「刷新(ドイモイ)」は、ベトナムが1986年のベトナム共産党第6回大会ではじめて公式に掲げ、その後現在まで続けている国家の全面的改革を指す言葉です。計画経済を基礎としながらも価格・流通・投資・対外関係を段階的に市場化し、民間の活力と国際貿易を取り込みつつ、社会主義の指導という政治原則は維持するという「二つのレール」を同時に走らせる路線です。米ソ冷戦の終盤、戦後の停滞やハイパーインフレ、慢性的な食糧不足に直面したベトナムが、農業・企業・金融・為替・外資導入・法制度の各分野で規制を大胆に調整したことで、90年代以降に高成長と貧困削減を実現したことが核心です。ドイモイは単なる経済自由化ではなく、農村の生産請負制から国有企業改革、投資法・土地法の整備、ASEAN加盟や米越国交正常化に至る「制度と対外関係の再設計」の総称として理解すると、全体像がつかみやすいです。
歴史的背景と登場:停滞・インフレ・食糧危機からの転回
1976年の南北統一後、ベトナムは計画配給と国営主導の体制を整えましたが、戦争の傷跡と資源不足、統制の硬直化、ソ連依存の対外構造、カンボジア紛争や中越戦争などの安全保障負担が重なり、経済は著しく停滞しました。80年代半ばにはインフレ率が三桁に及び、都市でも農村でも物資不足が慢性化し、配給券や闇市場が日常化しました。農業では協同組合の生産意欲が上がらず、国家買い上げ価格と市場価格の乖離が拡大し、食糧自給にも不安が生じました。
この危機を受け、1981年頃から先行して導入されたのが農業の「生産請負制(契約責任制)」でした。協同組合の枠を保ちながら、実際の耕作と成果を家族単位に委ね、余剰生産物の販売を認めることで、労働と収益の結び付きを強めました。地方での実験が成果を上げると、1986年の第6回党大会で「刷新(ドイモイ)」が正式な国家方針となり、農業・工業・財政金融・対外経済・法制度の広い範囲で改革が宣言されます。ここから、計画の枠組みを残しつつ市場のシグナルを導入する「社会主義指導下の市場経済」への転換が本格化しました。
政策パッケージの中身:農業・企業・金融・対外の段階的市場化
ドイモイの柱は大きく四つに整理できます。第一に農業改革です。生産請負制の全国化、国家買い上げ義務の縮小、米の自由流通拡大、農産物の価格自由化が進み、1990年代初頭にはベトナムはコメの有力輸出国へと転じました。農業投入財(肥料・機械)の入手も民間流通が拡大し、農村の現金収入が増加しました。
第二に企業改革です。国有企業には自律経営と収支責任が課され、赤字企業の整理統合、企業法・破産法の整備、会計・監査の標準化が進みました。同時に民間企業の設立が緩和され、家族経営や中小企業が公式経済に参入しやすくなりました。加工貿易や軽工業、建設、流通などで民間の比重が高まり、都市の雇用吸収源として機能しました。
第三に財政・金融・為替の安定化です。財政では補助金削減と税制改革、予算の透明化が進み、中央銀行機能の明確化と商業銀行の育成、信用配分の見直しが行われました。為替制度は段階的に統一・切り下げられ、実勢に近いレートでの取引が広がり、外貨の公式市場が整備されました。これにより、ハイパーインフレは徐々に鎮静化し、価格シグナルが経済主体に届くようになりました。
第四に対外開放です。1987年の外資法制定以降、合弁・100%外資の投資形態が整えられ、輸出加工区や工業団地が各地に整備されました。1995年にはASEANに加盟し、米国との国交も正常化、2007年にはWTOに加盟して関税・投資・サービスに関する一連のルールにコミットしました。これにより、労働力・地理・社会的安定を強みに、繊維・縫製・靴・家具などの労働集約産業、のちには電子・携帯電話組立といった分野に外資が流入しました。
法制度の整備も重要です。土地は依然として国家所有ですが、土地使用権の長期譲与・譲渡・抵当の仕組みが整い、事実上の資産として利用できる余地が拡大しました。契約・会社・投資・税・労働・知的財産の法整備が進み、ビジネス環境の可視性が増したことが、国内起業と外資の双方を支えました。とはいえ、行政手続の煩雑さや地方ごとの運用差、国有セクターの影響力など、現実の運用上の摩擦は残りました。
経済・社会に現れた変化:成長・貧困削減・都市化と産業構造の転換
ドイモイ後のベトナム経済は、1990年代以降、比較的高い成長率を長期にわたって維持しました。一次産品から加工組立への輸出多角化が進み、観光・物流・通信も拡大しました。農村では米の増産と副業化、コーヒー・胡椒・カシューナッツ・水産養殖などの輸出作物が育ち、現金収入と生活水準が向上しました。貧困率は大幅に低下し、教育・保健サービスへのアクセスも改善し、乳幼児死亡率や平均寿命の指標に改善が見られました。
都市では外資主導の製造業が雇用を生み、メコンデルタや紅河デルタからの人口移動が加速しました。ハノイ・ホーチミン市を軸に、周辺省の工業団地が延び、道路・港湾・電力といったインフラ整備が急速に進みました。これに伴い、サービス産業が拡大し、消費市場が形成され、家電・二輪車・携帯電話などの普及が生活の姿を変えました。
社会面では、家族経営や民間起業が増える中で、女性の雇用や農村からの若年層の工場就労が一般化し、家計の現金収入比率が上がりました。教育投資の増加は理工系卒の供給を増やし、のちの電子・ICT産業の受け皿を広げました。他方、都市と農村、地域間、技能・教育水準による格差も拡がり、非正規雇用、労働安全、住宅・環境、都市インフラの混雑といった新しい課題が浮上しました。農地転用や用地取得を巡る補償・手続の不満も社会的摩擦の火種となりました。
文化・生活の側面では、メディアやインターネットの普及、外国ブランドとローカル文化の混在、観光と文化産業の成長が目に見える変化を生みました。国家は教育・文化の統制を維持しつつも、経済開放がもたらす価値観の多様化や消費文化の拡大との折り合いを模索する局面に入りました。市民社会的な活動やNGOの存在感も、環境保全や保健医療、貧困削減の分野で徐々に増しました。
対外関係と統治の調整:ASEAN・米越関係・WTO、そして国家の役割
ドイモイは、対外関係の再構築と不可分です。ASEAN加盟は地域の政治・安全保障の枠に復帰することを意味し、域内貿易と投資の流れを取り込む助けとなりました。米越の国交正常化は輸出市場と投資の拡大に直結し、貿易協定や航空・教育交流の再開が企業・市民の日常を変えました。WTO加盟は関税・補助金・投資規律の国際ルールへの適応を促し、国内法の整備を加速させました。経済の国際化は、為替・金利・金融監督の政策連携を必要とし、中央銀行・財務省・計画投資省などの官庁間調整の能力を引き上げました。
統治の面では、党の指導を維持しながら、市場メカニズムと行政調整の組合せをどう最適化するかが焦点でした。国有企業の役割は縮小しつつもなお大きく、エネルギー・通信・金融などの基幹分野で国家資本の存在感は続きました。他方、行政の透明性や汚職対策、司法の独立性、報道・表現の自由度といった統治品質をめぐる議論も活発化しました。経済開放が進むほど、契約の信頼性や規制の予見可能性が重要になり、国家は「所有者」から「ルール・メイカー」へと役割の比重を移す必要に迫られました。
また、国際サプライチェーンに組み込まれたことで、労働基準・環境基準・サステナビリティの国際規範への対応が求められました。最低賃金、労働時間、安全衛生、結社権、環境影響評価などの制度整備は、輸出市場の信頼を維持する条件となり、企業と行政の双方に新しい責務をもたらしました。近年ではデジタル経済・越境データ・電子商取引といった新分野へのルール対応も前面に出ています。
継続する課題と展望:中所得の壁、産業高度化、包摂とレジリエンス
ドイモイは大きな成果をもたらしましたが、課題も明確です。第一に産業高度化の難しさです。労働集約型から技術集約・知識集約型へ移るには、教育の質、研究開発、人材育成、知財保護、スタートアップ・エコシステムなど、制度の厚みが問われます。外資導入と輸出志向だけでなく、国内企業の技術吸収と生産性向上をどう後押しするかが鍵です。
第二に包摂と格差の管理です。地域間格差、都市と農村、正規と非正規の分断に対し、社会保険・職業訓練・住宅政策・公共交通・医療保険の整備を通じて、成長の果実を広く分配する制度設計が欠かせません。第三に環境と気候変動への適応です。メコンデルタの塩害・海面上昇、都市の大気汚染・渋滞、水質・廃棄物の問題は、産業政策と都市計画、エネルギー転換と不可分となっています。
第四にマクロ安定の維持です。外需への依存が高い経済では、世界景気やサプライチェーンの変動、地政学リスクの影響が大きく、為替・金利・金融政策の運営と外貨準備の管理、財政の健全性確保が引き続き重要です。デジタル化と金融包摂は生産性向上の機会であると同時に、サイバーリスクや消費者保護の新しい課題も伴います。
総じて、刷新(ドイモイ)は、イデオロギーの看板をかけ替えるのではなく、制度の歯車を丁寧に組み直して、家庭や企業が努力すれば成果が返ってくる「当たり前」を作り出す試みでした。農村の田んぼから都市の工業団地、国会の法改正から国境を越えるサプライチェーンまで、広い領域をまたいで進められたこの改革は、外からの圧力でなく内発の必要から始まり、小さな現場の実験を積み重ねて国家のルールへと昇華させてきました。いまも課題は尽きませんが、ベトナムが選んだ「市場と国家の折衷の道」は、柔軟に調整し続ける限り、変化の大きい世界の中で十分な適応力を持ち続けるはずです。

