『漢書(かんじょ/かんしょ)』は、中国の正史の一つで、前漢(劉邦の建てた漢=西漢)から新(王莽)に至る約二百余年の歴史を、体系的に記述した編年・伝記融合の歴史書です。編纂の中心は東漢の学者・史家である班固(はんこ)で、父の班彪(はんひょう)の未完の稿を継ぎ、のちに妹の班昭(はんしょう)が補定して完成させました。全一〇〇巻からなり、皇帝の事績をまとめた本紀、制度や学術・地方・天文などを総覧する志、系譜や人事の変遷を一覧する表、人物伝を列ねた列伝の四部で構成されます。『漢書』は、司馬遷『史記』の枠組み(紀・表・書・世家・列伝)を継承しつつ「世家」を原則廃し、皇帝中心の本紀+列伝+志+表の構成を標準化しました。これが以後の「紀伝体正史」の規範となり、政治・制度・学術・地理を横断的にたどるための“読まれ方の地図”を提供した点に大きな特徴があります。本稿では、成立の背景と編纂体制、体例と内容のしくみ、叙述の特色と史料価値、伝来・注釈・受容の広がりという四つの観点から、『漢書』の顔つきを分かりやすく整理して解説します。
成立の背景と編纂体制―班氏三代の学統と東漢学術の地平
『漢書』の成立は、班氏三代の学問的積層に支えられています。端緒を開いたのは班彪で、彼は司馬遷『史記』の後を受け、西漢全体を通覧する続史の構想を練りました。しかし、反乱や政情不安のさなかで筆は中途にとどまり、草稿は未整理のまま遺されます。これを受け継いだのが子の班固です。班固は宮廷学術や文苑のネットワークに身を置き、秘府に蔵される文書や各官庁の簿籍・奏章・地方からの報告文書に広くアクセスしつつ、資料の校合・選別・叙述を進めました。晩年、外戚竇憲(とうけん)勢力に連座して獄中で没したとも伝わり、書はなお未完の部分が残ります。
最終段の整備を担ったのが妹の班昭です。彼女は草稿の散逸部分を繕い、年表・志の配列を調え、全体の文辞を校正しました。宮廷図書の目録整備に関わった劉向・劉歆父子の『別録』『七略』に拠りつつ、書籍分類と学術史を整理した「芸文志」を編入したことは、とりわけ画期的でした。こうして『漢書』は東漢宮廷の学術・官僚機構の支援のもとで成立し、単なる“歴史の物語”ではなく、制度・学術・知識の体系図としての性格を帯びるに至ります。
叙述対象は前漢の高祖劉邦(前206年の関中入城)から、新王朝の崩壊(23年)までが基本です。すなわち『史記』が黄帝伝説から武帝期までを広く扱うのに対して、『漢書』は時間的にも主題的にも「劉氏の漢」と「王莽の新」を縦軸に据え、国家の制度・運営の成熟と転覆の過程を克明に追っています。後続の『後漢書』が25年以降をカバーするため、『漢書』は中国正史の連続の中で、時代的な“接合点”の役割も担います。
体例と内容構成―本紀・志・表・列伝の四輪で走る総合史
『漢書』の体例は明晰です。まず「本紀」一二篇が帝王の治績・政治事件を年次順にまとめ、国家の骨格となる政治史の背骨を提示します。高祖から哀帝・平帝に至る諸紀に加え、王莽を扱う「王莽伝(本紀格)」が置かれ、王朝交替の構図が強調されます。ここでは皇帝の詔・上書・群臣の議論が引用され、政策決定の論理や言葉のニュアンスが伝わるよう工夫されています。
「志」は一〇篇で、制度と知の大項目を総覧します。具体的には、礼楽志・律暦志・刑法志・食貨志・地理志・溝洫志(治水・水利)・天文志・五行志(災異思想)・芸文志(書籍・学術史)・郊祀志(祭祀)といった構成が広く知られています。これらは単に制度を列挙するのではなく、前代からの沿革、議論の対立、運用上の課題、思想的背景(陰陽・災異・王者の徳)まで筆が及び、官僚制と宇宙観が交錯する古代中国の“総合知”を映し出します。なかでも「芸文志」は、経・史・子・集の四部分類を骨格とし、目録学・学術史の祖型として後世の書誌学に圧倒的影響を及ぼしました。
「表」は八篇で、年次・官職・爵位・諸侯の変転を一覧化します。高帝功臣侯者年表、諸侯王表、百官公卿表などが代表で、縦の時間軸と横の職位・家系の動きを一望できるよう設計されています。表は本文の叙述に現れにくい人事・封建のダイナミズムを可視化し、政治史の“裏側”を読み解くための統計・索引的役割を果たします。
「列伝」は七〇篇に及び、功臣・名将・文臣・学者・儒林・酷吏・外戚・列女・遊侠・匈奴・西域など、多様な人物・集団・周辺勢力の伝を収めます。たとえば、衛青・霍去病の武略、賈誼・董仲舒の建言、酷吏の苛政、儒者の学統、西域都護による西域経営など、それぞれのジャンルに応じて“性格の書き分け”が行われ、政治・軍事・思想・社会の厚みが人物像を通して立ち現れます。『史記』の「世家」を削除する代わりに、列伝群のなかで功臣や外戚・諸侯の位置づけを巧みに調整したことは、『漢書』体例の肝と言えます。
叙述の特色と史料価値―制度史・書誌学・宇宙論が交差する記憶装置
『漢書』の第一の特色は、制度史の厚みです。礼・兵・財政・地理・水利・天文といった部門別の「志」は、原則として一次的行政文書や旧記に当たり、その沿革を批判的に整理しています。たとえば「食貨志」は田制・賦税・均輸・平準・塩鉄専売など財政経済の施策を縦断し、国家が市場に介入する論理と現場の摩擦を同時に描き出します。「溝洫志」は河川改修・堤防・水門・運河の工法と政策を体系化し、黄河治水や関中灌漑の知見を集約しました。これらは古代経済史・環境史研究の不可欠の参照点です。
第二の特色は、書誌学・学術史の視座です。「芸文志」は、劉向・劉歆の校讎成果を踏まえ、経部(六経)、史部(春秋左氏伝など史籍)、子部(諸子百家)、集部(詩賦・文集)という分類を定め、亡佚書の題録と大略を伝えます。秦の焚書・戦乱による散逸を経て、どの書が残り、どの学派が主流化したか、学術地形の大転換を歴史化した点で、単なる付録ではなく“知のカタログ”として独自の価値をもちます。
第三の特色は、天人相関・災異思想との密接です。「五行志」「天文志」には、彗星・日食・地震・旱魃・瑞兆など自然現象の記録が豊富で、政治の得失と天象を対応づける叙述が展開されます。今日の科学から見れば因果の設定は素朴ですが、当時の政策議論や官僚倫理を理解する手がかりであり、古代の科学観・宗教観・政治思想の結節点を知る窓口です。
第四の特色は、人物叙述の筆致です。班固は司馬遷に比べると評価の幅をやや収斂させ、国家統治の規範に照らして人物を律する傾向が強いとされます。たとえば外戚・宦官・酷吏に対しては警戒的な筆が目立ち、功臣の列伝でも功罪併記の整理が進みます。他方で、賈誼・董仲舒らの思想家には長文の策論を引用して議論の質感を残し、武将伝では戦術・補給・地形の記述を厚くして実務の実相を伝えるなど、対象に応じた“情報の粒度”の調整が巧みです。
史料としての信頼性は、引用出典の多さと相互照合のしやすさに裏づけられます。詔勅・奏議・律令・地方志的資料の引用は、後世の典章制度史の基盤を成しました。ただし、編集意図に沿った取捨は当然存在し、特に王莽評や災異史観の扱いには、当時の政治的・思想的前提が色濃く反映します。したがって、『漢書』を読む際には、同時代の竹簡・碑刻、出土文献、後世の注釈・他の正史との比較が欠かせません。
伝来・注釈・受容―顔師古注から近代校勘、東アジア知の共有資産へ
『漢書』の読解を支えてきたのが注釈の伝統です。唐代の顔師古注は、音義・地名・制度用語を博引旁証で解きほぐし、古文献学の金字塔とされます。宋・元・明・清には校勘・集解・句読の整備が進み、清代考証学の精緻な校雠により、異本の異同や引用源の特定が進展しました。日本・朝鮮でも、中世以来、寺院・学林を中心に講読と抄物の伝承が続き、江戸期には林羅山・新井白石・頼山陽らの学統の中で、政治学と古典学の参照典籍として読まれました。朝鮮王朝では科挙・経学の枠内で『漢書』の用語や制度史が重んじられ、実学の系譜にも影響を与えています。
印刷と流通の面では、宋刊本・元明の翻刻本、清内府刻本などが伝来し、版本学上の比較研究が盛んです。近代に入ると、出土文字資料(居延漢簡・張家山漢簡など)との照合、考古学的発見と地理志の突き合わせ、天文記録と現代天文学の比較など、学際的な再解釈が進みました。デジタル時代には、全文データベース・GISと連動した地理志マッピング・機械可読の人名地名データの整備により、『漢書』は「検索する古典」へと新たな位相を得ています。
受容の広がりという観点では、『漢書』は政治思想・制度論・文学批評・歴史叙述の形式に長期的な影響を及ぼしました。たとえば「食貨志」は財政金融論の古典参照枠となり、「溝洫志」は治水・土木の技術史の出発点とされ、「芸文志」は図書館学・情報分類の祖型として繰り返し言及されます。列伝の人物範型は、忠・義・廉・勇・智といった徳目を具体的事例に落とし込み、教育と修養の語り口に織り込まれてきました。叙述形式としての「紀伝体」は、日本や朝鮮の歴史叙述や武家記録にも移植され、人物を軸に時代を語る手法の普遍性を示しています。
総じて、『漢書』は前漢という国家の成熟とその挫折を、多面的な視角で編み上げた「制度と人物の総合誌」です。宮廷と地方、天と人、文字と実務を束ねる編集の妙は、単に古典として畏まって読むのではなく、具体のデータベースとして、また制度運営のケーススタディとして読み直すに値します。地名・職名・年次・物価・災異・儀礼・書籍目録――それぞれの項目が、互いに参照しあう立体地図を形づくっており、その地図をたどることで、前漢という世界が手触りをもって立ち上がってくるのです。

