慣行に左右され、同じ官戸でも扱いが異なることがありました。漕運地帯・大都市周辺と内陸山間部では、貨幣経済の浸透度や課役の種類が違い、官戸の特権の実質も変動します。

史料と事例―どのように見えるか

宋代の官戸を知る手がかりは、正史(『宋史』)の志(職官志・食貨志・選挙志)、文人の文集や地方志、契約文書・判牘(裁判文書)、科挙の榜記、宗族譜など多岐にわたります。そこでは、進士合格後に祖父母・父母を顕彰する記述や、郷里での社倉(救荒米の蓄蔵)設置、学田の寄進など、官戸が地域公益に関与する事例が散見されます。

一方で、課役免除をめぐる争い、官戸の不正蓄財や豪勢な婚姻に対する批判、科挙の「文義の弊」を嘆く声も残ります。士大夫たちは自省的なエッセイで、名望家の社会的責務(義倉の充実、郷校の設置、橋梁の修繕)を説き、官戸であることの倫理的負担を意識していました。こうしたテキストは、官戸の実像が単なる特権層ではなく、社会的役割と批判の両方を引き受けていたことを示します。

まとめとして、宋の「官戸」は、科挙=官僚制が社会構造を組み替えた結果生まれた、エリートの家という戸籍上の区分でした。官戸は、国家運営の担い手の再生産を支え、文化・公益に資源を投じる正の面を持つと同時に、課役の偏在や閉鎖性を生む負の面も持ちました。時代によって意味が異なる用語であることを踏まえ、宋代固有の制度文脈と地域の実態を重ねて読むことが、正確な理解への近道です。