『市民政府二論』(Two Treatises of Government、しばしば『統治二論』と訳されます)は、17世紀イングランドの思想家ジョン・ロックが、王権神授説と専制に対する原理的批判、および近代的な自由・所有・同意にもとづく政府の正当性を体系的に示した政治思想書です。第一論文はロバート・フィルマーの家父長的王権論を論駁し、第二論文は自然状態・自然法・所有権・社会契約・統治権の分立・抵抗権といった概念を用いて、統治の起源と限界を明晰に説明します。名誉革命(1688–89)の前後に書かれ、出版は1689年(奥付1690年)で、宗教的寛容を説く『寛容についての書簡』とともに、近代立憲主義の土台を築きました。ロックの議論はアメリカ独立革命の文言や憲法思想、フランス人権宣言、英米の自由主義、国際的な人権観にも深く影響を与え、今日まで「政府とは何のためにあり、どこまで許されるのか」を考える際の基準点であり続けています。
成立背景とテキストの性格:名誉革命前後の危機と匿名出版
ロックの生涯は、王党派と議会派の緊張、宗教対立、財政軍事国家の形成という混迷のただ中にありました。『市民政府二論』は、王権神授説や世襲的専制を理論的に支えるロバート・フィルマー『家父長論(パトリアーカ)』への応答として構想され、同時に議会主権・法の支配・信教の相対的寛容を擁護する文脈で書かれました。ロックは当初匿名で出版し、しばらく実名を伏せました。これは政治的な波風の大きさを物語ります。テキストは二つの「論文」からなり、第一が批判篇、第二が構成的理論篇という役割分担をとります。序文では、専制に対する警戒と、同意にもとづく統治原理を読者に提示する意図が明確に述べられます。
当時の切迫した現実は、ただの抽象論ではありませんでした。王が課税や軍事を恣意的に動かすことへの不信、国教会と非国教徒の対立、陰謀と粛清の記憶が人々の心に深く刻まれていました。ロックは、人民の自由と安全を守るための政治的「最低限」を、経験と理性に支えられた原理として示そうとしました。その結果、彼の議論は、道徳哲学・法哲学・経済観を横断する「実務的な政治理論」としてまとまっていきます。
第一論文の要点:家父長的王権論(フィルマー)の否定
第一論文は、一見すると細かな文献批判の集積に見えますが、核心は単純です。すなわち、「王権はアダムに由来する神授の家父長的権威の継承である」というフィルマーの主張は、聖書解釈としても、政治哲学としても、歴史的事実としても成立しないという指摘です。ロックは、家族における父権と政治社会の支配は別の種類の権威であり、親の保護権は子の成人とともに自然に縮減し、政治的支配は本人の同意なくして正当化できないと述べます。
この否定には二つの重要な含意があります。第一に、政治権力は世襲的な血統や神話ではなく、人間の理性と同意に基づく公共の約束から生まれるということです。第二に、家族・親権・教育といった私的領域と、課税・刑罰・戦争・平和といった公共領域は混同してはならないという区別です。ロックはこの区別を徹底し、近代的な「公私の分離」の思想的基盤を固めました。
第二論文の核心:自然状態・所有・同意・権力分立・抵抗権
自然状態と自然法について、ロックはトマス・ホッブズと異なり、自然状態を「万人の対万人の闘争」とは描きません。人は理性により自然法—他人の生命・自由・財産(プロパティ)を侵害してはならない—を認識でき、一定の道徳秩序が存在すると考えます。ただし裁判官と執行者が各人に委ねられているため、偏見・私情・力の不均衡が紛争を深刻化させます。この不都合を正すために、人々は合意により政治社会を設立し、中立の裁判官と既知の法、執行の力を持つ政府を作るのだとされます。
所有権の起源は、ロックの理論の中でも最も影響力の大きい部分です。各人はまず自己の身体に対する所有権を持ち、その労働を自然物に混ぜ合わせる(混和)ことで、自然の共通物から私有が生まれるとされます。労働は価値の源泉であり、労働が付着した対象は正当に「私のもの」と呼びうるのです。ただしロックは二つの制約を併記します。ひとつは腐敗禁止(スプイレージ)で、自分が腐らせない範囲に限って占有できるという制限、もうひとつは十分かつ同等の残余(enough and as good)で、他者にも同等の利用可能性が残ることです。貨幣の発明と合意は、保存制約を緩めて大規模な蓄積を可能にしましたが、同時に不平等と政府による調整の必要を生み出します。
社会契約と同意では、政治社会の正統性は成員の同意に依拠するとされます。全員一致の原初契約から出発しても、以後の政治的決定は多数決で行うという実務原理が明示され、少数の恣意を防ぐために法の一般性・公開性が重視されます。ロックは、同意が明示的でなく黙示的な場合(領土内に居住し保護を受ける)を認めつつ、政府が信託(トラスト)を裏切るときには、人民は抵抗権を持つと断じます。抵抗は無秩序の許可ではなく、正統な権力の回復という目的に限定され、現実の危害と濫用の度合いを勘案して慎重に行使されるべきだと説きます。
権力の分立と統治の限界では、ロックは立法権を最重要と位置づけつつも、立法は委託された信託であり、恣意的な人身・財産の侵害、課税の恣意、法の非公開を禁じます。執行(行政)権と対外(連合)権の区別、緊急時に法律の文言では追いつかない場合の裁量(プリロガティヴ)の必要も認めますが、それらも公共善と法の精神に従う限りでしか許されません。ロックの分立論は、後のモンテスキューと異なる配列をとりますが、恣意の抑制という目的で一致し、近代憲法の骨格を準備しました。
征服・専制・政府の解体について、ロックは勝者に被征服者の生命・財産を恣意的に支配する権利は認めず、戦争は正義の限度内でしか権利を生みません。専制は政治社会の範囲外の力であり、政府が立法の信託を破るならば、人民は旧政府を解体し、新たな代表を樹立する権利を持つとされます。ここに、名誉革命の正当化理論の肝が表れます。
受容・影響・批判:立憲主義の資源と論争の焦点
『市民政府二論』は、18世紀の英米思想と制度に深い影響を与えました。アメリカ独立宣言の「生命・自由・幸福追求(財産)の権利」、課税と代表の結合、政府の正当性が同意に依拠するという定式は、ロックの語彙を色濃く映しています。英国でも、議会主権と法の支配、寛容の拡大、陪審と適正手続の重視に理論的裏付けを提供しました。フランスでは、ルソーと並ぶ社会契約論の一極として、人民主権と権利宣言の言語を支えました。
同時に、ロックの財産権理論と植民地主義・囲い込みの歴史的関係は、20世紀後半以降の批判的研究の焦点となりました。労働=価値=正当な所有という連鎖が、先住民の土地利用を「労働の混和」と見なさずに私有化を正当化したのではないか、という問いです。また、ロックが「家父長制」を批判したにもかかわらず、当時のジェンダー秩序の限界(女性の政治的排除)を積極的に乗り越えたわけではない点も指摘されます。さらに、社会契約の「黙示的同意」の概念は、権力に対する服従を過度に前提化しないか、という問題も議論されています。
それでもなお、ロックの中心命題—政府は人民の権利を守るための信託であり、正当性は同意と法の支配に依拠し、濫用に対して人民は抵抗権を持つ—は、現代の立憲民主主義の規範的基準として生き続けています。緊急権の統制、課税と代表、監視とプライバシー、財産権と社会的配分、難民・少数者の権利など、今日の論点を考えるうえでの作法を与えます。
他の契約論者との比較も有益です。ホッブズは主権の不可分・抵抗否定を通じて秩序の最小化を狙い、ロックは権利と同意の限界設定を強調し、ルソーは一般意思にもとづく自己立法の共同体像を描きました。三者の相違を押さえると、ロックの「限定政府」の特質—権利保障を目的とする権力の分立・委託—がより鮮明になります。
読み方の手引き:用語の勘どころとよくある誤解
ロックの「プロパティ(property)」は、単に物的財産に限りません。生命・自由・財産という三つの基本的利益の総称として用いられる場面が少なくありません。したがって、財産権の議論は、身体の自由・宗教の自由などの権利と連動して理解する必要があります。また、「プリロガティヴ(prerogative)」は、王の特権の賛美ではなく、法の目的を守るために必要な裁量という、中立的・機能的概念として提示されます。抵抗権は、革命礼賛ではなく、信託違反への最終手段として限定されています。
よくある誤解として、第一に「ロック=放任の経済主義」という受け止めがありますが、彼は貨幣と不平等の拡大を認めつつ、課税の正当性や公的目的のための制限を否定していません。第二に「所有の混和=どんな占有も正当化」という理解も誤りです。ロックは腐敗禁止と残余の条件を設け、さらに成員の同意を前提に貨幣経済が拡大する構図を描きました。第三に「自然状態=現実の原始社会の記述」という誤解も避けるべきです。自然状態は規範的・分析的想定であり、歴史実証の仮説ではありません。
テキストに当たる際は、序文—第一論文—第二論文の順で読み、第二論文では第2章(自然状態)・第5章(財産)・第8〜11章(政治社会・立法・行政)・第19章(政府の解体)を重点に置くと、全体の骨格がつかみやすいです。ロックの文体は一見平明ですが、用語の射程は広いので、当時の宗教論争・法実務・議会政治の背景を軽く押さえておくと理解が深まります。

