イギリスの「クラブ」とは、17~19世紀にかけて発達した会員制の社交組織を指し、ロンドンのセント・ジェームズ地区(パル・マル、セント・ジェームズ街)を中心に、政治・学術・紳士的娯楽・食事・読書・情報交換の機能を兼ね備えた「大人の公共圏」です。コーヒーハウスから分化した半公共・半私的空間で、会員の会費と規約により運営され、選考(しばしばブラックボール制度)を通じて同質性と名声を保ちました。ホイッグ系のブルックスズ(Brooks’s)、トーリ系のカールトン・クラブ(Carlton Club)、自由改革派のリフォーム・クラブ(Reform Club)、知識人・科学者のアセニウム(Athenaeum)、最古級のホワイツ(White’s)などは、社交にとどまらず政治決定や文化生産に広く影響を与えました。19世紀には地方都市やスコットランド、帝国の各地にも拡大し、労働者階級のワーキングメンズ・クラブ、女性のためのレディース・クラブ、スポーツ・クラブ(クリケットやローンテニス)といった派生形も生まれます。クラブは「誰と会うかを選び、どこで話すかを整える」ことで、近代イギリス社会の合意形成と排除、両方のメカニズムを可視化する制度でした。
起源と成立:コーヒーハウスから紳士クラブへ
17世紀後半のロンドンでは、コーヒーハウスが新聞・パンフレット・手紙が集まる情報結節点として急成長しました。金融業者はエクスチェンジ・アレイのロイズで保険の商談をまとめ、作家や政治評論家はコーヒーを片手に議論を戦わせました。やがて、常連同士が出自・職業・政治傾向や趣味の一致にもとづいて常設の会合を求め、より閉じた会員制の社交場—クラブ—を形成します。これは、公共圏の開放性を保ちながらも、会費と会員資格で秩序と快適さを担保する折衷策でした。
18世紀には、ホワイツやブルックスズのような賭博・カード・食事中心のクラブが確立し、上流紳士の夜の拠点となりました。室内装飾、給仕、ワインセラー、新聞・雑誌、ビリヤード台、喫煙室、図書室が整い、従者を伴っての来訪も可能でした。19世紀に入ると、議会政治の成熟とともに政党系クラブが制度化し、下院・上院の外側にある「非公式の院外運営本部」と化します。セント・ジェームズ街のクラブ・ランドは、地理的にも象徴的にも、王宮・議会・シティ(金融街)を結ぶ三角形の中心に位置しました。
選抜・規約・建築:クラブをクラブたらしめた仕組み
クラブの核心はメンバーシップです。入会希望者は現会員の推薦を要し、投票は白玉(賛成)と黒玉(反対)で行われ、規定数の黒玉が入ると不採用となるブラックボール制度が広く用いられました。この厳格さが、会員の社会的均質性(紳士的マナー、政治的信頼、学術的実績)と施設の静謐を守る鍵でした。他方で、人種・宗教・性別・階級による排除を温存する機能も果たし、19~20世紀の民主化・平等化の潮流の中で批判の的にもなります。
規約は、服装・喫煙・飲酒・賭博の上限・ゲスト帯同・新聞の取り扱い・静粛時間などまで細かく定め、違反者には罰金や一時出入禁止が課されました。執事(スチュワード)と多数の従業員が厨房・ワイン・図書・宿泊室(ベッドルーム)を管理し、地方から上京する会員の「第二の家」として機能しました。建築面では、ギリシア復興やイタリア・ルネサンス風の壮麗なファサードが好まれ、広い階段室、ガラス天窓のサロン、木質の読書室がクラブの美学を形成します。アセニウムのように玄関に知の巨人の胸像を並べ、知的権威を演出する例もありました。
情報環境としてのクラブも重要です。各紙の定期購読、海外新聞の取り寄せ、電報連絡、図書館の蔵書、地図室、アニュアル(年鑑)やブルーブック(政府公文書)の閲覧が可能で、会員はここで政策・市場・海外情勢の最新情報を吸収しました。クラブのサロンでまとまった合意や噂は、翌日の議会やシティの取引に直結することもしばしばでした。
政治とクラブ:院外本部、派閥の宿、そして事件
政治系クラブは、党派の連絡・人事・資金・選挙戦術の拠点でした。トーリ=保守陣営はカールトン・クラブを中核とし、候補者選定や地方組織との統括を行いました。1922年には保守党議員のカールトン・クラブ会合で連立離脱(ロイド・ジョージ内閣からの離脱)が決定され、政権の帰趨を左右した史上の出来事として記憶されます。ホイッグ—自由陣営では、リフォーム・クラブが議会改革(1832年改革法以後)の旗艦となり、外政・自由貿易・宗教的寛容の議論が交わされました。いわばクラブは、党本部が官僚化する以前の「柔らかな政党機関」であり、議会内の討論を、食卓と暖炉の前の説得で補完する舞台でした。
政治以外にも、アセニウムのような学術・文化クラブは王立協会や学会と重なり合い、研究費の仲介、海外探検の支援、出版プロジェクトの発進点になりました。軍人のクラブ、植民地官僚のクラブは、赴任と帰国のハブとして人材ネットワークを維持し、帝国の人的循環を円滑にしました。外交官・記者・実業家が一つのテーブルにつけば、非公式の「政策コミュニティ」が自然に形成され、ここで生まれた語りや合意が公共政策の言語を形作っていきます。
派生と拡張:女性・労働者・スポーツ、帝国への広がり
19世紀後半から20世紀にかけて、クラブ文化は階級・性別・趣味の多様化に対応して枝分かれしました。まず、女性クラブの成立です。ヴィクトリア期には女性の政治参加や高等教育が広がり、レディース・クラブ(レディ・ホランドのサロンに連なるものや、サフラジェット運動と関わるもの)が誕生します。最初期は混合利用の読書室や慈善活動の拠点から始まり、次第に独自の会館・宿泊設備を整えました。これは、男性中心の社交空間に対する対抗であると同時に、女性同士のプロフェッショナルなネットワーク構築の場でもありました。
労働者階級のワーキングメンズ・クラブは、禁酒運動・教会・友愛団体の活動と結びつき、安価な飲食、娯楽(ビリヤード、ダーツ、音楽)、夜学や講演を提供しました。ここでは「尊敬すべき労働者(レスペクタブル)」という価値観が育ち、飲酒節制と家計管理、相互扶助が奨励されました。労働組合や協同組合と接点を持つクラブは、社会改良・教育・政治意識の醸成に一役買います。
スポーツ・クラブもクラブ文化の重要な分枝です。クリケット、ローンテニス、ボート、ゴルフ、サッカーなどのスポーツは、クラブを単位としてルールとリーグ戦が整備され、審判資格や会員規約が普及しました。大学やパブ周辺のクラブは地域コミュニティの誇りを担い、やがて全国的な協会(FA、RFUなど)へと連なります。近代スポーツはまさに「クラブ化」された身体文化でした。
帝国への拡張も見逃せません。カルカッタ、ボンベイ、香港、ケープタウン、メルボルンなど、植民地都市の中心には必ず英人クラブがあり、暑熱対策のベランダ、大扇風機のサロン、紅茶とカレーの食堂が、官僚や将校の心身の拠り所でした。ここでは本国の政治・新聞・人事がリアルタイムで流通し、帝国のグローバル・ガバナンスがローカルなクラブの会食を介して維持されました。他方で、現地人の入会制限や人種隔離は、クラブが排除の制度でもあったことを物語ります。
衰退と変容:20世紀の挑戦、そして21世紀の残響
第一次世界大戦と総力戦体制、女性参政、所得税の恒常化、労働運動と政党の官僚化は、クラブ文化の前提を揺るがしました。戦間期以降、政党は中央事務所と地方支部の組織力を強め、クラブに依存しない動員が可能になります。テレビとラジオが世論形成の主戦場となると、クラブのサロンでの語りは可視性を失い、会員の高齢化と財政難が進みました。1960~70年代には多くのクラブが閉鎖や統合に追い込まれ、入会制限やドレスコードも緩和されていきます。
しかし、クラブは消えたわけではありません。ロンドンの老舗は建物を保存しつつ、宿泊・会議室・遠隔会員制度(カントリー/オーバーシーズ)を整備し、国際的なレシプロ契約で世界のクラブと相互利用を可能にしています。女性会員の受け入れや多様性の拡大、図書室とアーカイブのデジタル化、静かなワーキングスペース化など、21世紀版の「第三の場所」への再設計が進みました。企業の会員制ラウンジやコワーキングも、規約・選抜・アメニティという点でクラブ文化の子孫だといえます。
文化的記憶としてのクラブも健在です。小説・映画・テレビドラマは、クラブを陰謀・友情・階級・ユーモアの舞台として繰り返し用い、銀のクローシュ、ガウンの執事、カドガン椅子、新聞のカサカサという小物が、英国的アイロニーの記号として機能しています。観光化されたクラブ・ランドの外観は、王政・貴族・議会・市民社会の層を一気に想起させ、建物そのものが近代イギリスの社会史の教材です。
総括:半公共圏としての制度—包摂と排除の二面性
クラブは、コーヒーハウスの開放性と私邸の閉鎖性のあいだに広がる「半公共圏」でした。会員はそこに「安全に議論できる場」「信用と推薦が循環する場」「情報が集約される場」「儀礼が簡略化される場」を見いだしました。同時に、入会制度と規約は排除の門でもあり、階級・性別・人種・宗教の壁を長く温存しました。近代イギリス社会は、この包摂と排除の二面性をクラブに映し込みながら、政治・経済・文化の実務を回してきたのです。
今日、クラブの影響は直接的には小さくなりましたが、「誰をメンバーと認め、どんな規約で、どんな空間を共用するか」というデザインは、オンライン・コミュニティからシンクタンク、学会・プロ団体、コワーキングに至るまで連綿と受け継がれています。イギリスのクラブ史を学ぶことは、民主主義とエリート主義、開放と秩序、社交と権力の線引きをめぐる長い思考実験を追体験することに等しいのです。クラブは、今もなお、近代の政治社会を読み解くための「鍵の束」の一つとして有効に輝いています。

