ジャンク船(junk, 中国語では<舶・舟の総称としての「船」だが、欧語史料で特定の東アジア帆船型を指す語>)は、宋代以降に成熟した中国系の多帆式帆船を中心とする広域アジアの船型群を指す言葉です。遮浪板のある高い舷側、隔壁で区切られた強固な船体、竹のバテンを入れた帆(鑲篠帆)と帆桁の上下で面の形を自在に変えられるラティーンに似た可変翼、浅い吃水とよく効く艪(舵)――こうした特徴は、外洋と河川・内海をつなぐ「混合航路」に適し、南宋から明代・清代、さらには東南アジア全域の海上交易と移動を支えました。鄭和艦隊の大船(宝船)から、福建・広東・浙江の地域船、マラッカやトンキンの沿岸船、琉球・日本に出入りした貿易ジャンク、さらに海賊・密貿易船に至るまで、多様なスケールと用途を持ちます。以下では、起源と語源、船体・帆装・操船の技術、交易・軍事・航路の歴史的役割、地域差と近代以降の変容という観点から、初学者にも分かりやすく整理します。
起源・語源と成立――宋代の技術集成から海域アジアの共通語へ
「ジャンク(junk)」という語は、マレー語・ジャワ語の「jong/djong(大船)」や、中国南方語の「船・戎克」などに由来を求める説があり、16世紀以降のポルトガル語・スペイン語・オランダ語の航海記に頻出します。漢語史料では単に「船」「海船」「福船」「沙船」などの名称が用いられ、型式名は地域・用途によって細分されました。宋代には、河海兼用の堅牢な外板張りと隔壁構造、羅経(羅針盤)の普及、艤装の標準化が進み、元・明・清を通じて大型化・専用化が進展します。中でも福建系(福船)と広東系(広船)は、外洋航行と積載量のバランスに優れ、香料・陶磁・絹・茶・銀を運ぶ主力となりました。
技術史の視点から見ると、ジャンク船は「河川・内海から外洋へ」というアジア的航海の漸進に合わせて進化しました。浅い吃水で汽水域や砂州を越えられること、帆を細かく畳んで狭い水路での操船が効くこと、隔壁で浸水を局限しうることは、季節風航海とモンスーンの待ち・寄港の頻度が高い海域アジアに最適でした。木材資源・竹資材・繊維(麻・棕櫚)に依拠した造船文化も、広域に共有されました。
船体・帆装・操船――隔壁と竹バテン帆、浅吃水と大舵の合理性
船体:ジャンク船の骨格は、竜骨一本に負荷を集中させる地中海系ガレー/カラック型とは異なり、複数の隔壁(隔艙)を持つ箱型の強度体系です。外板は「縦張り」と「横張り」が地域で併存し、縦張り外板を厚くして防漏を高める型も発達しました。隔壁は荷役区分・安定性・防浸の三役を兼ね、喫水線下での破孔にも船全体の沈没を回避しやすい構造でした。甲板には遮浪板(バルワーク)が高く立ち、艙口はキャンバスや板で防水します。船底は比較的平らで、干潮時の座洲・着地を許容する形状が多く見られます。
帆装:最も特徴的なのは、竹製のスラット(バテン)を縫い込んだ「鑲篠帆(しょうじょうはん)」です。帆は縦桁(帆桁)に吊られ、索具(帆索)で縦・横・斜方向に張力を配分し、風位に合わせて帆の面形を可変できます。これにより、横風から向かい風寄りまで幅広い風位での推進が可能となり、急なスコールにも素早く縮帆できます。多本マスト化(前檣・中檣・後檣)により帆面を分割し、船のサイズに応じて帆の組み合わせを変える柔軟性も備えました。帆布は大麻や綿、棕櫚繊維を撚り合わせたものが一般的で、油脂や石灰で防水処理を施します。
操船:舵は船尾中央に吊り下げる大型の艪(スカグのない垂直舵)で、舵面積を可変する仕組み(長孔での上下調節や補助舵板)を備える例が多く、浅水域でも効きが良いのが利点です。錨は木製のストックを持つ鉄爪のアンカーや、石錨・木錨が併用され、潮流に応じて複数打ちします。係船は竹や椰子縄、帆の上げ下げ・いかりの揚降は、カン(滑車)とキャプスタン(巻揚機)の組み合わせで少人数でも可能でした。羅針盤と天測(北極星高度)、水深測(鉛錘)、沿岸の地物(山姿・灯火)によるパイロット術が、モンスーン海域の実地経験とセットで蓄積されます。
安全性と応急:隔壁船体は座礁・衝突時の冗長性を持ち、竜骨中心の船に比べて局所破損への耐性が高い反面、船体ねじり剛性の確保や船脚の速さでは劣る局面がありました。船大工は生木と乾燥材の使い分け、樹脂(松脂・漆)と石灰の混用、銅板・鉄釘の併用などで補強します。乾舷の高い福船は外洋の波に強く、広船は積載・居住性が良いなど、用途に応じた選択がなされました。
交易・軍事・航路――モンスーンの道を走ったアジアの物流インフラ
交易:宋・元期、泉州・広州・明州(寧波)などの港から、南は占城・大越・閩南・台湾・琉球を経て、日本・朝鮮へ北上する航路、また西はチャンパー・ジャワ・スマトラ・マラッカ・印度西岸へ至る航路が季節風に合わせて運営されました。積荷は陶磁器(青磁・白磁・染付)、生糸・絹織物、茶、金銀銅、銅銭、紙、書籍・薬材、木材・漆器・鉄器、香料(胡椒・丁子・肉桂)や樟脳、砂糖など多岐にわたります。ジャンク船は大口・大量・低コストのキャリアとして、インド洋のダウ船、東南アジアのプローア船などと相互補完の関係を築きました。
軍事と海賊:沿岸防衛や海賊取締でも、ジャンクは主役でした。明代の「倭寇」対策では、福船型の武装船が砲(紅夷砲・佛郎機)や弩砲で武装し、船首・舷側からの斉射で制圧を図ります。海賊・密貿易の側も同型の高速ジャンクを用い、福建・広東の「海上勢力」は交易と武力の二面を持ちました。17世紀の鄭成功(国姓爺)の艦隊は、台湾・福建間の制海を担った象徴例です。琉球や日本の朱印船も、帆走思想や甲板構成にジャンク的要素を取り入れ、東シナ海の季節風を活用しました。
航路運用:モンスーンは、冬季の北東風で南下し、夏季の南西風で北上する「往きと還り」の基本リズムを形づくりました。寄港地では水・食料・修理材の補給、税関・通関、現地商人とのバーター、貨物の積替えが行われ、ムスリム商人・華人商人・南洋の在地商人のネットワークが重なり合います。羅針盤の普及は沿岸視程に頼らない外洋寄りのコース選択を可能にし、星・潮汐・海鳥・水色・漂流物といった「自然の兆候」を読む術も、世代を超えて継承されました。
生活世界:船上には甲板下の艙室、煮炊きの竈、淡水樽、家畜(鶏・山羊)まで積まれ、長期航海に備えました。水夫は地方出身の寄せ集めだけでなく、特定の船主・郷里の同郷団を介して雇用され、宗教儀礼(海神媽祖・天妃への祈り、イスラームの礼拝)や季節祭が共同体意識を支えました。病と怪我への対処、海難の伝承、星と風の歌は、ジャンク文化の無形の遺産です。
地域差と近代以降――福建・広東・浙江、東南アジア化と蒸気・鋼船の時代
地域差:福船(福建系)は高い舷側と大きな船尾楼、重ね板の外板、厚い遮浪板で外洋向き。広船(広東系)は丸みのある船体と広い艙、甲板上構が発達し、居住性・商船性に優れます。浙江の沙船は揚子江下流・沿海の浅水域に適応し、平底・小回りが効きました。華南から東南アジアに移植された華僑系の造船は、材木・船具・帆の供給網と一体化し、マレー半島・スマトラ・ボルネオ・ベトナム・フィリピン各地の在来船型(プラウ・バンカ、ヴィンタ、バランガイ等)と相互影響を及ぼし合いました。
東南アジア化:マラッカ海峡やジャワ海では、ジャンク帆(バテン帆)が在来の三角帆・四角帆と混淆し、曳帆の工夫や竹桁の軽量化が進みました。華人商人の拠点港(ペナン、シンガポール、バタヴィア、サイゴン、ハイフォン、マニラ等)では、ジャンクが米・錫・ゴム・砂糖を大量輸送する足として活躍し、税関・灯台・航路標識の整備とともに、19世紀の「蒸気以前の物流上限」を押し上げました。
近代化と衰退:19世紀後半、蒸気船と鉄・鋼船体の普及、スエズ運河開通、海図・無線・灯台の近代化は、ジャンク船の比較優位を急速に低下させます。速度・定時性・保険の点で不利になり、長距離外洋は蒸気船に奪われました。他方で、沿岸・河川・群島間のローカル航路では、20世紀半ばまで木造ジャンクが現役を保ち、漁船・運搬船として地域生活を支え続けました。一部はディーゼル機関を搭載し、帆とエンジンの複合化で延命します。今日では観光・文化財・レプリカの領域で、香港帆の赤いバテン帆を掲げるシンボリックな存在となっています。
技術の継承:ジャンクの帆走理論(バテンで翼型を作り、失速を抑える)、隔壁の冗長性思想、浅吃水船の運用知、モンスーン航海の時間管理は、現代ヨットやバルク運搬の港湾運用、災害時の簡易船舶設計・安全思想にも示唆を与えます。無数の名もなき船大工と水夫の経験は、地域の口承や作業歌、船材の目利き、縄の結び、帆の縫い方という形で生き続けています。
補記――名称の揺れと史料の読み方
欧語の「junk」は、東アジアの多様な帆船を一括りにした便宜的分類であり、実際の造船・海運の世界では、福船・広船・沙船・文船・官船・舶・夷船などきわめて具体的な語が用いられました。航海記・交易記録・税関台帳・難破記・図像資料(屏風・版画・航海図)を突き合わせ、地域名・年代・用途を特定する作業が必要です。また、欧人の視点は時に誇張や誤解(宝船の過大評価や普遍化)を含むため、漢文史料・地方志・口承と比較しながら、ジャンク像を立体的に再構成するのが望ましいです。
まとめ――風と水を読み、隔壁に命を預けた船
ジャンク船は、竹のしなりと木の浮力、羅針と星、風と潮を組み合わせたアジア的合理の結晶でした。外洋を恐れず、しかも河口と内海へ深く入り込める船。大量輸送と小回り、頑丈さと修理の容易さ、帆の可変性と少人数運用――そのバランスが、海域アジアの経済と文化交流を長く支えました。蒸気と鋼鉄の時代に主役を降りた後も、赤いバテン帆のシルエットは、モンスーンの道を走った歴史の記憶を鮮やかに残しています。ジャンクを学ぶことは、地域の自然条件と技術がどのように結びついて人の移動と交換を可能にしたかを理解する手がかりとなり、海の世界史を身近に感じさせてくれるのです。

