共和人民党(きょうわじんみんとう、Cumhuriyet Halk Partisi/CHP)は、トルコ共和国の建国者ムスタファ・ケマル(アタテュルク)を起点として1920年代に形成された政党で、共和国初期の一党支配を担い、のちに多党制の下で中道左派・社会民主主義を標榜する主要野党へと位置づけられてきた組織です。世俗主義(ライク)、民族主義、人民主義、共和主義、国家主義(統制経済の意味での「エタティズム」)、改革主義という「六つの矢(Altı Ok)」を理念旗に掲げ、教育・法・服制・文字・経済などの近代化改革を推進しました。第二次世界大戦後の多党化以降は政権と野党を往復し、ときに軍の介入やクーデタによる制度的断絶を経験しながらも、都市部のリベラル・中間層、労働者、世俗派官僚層を支持基盤として、トルコ政治のもう一つの軸を構成してきました。以下では、起源と理念、一党支配期の統治、多党化と再編、軍政と再出発、社会民主化と現代的課題という観点から整理して解説します。
起源と理念:アタテュルクと「六つの矢」
CHPの前身は、独立戦争の指導のために結集したアンカラの大国民議会(1920)を母体とし、1923年に「人民党(Halk Fırkası)」として発足、翌年に「共和人民党」と改称されました。政党というよりも、建国国家そのものの執行組織・動員母体として始まり、国家の制度設計と党の組織設計が重なり合う形で展開しました。アタテュルクの指導下で、同党はオスマン帝国の宗教的・身分的秩序からの断絶を宣言し、共和国の基軸として以下の六つの理念を掲げます。第一に「共和主義」:君主制・スルタン制を否定し、国民主権に立つ制度の確立です。第二に「民族主義」:トルコ民族の一体性を強調しつつ、当初は市民的ナショナリズムを志向しました。第三に「人民主義」:階級政党ではなく「国民全体の利益」を代表するという立場です。第四に「国家主義(統制経済)」:基礎産業の国営化・公社化を通じた上からの工業化推進です。第五に「世俗主義」:宗教と国家の分離、宗教的権威の政治からの切り離しを意味します。第六に「改革主義」:伝統的制度からの断絶と継続的な制度革新を掲げました。
これらは相互に緊張を孕みます。たとえば、人民主義が「階級の否定」を強調したため、労働運動の自律性は抑制されがちでした。また、国家主義は開発の推進力となる一方、経済の柔軟性や民間主体の育成とのバランスが課題でした。世俗主義は教育・司法・家族法の近代化を加速する反面、宗教的慣習を生活の基盤とする農村に摩擦を生みました。CHPはこうした緊張を抱えたまま、建国期の「上からの革命」を制度化していきます。
一党支配期(1923~1946):国家建設と制度改革
1923年の共和国宣言から第二次世界大戦後まで、CHPは実質的な一党支配を担いました。この時期の主な改革は、(1)カリフ制廃止、宗務省の廃止と宗教学校の国有化、(2)シャリーア(イスラーム法)裁判所の廃止と民法・刑法・商法の欧州大陸法系への全面置換、(3)スイス民法を範とする家族法の導入による一夫多妻の禁止・男女の相続平等化、(4)ラテン文字の導入と識字運動、(5)帽子令や服制改革・度量衡の統一など、象徴・日常の両面に及ぶものです。教育制度の一元化(テフリート・テディス)により宗教教育が段階的に縮小され、公教育が世俗化しました。
経済面では、1929年の世界恐慌以降、とくに1930年代に国家主義(エタティズム)が色濃くなり、製糖、繊維、鉄鋼など基幹産業に国営企業(SEEs)が整備されました。地方では鉄道の敷設、灌漑、工業団地の建設が進み、都市労働者層と新中間層の形成が促進されました。ただし、農村の構造改革は限定的で、大土地所有と地域ボス(アーガ、ベイ)との力学は残存しました。
政治過程では、二度の短命な野党実験(1924年の進歩共和党、1930年の自由共和党)が挿入されましたが、いずれも体制批判の広がりと社会的緊張に直面して解散に追い込まれ、結果としてCHPの統治権限は維持されました。党は地方支部と官僚機構を貫く組織網を築き、女性参政権(地方選挙1930、国政1934)など先進的な制度も導入しました。他方、言語・民族の多様性に対する包摂は限定的で、クルド地域では反乱とその鎮圧が繰り返され、同化圧力が強まりました。
多党化と政権交代(1946~):野党期を通じた自己再定義
第二次世界大戦後、国際環境の変化と国内の民主化要求の高まりの中で、トルコは複数政党制へ移行します。1946年に民主党(DP)が誕生し、1950年総選挙でCHPに歴史的敗北を与え、以後10年にわたって政権を担当しました。農村と宗教的保守層への配慮、経済の自由化、米国との関係強化(NATO加盟)などが当時の政治の潮流となり、CHPは野党として自己の再定義を迫られます。イノニュ(アタテュルクの盟友で第二代大統領)時代の党は、民主的競争への順応と制度的安定の確保を掲げつつ、国家主義的開発から計画的な社会政策へと軸足を移し始めました。
1960年の軍事介入(メンデレス政権打倒)後の新憲法は、結社・言論の自由を拡大し、同時に国家安全保障体制を強化する折衷的な構造でした。CHPはこの文脈で、ビュレント・エジェヴィットらの指導のもと、1970年代に「オルタンジュ(中道左派)」を掲げ、労働者や都市の貧困層への接近を進めます。スローガン「土は耕す者のもの」を象徴に、農地・労働・教育の平等化を訴え、欧州の社会民主主義に接近しました。1970年代の断続的連立政権では、公共部門の拡張や社会政策の充実を試みたものの、経済危機、石油ショック、政治暴力の激化の中で成果は限定的でした。
1980年の軍事クーデタは政党システムをいったん解体し、CHPを含む既存政党は活動停止・解党処分を受けます。軍政下で新党結成が許可されると、CHPの伝統は複数の器(SODEP/SHPなど)に散らばり、1990年代初頭に再結集して党名としてのCHPが復活します。これにより、建国政党としての歴史と、社会民主主義政党としての現代的アイデンティティが再接続されました。
社会民主化・欧州志向・都市政治:1990年代以降の展開
再結成後のCHPは、欧州社会党(PES)系のネットワークと政策交流を深め、EU加盟交渉のための法制度整備や人権基準の受容などを大枠で支持しつつ、国家統合や世俗主義をめぐる核心的論点では慎重な姿勢を維持しました。特に世俗主義の堅持は、宗教と政治の距離に関する国内論争と密接に関連します。軍と司法、官僚制が長らく担ってきた世俗的秩序の防波堤として、CHPは「共和国の原則」を防衛する役割を自任し、ときに「体制派」色が濃いと批判されることもありました。
2000年代以降、保守系政党(とくに公正発展党/AKP)の長期政権の下で、CHPは大都市の自治体選挙に注力し、社会サービスの改善、透明性、文化・環境政策を武器に支持を広げます。イスタンブル、アンカラ、イズミルなどの基幹都市での勝利・再選は、都市中間層や若年層、女性の有権者にアピールする政策レパートリー(公共交通、都市緑地、文化振興、デジタル行政)を通じて達成されました。地方自治は、中央との緊張関係を内包しつつ、CHPに実績と人材育成の場を提供しています。
政策面では、(1)社会的市場経済:民間活力の尊重と再分配の組合せ、(2)教育・保健・社会保障の普遍主義的拡充、(3)女性・若者・少数者の権利擁護、(4)司法の独立と議会中心主義の回復、(5)環境と都市計画の持続可能性、といった柱を打ち出します。他方、クルド問題に関しては、人権・地方分権・文化的権利の尊重を語りつつも、安全保障や国家統合とのバランスに配慮し、党内の立場の幅が課題となってきました。選挙連携(国民同盟など)を通じた反与党陣営の形成は、綱領の明確化と包摂戦略の試練でもあります。
組織・支持基盤・党文化
CHPの組織は、全国党大会、党議会(中央委員会に近い機能)、党首、県・地区組織、女性・青年支部から構成されます。党文化は、創設以来の「国家建設の記憶」を核に、官僚的合理性と知識人層の発言力が強く、政策志向が比較的明確な点が特徴です。支持基盤は、(1)大都市圏の世俗的中間層・専門職、(2)公務員・教員・退職者などの安定層、(3)労働組合に組織された労働者、(4)大学生・若年層や女性有権者、(5)エーゲ・地中海沿岸の地域ブロックなどに厚い傾向があります。一方、アナトリア中部や黒海沿岸の保守地域では支持拡大が課題で、宗教・家族・地域共同体との関わり方に戦略的工夫が求められます。
CHPはまた、自党の歴史を批判的に相対化する作業も進めてきました。建国期の強権的近代化に伴う文化的排除、言語・民族の多様性への不十分な配慮、軍との距離感など、過去の政治文化をめぐる反省は、現代の包摂的社会民主主義へ接続する上で欠かせない課題です。党内民主主義の強化(予備選、候補者選定の透明性、女性・若者のクオータ)も、支持基盤の更新に向けた改革領域です。
歴史的意義と現代的課題
共和人民党の歴史的意義は、第一に、トルコ国家の制度的骨格を作り上げた建国政党であることにあります。教育・法・行政・経済の基幹制度を短期間に整備し、世俗主義と共和主義を制度化しました。第二に、多党制移行後も、政権と野党を往復しながら、立憲主義・議会主義の拠点として機能し続けた点です。第三に、都市政治と社会政策の領域で、社会民主主義のレパートリーを現地化し、公共サービスと市民参加のモデルを提示した点が挙げられます。
他方、現代的課題は明確です。第一に、宗教と世俗の共存をいかに実装するかという統治哲学の更新です。宗教的生活世界を尊重しつつ世俗的公共空間を守るための制度設計(教育、メディア、地方自治)が問われています。第二に、包摂の技法です。クルド系住民、移民、若年層、地方の小規模事業者など、多様な有権者を一つの社会民主的ビジョンに束ねるため、言語と政策手段の革新が必要です。第三に、経済構造転換への応答です。インフレ、為替、失業、地域格差、地震などの災害レジリエンスといった現実課題に、公共投資と市場規律、デジタル化と労働保護のバランスで応えることが求められます。
総じて、CHPは「建国の党」から「現代の都市・市民の党」へと重心を移しながら、トルコ政治の二大潮流の一角として存続してきました。理念の核である「六つの矢」は、歴史的文脈では国家形成の旗印でしたが、今日では社会的公正、法の支配、多元主義といった普遍価値の語彙に翻訳されつつあります。歴史の厚みと現在の課題の双方を意識しながら、その変化の連続性を追うことが、共和人民党を理解する最短の道だと言えるでしょう。

