均輸法(きんゆほう)は、前漢の武帝期に導入された国家の流通・財政政策で、物資の産地と需要地の価格差、季節や景気による需給の偏りを、官が介入して「ならす」ことを目的とした仕組みです。政府が産地で効率よく物資を集め、不足地へ計画的に回し、必要に応じて売買差益も確保して財政に充てるという、物流と財政を一体運用する制度でした。同時期に実施された平準法(へいじゅんほう)が価格の上下を買い上げ・放出で平らにする「時間調整」の色合いが濃いのに対し、均輸法は主として地域間の偏在を是正する「空間調整」の機能を担いました。提案・設計の中心人物は桑弘羊(そうこうよう)で、塩鉄専売や算緡(富裕層課税)と並ぶ武帝財政の要でした。簡単に言えば、均輸法は「官が賢くまとめ買い・まとめ売りをして、遠近・豊凶の差を埋め、軍需と民生を安定させる制度」だと理解すれば概略はつかめます。
成立の背景:武帝の拡張と財政・物流の再設計
前漢武帝(在位前141〜前87年)の治世は、匈奴との長期戦、河西回廊の確保、南越や朝鮮半島方面の遠征、西域交通の開拓、宮城・道路・水利など大規模土木の進展が重なり、かつてない量の軍需・官需が発生しました。地方の産物は偏在し、塩・鉄・織物・酒・皮革・金属器などの必需品を遠隔地へ運ぶコストと時間は兵站を圧迫します。市場任せでは、凶作や戦時に商人の買い占め・売り惜しみが起こりやすく、価格の乱高下が庶民生活と軍の需給に打撃を与えました。こうした問題を一気に解くため、貨幣の標準化(五銖銭)や富裕商工民への課税(算緡)、塩鉄専売と並べて、国家が流通のハブに入る政策パッケージが構想され、その中核が均輸法と平準法でした。
桑弘羊は、度量衡・帳簿・運輸・倉儲を束ねる実務家として頭角を現し、均輸の運転設計を主導しました。均輸は法典の条文というより、中央の詔・制と官司の細則、郡国の通達、倉庫・駅伝の運用規程といった「実務手引き」の総称に近い性格を持ち、現場の官が市況・地理・季節を読みながら調整する余地が意図的に残されました。
制度の骨格:何を、どのように「均す」のか
均輸法の基本動作は、(1)産地での集荷、(2)輸送と保管、(3)不足地での販売、という三段です。各郡国には特産があり、中央はその得意産品を把握して「輸させる(供出・納入させる)」割当を行います。割当は一律ではなく、年ごとの豊凶・在庫・道路事情に応じて調整されました。集荷は税(租・調)としての徵収と、市場での買い上げを組み合わせ、官は大口・定期の買付けで価格交渉力を獲得します。これを駅伝網と河川・運河・道路で要地の倉(太倉・均輸倉など)へ送り、需要の強い都市・軍鎮・辺塞に計画的に振り向けます。
販売は、市場価格を見ながら、暴利を避けつつも費用を回収できる水準で行われました。官の売買は「利を以て利に応ず」性格を持ち、輸送費・保管費・損耗をカバーしつつ、差益が出れば国庫に入ります。これが単なる富の移転ではなく、財政の新たな柱となった点が重要です。なお、平準法は同じ倉を使いながら、豊作安値時に買い入れ、凶作高値時に放出することで相場の波を和らげます。均輸=空間、平準=時間という整理は、両者の峻別というよりは主眼の違いを示す目印です。
実務の中核は、帳簿と度量衡の統一でした。どの倉に何がどれだけ入り、どの路線でいつ出て、どの市でいくらで売れたか—これを中央と郡県が同じ単位・同じ書式で記録することで、遅延や横流しを監督します。さらに、駅伝・関所の通行、荷駄の配賦、運送人夫の手当、損耗の基準など、細目の標準化が行われました。均輸は「買って運んで売る」単純操作に見えて、背後には広域行政を統合する技術の積み上げがあったのです。
効果:価格安定・兵站確保・財源多角化と、社会的波及
第一に、均輸は価格の地域差を縮小しました。塩・鉄・布のように生活と軍需に直結する品目で、辺地の高騰と首都の過飽和を同時に抑える作用が働き、庶民価格の極端な乱高下が軽減されました。第二に、兵站の安定です。遠征や辺境経営の際、現地調達に依存せずに基幹物資を事前に送り込めるため、作戦の継続性と士気が守られました。第三に、財源の多角化です。算緡や専売と連動して、均輸の差益は戦費と公共事業費の一部を賄い、単線的な租税では対応しきれない需要の山谷をならしました。
社会的には、商人の価格支配力に抑制がかかり、暴利・買い占めの余地が縮小します。他方で、官の購買・販売が巨大な需要・供給となるため、官に近い商人に利益が集中する偏りが生まれる危険も伴いました。均輸の運転に協力する輸送・倉庫・金融の担い手は、新たな「半公的」経済セクターを形成し、官民の境界がにじむ現象も見られます。
限界・批判・運用上のリスク:塩鉄会議が示した論点
均輸法は万能ではありませんでした。最大の弱点は、情報とタイミングの遅れです。中央の指令が現場に届くまでの時差、市況の急変、道路・河川の障害は、買うべき時に買えず、売るべき時に売れない「逆タイミング」を生み、かえって市場を撹乱することがありました。次に、運送と保管のコストです。損耗・盗難・腐敗は避け難く、帳簿上のロスと現物の乖離を巡る不正や癒着の温床にもなり得ました。さらに、割当・免除の裁量が官吏の腐敗を招く懸念も絶えませんでした。
武帝没後の昭帝期に開かれた「塩鉄会議」では、儒家系の学者が均輸・平準・塩鉄専売・算緡を「民業圧迫」と批判し、軽徭薄税・節用安民の政治を説きました。これに対して実務官僚は、外征と辺防に要する財源、広域流通の統制がなければ軍需も救荒も維持できない現実を主張します。議論の結果、制度は修正を受けつつも維持され、のちの常平倉や官の市場介入へと知見が継承されました。均輸に対する評価は、当時から今日に至るまで、国家と市場の距離感をどう定めるかという政治哲学に直結しています。
品目と回路の具体像:塩・鉄・織物・酒・家畜
史料に見える具体例をイメージしやすく整理します。塩は沿海・塩湖の産で、遠隔地への輸送費が価格の大半を占める典型でした。均輸は中継倉を置き、荷駄の往復を最小化するルート設計で辺地の高値を抑えます。鉄は軍需と農具に不可欠で、鉱山—冶・鍛—配送の鎖を官がつかむことで、市場の振れを抑えました。織物は女性労働と結びつき、地域ごとの布の標準を揃えることで調達と配給の効率化が図られます。酒・醸造は税源であると同時に、均輸の対象として宴・儀礼の需要を満たしました。家畜は損耗率が高く、輸送と配当の設計に工夫が必要で、現物より飼料・皮革の形での運用が選ばれることもありました。
平準法との関係と後世への影響:常平倉・市易法・近代の備蓄政策へ
均輸法と平準法は、倉庫・帳簿・人員を共有しつつ、空間と時間の二軸を分担する設計でした。唐以降は、常平倉・義倉・社倉といった穀倉制度が平時の買い上げ・放出を担い、宋代の王安石は市易法・青苗法で商工・農の信用と価格安定に官が関与する枠組みを制度化します。明清においても平糴・平準的介入が継続し、近代以降は穀物管理・価格安定基金・国家備蓄(石油・金属)・放出オペレーションといった政策へと変奏されました。物流・在庫・会計・規則を束ねるという均輸のコアは、時代ごとの技術と情報の進歩に合わせて更新され続けます。
学びのポイントの代わりに:運転の技術としての均輸法
均輸法は、理念やスローガンよりも「運転の技術」に本質があります。何をどれだけ、いつどこに、どのコストで、どの価格で—という実務の設計図を、国家規模で標準化し、繰り返し回す。倉と道路と帳簿という地味な装置を束ね、戦時と凶年の衝撃を社会に分散させる。うまく動けば物価と兵站は安定し、財源は多角化されます。動かし方を誤れば、官の歪みと不正が肥大化します。均輸法は、国家と市場の協働のあり方を考えるための歴史的ケーススタディとして、今なお示唆に富む制度です。

