五本山 – 世界史用語集

「五本山(ごほんざん)」とは、仏教諸宗派で歴史的・制度的に格が高い複数の本山(大本山)のうち、特に中心的な五ヵ寺を総称して呼ぶ言い方です。用語の厳密な定義は宗派や時代により異なりますが、代表的には浄土宗における「五大本山」を〈五本山〉と略して指す用法が広く見られます。近世の寺社政策や本末制度のもとで、本山が全国の末寺・檀那を階層的に束ねる中核となり、その最上位を担う複数の寺院が〈五〉の単位で整列・協議・輪番などの慣行を形成しました。本稿では、用語の成り立ちを整理し、浄土宗の五大本山を中心に、その歴史的背景・役割・文化的意義をわかりやすく解説し、他宗派における類似概念(「五山」「五箇本山」など)との違いにも触れます。

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語の成り立ちと歴史的背景――本末制度と格式序列の中で

日本の仏教寺院は、中世末から近世にかけて〈本末制度〉と呼ばれるヒエラルキーを整えました。本山(大本山・本寺)が末寺(末山)を統括し、宗旨の教義・法式・人事や寺領・堂字の管理、訴訟・沙汰の処理にまで関与する体制です。江戸幕府は、寺社奉行・宗門改め・檀家制度とあわせて、宗派ごとの序列と統治を制度化しました。こうした中で、同一宗派の中枢となる複数の大寺院を「大本山」と総称し、そのうち歴史・格式・門跡・勅願寺といった由緒を背景に、特に中心的な五ヵ寺をまとめて「五本山」と呼ぶ慣用が生まれます。

「五」という数は、天台・真言の修法における五智・五仏、禅宗の「五山」制度など、東アジア仏教文化に広く見られる象徴的単位です。禅宗の〈五山・十刹〉は朝廷・幕府の保護のもとで成立した官寺制度で、文字通り五つの山号寺院を頂点に据えますが、これは臨済・曹洞など禅宗の制度用語で、ここでいう「五本山」とは由来と用法が異なります。五本山は、主として本末制の〈本山〉群のうち上位五ヵ寺を指す総称で、宗派や地域によって顔ぶれが変わる柔軟な呼び名だった点が特徴です。

浄土宗の「五大本山」――五本山と略称される代表的なケース

五本山という言い方が最も通用するのは浄土宗です。浄土宗では、開祖法然の教えを伝える中枢として七つの大本山が知られますが、とりわけ京都と江戸(東京)に置かれ、宗政と教線の核となってきた五ヵ寺を「五大本山」と呼び、略して「五本山」とも言い慣わしました。一般に、次の五寺がその代表です。

知恩院(ちおんいん・京都・東山):法然の遺跡〈大谷〉を継承する寺で、門跡の格式を帯びる浄土宗の中枢です。徳川期には天皇家・公家・将軍家の帰依が厚く、伽藍・儀礼・法度の整備、宗制の統一に決定的役割を果たしました。宗学(教義研究)と法式(儀礼)の標準を提示し、各地の末寺・檀那を指導する権威を保持してきました。

増上寺(ぞうじょうじ・江戸/東京・芝):徳川家の菩提寺として江戸の宗政の要を担った寺院です。江戸城下における宗教行政・檀家制度の実務に近く、将軍家の霊廟建設・葬送儀礼を通じて、浄土宗の都市受容を象徴しました。近代以降は関東圏の布教・教育・社会事業の拠点として機能し続けています。

金戒光明寺(こんかいこうみょうじ・京都・黒谷):通称〈黒谷〉。法然の草庵以来の聖蹟を伝え、武家との関係や修学の拠点として栄えました。学林の伝統があり、修学の規矩や僧階の序列に影響力を持ちました。京都における宗務の分担と、僧侶養成・法式伝授の要として、五本山の一角を占めます。

知恩寺(ちおんじ・京都・百萬遍):通称〈百萬遍〉。念仏の唱和・勧化の拠点として知られ、度々の災厄・飢饉時における祈請・救済活動で名を高めました。近世には学侶の養成や宗学の講義に力を入れ、五本山の中でも民衆教化の色彩が濃い寺院と位置づけられます。

清浄華院(しょうじょうけいん・京都・御所東):天皇・公家との縁が深い門跡寺院で、宮中儀礼との連関、法式の厳正さで重んじられてきました。浄土宗の「公家文化」と「宗門儀礼」の接点を体現する寺であり、五本山の均衡において、宮廷・都市文化の側面を代表します。

これら五寺が〈五本山〉として並び立つ意味は、単なる格式の序列にとどまりません。全国の末寺を監督する宗政、学林・法式を統一する教育機能、災害・飢饉・疫病時における救済・祈祷の社会的役割、檀家の人生儀礼(誕生・婚姻・葬送・年忌)の標準化など、宗派運営の「ハブ」を分担してきた点にあります。江戸期には、これら五寺がしばしば連署して宗門内外に布告を出し、他宗との境界、念仏停止・勧進規制、坊官人事などについて調整を行いました。近代に入って学制・宗制が整って以後も、五本山は宗門の記憶と実務の両方を支える屋台骨であり続けます。

他宗派における類似語の整理――「五山」「五箇本山」「二大本山」との違い

〈五本山〉という語は、宗派横断で固定的に定義されているわけではありません。他宗派では、近い機能をもつが名称や起源が異なる語が用いられます。混同しやすい語を整理しておきます。

禅宗の「五山・十刹」:臨済宗系で発達した官寺制度の名称で、南北朝~室町にかけて朝廷・幕府の保護のもと京都と鎌倉に〈五山〉を定め、これに続く〈十刹〉を配しました。たとえば京都五山(天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)、鎌倉五山(建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺)などが知られます。これは禅宗固有の制度で、浄土・日蓮・天台・真言の〈本山〉用語とは系譜が異なります。

日蓮宗の「五箇本山」:日蓮宗には多数の大本山が存在しますが、歴史的に〈五箇本山〉と称して特に重きを置く枠組みが語られる場合があります。ただし、総本山(身延山久遠寺)を中心としつつ、池上本門寺・中山法華経寺・本圀寺・妙本寺など、地域や時代によって「五」の顔ぶれが異なる用例が見られます。したがって、日蓮宗で五本山と呼ぶときは、どの系譜・時代の文脈かを明示するのが安全です。

真言・天台の「大本山」・「門跡寺院」・「二大本山」:真言宗の中心は高野山金剛峯寺で、智山派・豊山派などは〈大本山〉(成田山新勝寺・川崎大師平間寺・長谷寺など)を複数擁しますが、「五本山」と特定して呼ぶ慣例は一般的ではありません。天台宗は比叡山延暦寺を総本山とし、門跡寺院(青蓮院・三千院・曼殊院など)が格式を示します。曹洞宗は永平寺・總持寺の〈二大本山〉を標準語としており、「五本山」の枠組みとは別の伝統です。

このように、〈五本山〉は固定語としての普遍性よりも、各宗派の歴史・制度に即して生まれた慣用の総称だと理解するのが適切です。特に受験用語や一般教養では、浄土宗の五大本山=五本山という対応を押さえ、禅宗の「五山」と区別することがポイントになります。

制度・文化の意義――宗政・教育・社会事業を担う「中枢のネットワーク」

五本山クラスの大寺院は、宗政(宗派の統治)・教育(宗学・法式の教授)・社会事業(救貧・医療・災害救援)・芸術文化(書画工芸・儀礼音楽)にわたり、広域的な影響力を持ちます。たとえば浄土宗の五本山は、念仏の法会や授戒・得度などの儀式の標準化、僧階制度と学位(学林での講筵・法論)の整備、衆庶への説教・講(こう)の運営、寺子屋・施薬院・施粥といった公共的活動の拠点でした。伽藍・宝物・文庫の充実は、宗派文化のアーカイブとして機能し、仏教美術史や国文学・歴史学の一次資料を今日に伝えています。

近世の本末制下では、五本山の連携が宗派の外縁管理にも及びました。勧進(寄付を集める巡回活動)の許認可、他宗教団体との摩擦や異端・邪義への対応、檀家の相続・改宗・宗旨替えに伴う手続など、宗門の「公共性」を体現する役割を担いました。これは単なる権威の誇示ではなく、地域社会の秩序維持と紛争解決の技法でもあったのです。

近代以降、国家神道体制や戦後の宗教法人制度の下で、寺院の法的地位や財政構造は変化しましたが、五本山相当の大寺院は、宗派教育機関(大学・専門学校)や出版、海外布教、福祉・医療・環境保全などの分野で、今も要として機能しています。観光・文化財保護との関係では、拝観・文化財公開・修理維持のノウハウを蓄積し、公共セクター・民間との協働モデルを磨いてきました。災害時の避難所提供やグリーフケア、地域コミュニティ再生に関与する事例も増え、伝統寺院の〈現代的公共性〉が再評価されています。

まとめ――用語の幅を意識しつつ、浄土宗の五大本山を基準に理解する

五本山という言い方は、宗派・時代に応じて顔ぶれや意味合いが変わる柔軟な慣用語です。最も教科書的なのは浄土宗の〈五大本山〉(知恩院・増上寺・金戒光明寺・知恩寺・清浄華院)を指す用法で、これを基準に、禅宗の五山(別制度)や日蓮宗の五箇本山(用例可変)、真言・天台・曹洞の大本山枠組みとの違いを押さえると理解が整います。背景には、本末制度の下で宗政・教育・社会事業を担った中枢寺院のネットワークがあり、五という象徴的単位での協調・輪番が宗派運営の実務を支えてきました。今日の寺院文化・地域社会においても、五本山クラスの寺院は、信仰・文化・公共の交差点として重要な役割を担い続けています。用語の幅を意識しつつ具体例を手繰ることが、五本山の全体像をつかむ近道です。