「シティ(City of London)」とは、イングランドの首都ロンドンの歴史的中核であり、面積約1平方マイル(“Square Mile”)の金融・商業地区を指す名称です。日本語ではしばしば単に「シティ」「ロンドン金融街」と呼ばれ、イギリスおよび世界金融の中枢として理解されています。行政単位としてのシティは、近代的なロンドン大都市圏(Greater London)とは別個の自治体であり、中世由来の独自の特権・制度をいまなお保持しています。世界史的には、帝国期の海上交易と保険・銀行・海運金融の発達、19世紀の金本位制下でのポンド体制、20世紀のユーロダラー市場や1986年の金融自由化(いわゆる「ビッグバン」)、21世紀の国際金融危機とブレグジット(EU離脱)後の再編など、グローバル資本主義の節目ごとに「シティ」が重要な舞台となってきました。本稿では、成立と制度、機能と空間、歴史的転換点、誤解しやすい点と現在的課題を、学習に必要な要所を押さえながら解説します。
起源と制度:中世自治から近代国際金融の中枢へ
「シティ」の起源はローマ時代のロンディニウムに遡り、中世には市場・ギルド(同業組合)が集う商業都市として発展しました。封建的支配から一定の自立を得た自治都市は、商人・手工業者の組織であるリヴァリー・カンパニー(livery companies)を通じて職能秩序と教育・福祉の担い手となり、市政運営にも深く関与しました。こうした枠組みは、今日の選挙制度(居住者だけでなく一定要件を満たす企業も投票権を持つ)に形を変えて残存し、経済主体が制度の中核に位置するという「商都」的性格を保持しています。
行政面では、シティ・オブ・ロンドン・コーポレーション(City of London Corporation)が統治します。首長はロンドン市長(Mayor of London/グレーター・ロンドンの首長)とは別の「ロード・メイヤー(Lord Mayor of London)」で、年次行事「ロード・メイヤーズ・ショー」や金融界要人が集う「マンション・ハウス・スピーチ」で知られます。市庁舎ギルドホール(Guildhall)を中心に、区(ワード)ごとに選ばれるオールダーマンやコミン・カウンシルが存在し、王権・議会・金融界と独特の関係を築いてきました。また、シティは議会審議をフォローする連絡役“Remembrancer”を持ち、制度と産業のインターフェースとして機能します。
近代に入ると、シティは帝国の海上貿易の結節点として飛躍しました。保険市場ロイズ・オブ・ロンドン(Lloyd’s)、海運市況を扱うバルチック交易所(Baltic Exchange)、王立取引所(Royal Exchange)、そして中央銀行としてのイングランド銀行(Bank of England)が、信用・決済・保険・為替のノードを形成しました。19世紀、金本位制とポンドの国際通貨化はロンドンを世界決済の中心に押し上げ、ビル・オブ・エクスチェンジ(為替手形)とディスカウント市場を通じて、植民地や欧州・南米への資金が回りました。ここで形成された「シティ—銀行—財務省」の連関は、外交・財政・植民地経営とも密接に絡みます。
機能と空間:スクエア・マイルの産業生態系
シティの主なセクターは、(1)商業銀行・投資銀行(シティ系マーチャント・バンクの伝統を含む)、(2)保険・再保険(ロイズ市場を中心に、海上保険・スペシャリティ保険が強み)、(3)資産運用・ヘッジファンド、(4)外為・金利・コモディティなどのホールセール市場、(5)法律・会計・鑑定・PRといった専門サービス(“professional services”)です。これらを支えるのが、清算・決済インフラ(LCH、CLS等)と、エネルギー・海運・金属の価格決定に関わる取引所群です。シティの強みは、金融そのものだけでなく、契約・紛争解決・規則作りのノウハウを含む「総合的な制度資本」にあります。
空間的には、伝統的中核であるスクエア・マイル(セント・ポール大聖堂—銀行交差点—ロイズ本社—王立取引所一帯)と、1980年代以降に再開発されたカナリーワーフ(Canary Wharf)との二極構造が一般的です。カナリーワーフは地理的にはタワー・ハムレッツ区でシティの外に位置しますが、外資系銀行のトレーディング・フロアが集積し、鉄道・通信インフラを備えた「第2中枢」となりました。両地区は人材・データ・規制対応で密接に連携し、グレーター・ロンドン全域のファイナンス・クラスターを形成しています。
「法の支配」と英米法(コモン・ロー)の可予見性、英語という共通言語、タイムゾーン(アジアと米国の中間)、大学・研究機関・専門職教育、文化・生活環境などの複合要因が、シティの持続的競争力の基盤です。長い時間をかけて積み上げられた判例・契約実務・規制対話の蓄積は、容易に模倣できない「見えない資産」であり、国際紛争や大型M&Aで「ロンドンの法廷/仲裁を選ぶ」誘因を生みます。
歴史的転換点:ポンド体制からユーロダラー、ビッグバン、危機と再編
20世紀の前半、第一次世界大戦と大恐慌はシティの地位に打撃を与えましたが、1950年代以降、ドル規制を回避する形でロンドンのオフショア市場にドル資金が集まる「ユーロダラー市場」が形成され、国際金融の復権が進みます。各国の資本規制の隙間を縫うロンドンの柔軟性と、法務・会計・ブローカレッジの厚みが、この再興を支えました。
1986年の「ビッグバン」は、株式取引の手数料自由化、ブローカーとディーラーの兼営解禁、電子取引の導入、外資の参入促進などを柱とする大改革でした。これにより、旧来の紳士的クラブ的商慣行は大きく変容し、グローバル投資銀行の拠点集積、デリバティブ市場の拡大、プロフェッショナル・サービスの高度化が進みました。EU単一市場の進展も追い風となり、パスポーティング制度のもとで欧州市場へのアクセス拠点としての役割を確立しました。
2007–09年の国際金融危機は、ロンドンでも投資銀行の再編、規制の強化(自己資本比率、流動性規制)、行為規制の厳格化をもたらしました。システミック・リスク管理の枠組み整備と並行して、ロンドンはフィンテック、グリーンファイナンス、サステナブル投資、人民元建て取引など新領域の拡大で競争力の維持を図りました。
ブレグジット後、EU域内パスポートの喪失は一定の業務移転(ダブリン、フランクフルト、パリ、アムステルダム等)を招きましたが、英国内の規制当局(FCA、PRA)は国際整合と機動性の両立を模索し、データ・資本市場・決済インフラの「開かれたハブ」としての再定義が進んでいます。シティの将来は、欧州との相互承認、英国法の魅力、タックス・コンペ、ESG規制、デジタル資産・CBDCの制度設計など複合要因に左右されます。
誤解と比較、現在的課題:国家との距離、ウォール街との違い
まず区別したいのは、「シティ」と「ロンドン大都市圏」の違いです。シティは歴史的自治体で、ロード・メイヤーは儀礼・経済外交の顔。これに対し、Greater London の「ロンドン市長(Mayor of London)」は交通・都市計画を所管する広域行政の首長です。両者は役割が異なり、しばしば混同されます。また、カナリーワーフは地理的にはシティ外にありつつ、機能面ではシティと一体の金融中枢です。
国家との距離について、「シティは国家から独立した『国家内国家』」という言い方が流布しますが、これは誇張です。独自の儀礼・代表制・ロビー機能を持つ一方、金融規制・通貨発行・税制などの根幹は議会主権と中銀・監督当局に従います。歴史的に「シティ—財務省—イングランド銀行」の連関が英国経済政策を方向づけたのは事実ですが、民主的統制と市場の自律のせめぎ合いの中で運動してきました。
ウォール街との比較では、米国の巨大な国内市場・投資銀行文化・証券化ビジネスに対し、シティは法務・保険・海運・外為などのホールセール機能、英米法の仲裁優位、タイムゾーン利点で補完的地位を保ってきました。EU本土の金融センター(フランクフルト、パリ、アムステルダム)とは、通貨同盟・監督体制の違いがあり、ロンドンはむしろグローバル・オフショア・ハブとしての強みを磨いてきたといえます。
現在的課題としては、(1)金融のデジタル化・規制の国際整合をどう主導するか、(2)気候変動リスクとトランジション・ファイナンスの標準化、(3)データとAI時代のコンダクト・ガバナンス、(4)ブレグジット後の人材・ビザ・税制の競争力、(5)都市としての包摂性・住宅・交通・文化の維持、が挙げられます。シティの競争力は、金融エンジン単独ではなく、法務・学術・文化の「都市エコシステム」が生む総合力に依存します。
まとめると、「シティ」とは一地点の摩天楼群ではなく、千年規模で蓄積された制度・慣行・専門知の束です。港市の自治に始まり、帝国の金融、戦後のオフショア、自由化とIT、危機と再設計を経てなお、世界の資本の流れを編む結節点であり続けています。用語としての「シティ」を学ぶときは、行政単位・歴史・産業・法制度・地理の五層を重ねてとらえることが、誤解を避ける最短路になります。

