合理論(ごうりろん、rationalism)は、「人間の理性こそが確かな知識の源泉であり、世界を理解し秩序づける最高の基準である」とみなす思想の総称です。経験や感覚を軽視するというより、感覚が錯けん(錯覚・誤謬)を生みやすいことを踏まえ、理性による明証(自明性)と演繹によって確実な知に到達しようとする立場です。17世紀ヨーロッパのデカルト・スピノザ・ライプニッツを中核とし、自然科学の数学化・機械論的自然観、近代国家や自然法の構想、啓蒙思想の展開と深く結びつきました。対概念は経験論(empiricism)で、両者の緊張と相補をカントの批判哲学が綜合します。合理論は宗教・政治・学問の権威から個人の思考を独立させ、「なぜそう言えるのか」を理性の言葉で問い直す態度を広めました。
基本のイメージを先に押さえると理解しやすいです。第一に、人間には生得的・普遍的な観念(あるいはそれに準ずる思考形式)があり、それを手掛かりに数学のように確実な知が構成できると考えます。第二に、真理は演繹と明証によって把握され、方法さえ正しければ個人の出自や慣習から自由に到達できます。第三に、世界は理性に適う秩序(法則)をもつという確信があり、自然科学や道徳・政治の体系化を後押しします。こうした特徴が、近世の宗教戦争・社会不安の時代に、普遍的根拠を求める知的欲求に応えたのです。
成立と歴史的背景──デカルトから啓蒙へ
合理論の出発点として最もしばしば言及されるのがルネ・デカルト(1596–1650)です。彼は懐疑を徹底し、感覚・伝統・権威をいったん棚上げして、疑いえない第一原理を探しました。その結果として到達したのが「我思う、ゆえに我あり(cogito, ergo sum)」で、思考する自己の確実性を起点に、神の存在、物体の延長としての性質、幾何学的法則に従う自然などを演繹し、知識を基礎づけました。方法の規則(明証・分析・総合・列挙)と、代数幾何・解析の発展は、自然の「数学化」と歩調を合わせ、機械論的自然観を広めます。
スピノザ(1632–1677)は、幾何学の公理・定理の書きぶりを倫理学に導入し、『エチカ』で唯一の実体(神=自然)から世界全体を演繹的に示そうとしました。心身平行論、自由を「自然必然性の認識」として捉える独自の自由論、宗教と政治の分離、聖書批判など、宗教戦争後の自由な思考空間を切り開く理性のプロジェクトを徹底します。ライプニッツ(1646–1716)は、世界を無数の精神的実体「モナド」の調和として理解し、「充足理由律」によって、何事にも「そうである理由」があると主張しました。最善の世界・予定調和・普遍記号学(論理計算の先駆)などの構想は、自然科学と神学、政治と法の体系化を共鳴させます。
17〜18世紀の啓蒙の時代、合理論は知識人の共通語となりました。宗教的寛容の要求、専制批判、法の支配、自然法と権利の理念、教育改革などに理性の語彙が浸透し、百科全書派や学会・サロンのネットワークが「誰もが理由を求める」文化を育てました。他方で、英国経験論(ロック、バークリ、ヒューム)は、観念の起源を経験に求め、因果や自己同一性の確実性を問い直します。この対立を受けてカント(1724–1804)は、理性が可能にする先天的総合判断の条件を分析し、経験を超えてのびる「形而上学的理性」の限界を画定しました。ここで合理論は、批判的合理主義へと姿を変えます。
理論の骨格──生得観念・明証性・演繹法・機械論
合理論の理論的特徴を四点に整理します。第一に生得観念(innate ideas)です。数学的真理、同一律、因果の原理、神の観念など、経験に依存せず理性の構造に内在する観念があると仮定します(立場には幅があり、厳密な生得説から「理性形式」説まで段階があります)。第二に明証性(evidence)です。明晰判明な観念だけを真と認め、それ以外は停止(エポケー)します。第三に演繹法(deduction)で、確実な原理から論理的に体系を構築します。第四に機械論的自然観で、自然は数量化可能な運動・力・法則で記述でき、目的論(テロス)に訴えずとも説明可能だと考えます。
この枠組みは、物理学・天文学・生理学・経済学・法学などの制度化と相互に影響しました。天体運動を数学で表すニュートン力学、血液循環の機械的説明、貨幣と価格の量的関係、自然法の体系化(グロティウス、プーフェンドルフ)などは、合理論的前提を共有します。さらに、社会契約論(ホッブズ、ロック、ルソー)も、自然状態・契約・主権・権利を理性的構成概念として扱い、慣習より理由を優先する近代の政治理論を形づくりました。
経験論との対話──認識の源泉と正当化をめぐって
合理論と経験論の対立点は、①観念の起源(生得か経験か)、②正当化の方法(演繹か帰納か)、③自然の可知性(必然法則か規則性の期待か)にあります。ロックは心を「白紙(タブラ・ラサ)」と捉え、単純観念が経験から入り、複合観念に組織されると説明しました。ヒュームは因果の必然性を印象から導けないとし、「つねにそうだったので今後もそうだろう」という心理的習慣にすぎないと批判します。これに対し合理論は、経験だけでは普遍必然の根拠が得られないため、理性の先天的構造を仮定せざるをえないと応じます。
この論争を踏まえたのがカントです。彼は、認識は感性(時空という直観形式)と悟性(カテゴリー)の統合であり、理性は経験を越えて「無条件」を求めがちだが、それは理性の自己誤用(アンチノミー)を生むと指摘しました。こうして、合理論の普遍性要求は、批判によって条件づけられ、経験論の実証性は、先天的形式の想定によって支えられる、という分業が成立します。以後、論理実証主義や科学哲学、分析哲学は、この分業を様々に洗練させました。
宗教・政治・社会への波及──聖書批判から自然法、行政改革へ
合理論は宗教生活においても影響力を持ちました。スピノザの聖書批判は、啓示の歴史的文脈と解釈の自由を主張し、教会権威の外でテキストを読む方法を開きました。デカルトは神の完全性を以て世界の秩序と真理の保証を論じ、理性と信仰の調和を試みます。政治では、自然法と社会契約論が、君主の恣意ではなく「理由に基づく法と制度」を要求する基盤となり、裁判・行政・財政の合理化が各国で進みました。啓蒙専制や重商主義、人口・統計の計数化(カメラリズム)も、理性による統治という語彙で正当化されました。
教育・公共圏の形成も重要です。学会・アカデミー・大学改革、百科全書の編集、新聞・パンフレットの流通は、議論を理由で行う習慣を広め、近代市民社会の基盤を作りました。科学革命の制度的定着(王立協会、パリ学士院)や測量・標準化(度量衡、地図、暦)も、合理論的発想の具体化でした。
合理論の限界と批判──歴史・言語・身体・権力の視点から
合理論は強力な普遍主義ですが、限界も指摘されてきました。第一に、歴史主義的批判です。真理の基準や理性の形式自体が歴史的に形成されるのではないか(ヘーゲル、ディルタイ)という問いが立ち、理性を超歴史的実体とする見方に修正を迫ります。第二に、言語論的転回の批判です。思考は言語ゲームに埋め込まれており、理性は特定の言語実践に依存する(ヴィトゲンシュタイン)という視点が、明証性の普遍性に疑問を投げかけました。第三に、身体性の批判です。知は身体・情動・習慣に根を持ち、純粋理性の自立は過大評価ではないかという現象学・心の哲学・認知科学からの異議です。第四に、権力論的批判です。理性を掲げる制度が規律権力として働き、排除や同一化を生む(フーコー)という視点は、合理化の影の側面を照らしました。
これらの批判は、合理論を無効化するのではなく、前提や射程を明確化し、応用に慎重さを加える役割を果たしました。例えば科学では、理性の規範(論理・数学)と実践の社会性(共同体の規範・実験文化)が相補的であることが自覚され、政策では、数量化と指標による統治に対する説明責任や参加の仕組みが重視されるようになります。
地域的広がりと比較──イスラーム・中国・日本との接点
合理論的な思考はヨーロッパ特有ではありません。イスラーム世界では中世の神学・哲学(ファーラービー、イブン・シーナー、イブン・ルシュド)が理性と啓示の調停を試み、論理学・医学・天文学の精緻化が進みました。中国でも宋明理学における理(ことわり)の普遍性や、考証学における証拠主義・反空疎主義は、異なる系譜ながら「理由」を重んじる潮流です。日本では、蘭学・啓蒙・実学が合理主義的志向を持ち、明治以降の制度設計(法典・度量衡・統計)は、理性による秩序化の典型でした。ただし、それぞれの文明圏で「理性」の意味や、伝統・共同体との関係は異なり、単純な同一視はできません。
今日的射程──科学技術・政策評価・AI倫理における合理論
現代では、合理論は三つの領域で新しい姿を見せています。第一に科学技術で、理論の形式化・モデル化・計算による予測が研究の中心手段となり、可視化・再現性・オープンサイエンスが「理由の共有」を制度化しています。第二に公共政策で、エビデンスに基づく政策形成(EBPM)、費用便益分析、行動科学の実証が、意思決定の合理性を支えます。ただし、数値化できない価値や公正の配慮をどう織り込むかが常に課題です。第三にAI倫理で、説明可能性(XAI)、検証可能性、バイアス是正など、「決定に理由があること」が社会受容の条件となっています。ここでも合理論のコアである「理由の提示・検証可能性」は有効ですが、データの偏りや権力の不均衡への目配りが欠かせません。
まとめとして、合理論は「理性に理由を問う」という単純で強い要請を通じて、近代の学問・政治・社会を組み替えました。経験論との対話、批判の受容、地域差への配慮を踏まえれば、合理論は今も、世界を理解し共同で生きるための基本姿勢として有効であり続けます。用語としての合理論は、デカルト的懐疑から啓蒙、批判哲学、現代の科学・政策・技術に至る長い射程をもつ概念だと捉えると、位置づけが明確になります。

