新疆ウイグル自治区(しんきょうウイグルじちく)とは、中華人民共和国の最西部に位置する省級行政区で、中国国内で最大の面積をもつ自治区です。正式名称に「ウイグル」とあるように、テュルク系ムスリムであるウイグル人を中心とする多民族地域として位置づけられており、中国政府の用語では「新疆ウイグル自治区」は、ウイグル族など少数民族が自治を行うことになっている「民族区域自治」の一つとされています。首府はウルムチ(烏魯木斉)で、タリム盆地・ジュンガリア盆地・天山山脈などを含む広大な領域をカバーしています。
歴史的には、この地域は「西域」と呼ばれ、シルクロードの要衝として多くのオアシス都市が栄えてきました。古代から中世にかけて、漢・唐などの中国王朝、匈奴・突厥・ウイグル・モンゴル・チャガタイ=ハン国などの内陸アジア諸勢力、さらにはイスラーム王朝などが交替しながら支配してきたため、民族構成や宗教文化は非常に複雑です。近世に清朝がこの地域を征服し、「新疆」として帝国の一行省に組み込んだことが、現在の国境や「新疆ウイグル自治区」という枠組みの出発点となりました。
中華人民共和国成立後、この地域は当初「新疆省」とされていましたが、1955年に「新疆ウイグル自治区」へと改編されました。それ以降、国家主導の開発政策や漢族人口の移住、資源開発とインフラ整備、軍事的・安全保障上の位置づけなどにより、新疆は中国の内政・外交の両面で戦略的にきわめて重要な地域となっています。一方で、ウイグル人をはじめとする少数民族の言語・宗教・生活文化と、国家による統合・管理との間にはさまざまな摩擦や緊張も生じており、人権・民族問題をめぐる国際的な議論の焦点の一つともなっています。
世界史の観点からは、新疆ウイグル自治区は、古代の「西域」から現代の国家領域へと移り変わった内陸アジアの一角であり、シルクロードの歴史と20世紀以降の民族・国家形成の問題が重なり合う地域です。この地域を理解するには、自然環境や経済開発、中国の少数民族政策、イスラーム世界とのつながりや中央アジアとの関係など、多くの要素をあわせて見る必要があります。
地域の範囲と自然環境、多民族構成
新疆ウイグル自治区は、中国の西北端に位置し、カザフスタン・キルギス・タジキスタン・アフガニスタン・パキスタン・インド・モンゴル・ロシアなど、複数の国と国境を接しています。その面積は中国全土のおよそ6分の1に相当し、日本全土の数倍にあたる広さを持ちます。地理的には、タクラムカン砂漠を抱えるタリム盆地、天山山脈をはさんで北側に広がるジュンガリア盆地、さらにアルタイ山脈やクンルン山脈など、高い山地と広大な荒野がモザイク状に広がっています。
気候は全体として乾燥しており、内陸性の大陸気候が支配的です。雨は少なく、昼夜や季節の寒暖差が大きいのが特徴です。このような環境条件から、人びとの生活は主としてオアシス農業と遊牧に支えられてきました。天山やクンルンなどの山脈から流れ出る川がタリム盆地の縁辺で地表に現れ、その周辺に畑や果樹園が開かれ、町が築かれます。一方、北部のジュンガリアや一部の山麓では、羊やヤギ、馬、ラクダなどを飼う遊牧や半遊牧の生活が伝統的に営まれてきました。
新疆ウイグル自治区の人口構成は、多民族的です。名称に含まれているウイグル族は、テュルク語系の言語を話すムスリムで、都市部のバザール文化やオアシス農業、音楽・舞踊など豊かな民族文化を持っています。主要な居住地はカシュガル、ホータン、トルファン、ウルムチなどの都市やその周辺地域です。ウイグル語はテュルク語派に属し、アラビア文字を改良した表記体系が用いられてきました。
ウイグル族以外にも、カザフ族・キルギス族・タジク族など遊牧・山地生活に親しんだ民族、漢族(中国の多数派民族)、回族(イスラームを信仰する漢語話者)、シボ族、モンゴル族など、さまざまな民族が居住しています。とくに漢族人口は、20世紀後半以降の移住政策や経済開発を通じて増加し、都市部を中心に大きな比重を占めるようになりました。こうした民族構成の変化は、雇用や教育、言語使用をめぐる緊張の一因ともなっています。
宗教面では、ウイグル族・カザフ族・キルギス族・回族などの多くがスンナ派イスラームを信仰しています。モスクは地域社会の重要な拠点であり、金曜礼拝やラマダーンの断食、巡礼(ハッジ)などの慣習が生活のリズムを形づくってきました。一方で、漢族人口の増加に伴い、仏教・道教・キリスト教なども存在し、宗教の多様性が見られます。ただし国家の宗教管理政策により、すべての宗教活動は登録制・管理下に置かれています。
清朝から中華人民共和国へ:新疆の行政的な位置づけ
新疆ウイグル自治区の成立を理解するには、清朝以来の行政的変化を押さえる必要があります。18世紀、乾隆帝の時代に清朝はオイラト系モンゴル勢力であるジュンガルを破り、その支配領域を征服しました。このとき、清朝はタリム盆地のオアシス都市やジュンガリア一帯を「新たに獲得した領土」として認識し、「新疆」という呼び名を用いるようになります。当初は軍事的・民族的に複雑な地域であったため、清朝は中央直轄の特別な統治を行い、漢族の大量移住は慎重に制限されていました。
19世紀になると、中央アジアではロシア帝国の南下やコーカンド汗国の活動が活発になり、新疆は国際政治上の「グレート・ゲーム」の一部となります。タリム盆地ではムスリム反乱やヤクブ・ベク政権が成立し、一時的に清朝の支配が揺らぎましたが、再征服後、1884年に「新疆省」が正式に設置されました。これにより、新疆は他の地域と同様の省制度の下に組み込まれ、中国の版図の一部として行政的に位置づけられることになります。
20世紀に入り、辛亥革命で清朝が倒れると、新疆は中華民国のもとで省として残りましたが、実際には地方軍閥や長官による半独立的な統治が続きました。ソ連との関係や内部の民族運動を背景に、短期間ながら「東トルキスタン共和国」と称する政権が存在した時期もあり、この地域の政治的帰属は不安定な側面を持っていました。
1949年、中華人民共和国が成立すると、新疆もその統治下に入ります。当初は引き続き「新疆省」とされましたが、1955年に「新疆ウイグル自治区」が設置されました。これは、ウイグル族を中心とする少数民族の自治を名目上保障する「民族区域自治制度」に基づくもので、同様の枠組みはチベット自治区・内モンゴル自治区などにも適用されています。自治区政府や人民代表大会には、現地民族出身の幹部が一定数配置される一方、共産党の地方組織が最終的な政治的決定権を持つ構造が築かれました。
このように、新疆の行政的位置づけは、清朝の軍事征服と省制度への編入、中華民国期の省としての扱い、中華人民共和国期の民族自治区への移行という段階を経てきました。これらはいずれも、内陸アジアの一地域を近代国家の領域に包摂し、国境線の内側に固定していく過程と深く結びついています。
経済開発・資源・一帯一路の中の新疆
中華人民共和国成立後、とくに改革開放以降、新疆ウイグル自治区は経済開発の対象として重視されてきました。新疆には石油・天然ガス・石炭・ウランなど豊富な地下資源が存在し、中国国内におけるエネルギー供給基地の一つとなっています。また、綿花・小麦・トウモロコシ・果物などの農業も盛んで、灌漑設備の拡充と機械化により、大規模な農牧業生産が進められました。特に「新疆綿」は、中国国内外で知られる主要産品です。
インフラ整備の面でも、新疆は大きな変化を経験しました。鉄道・高速道路・空港の建設により、ウルムチを拠点としてカシュガル・ホータン・トルファンなどの都市が中国内陸や沿海部と結びつき、さらに中央アジア諸国との国際輸送ルートも整備されています。これにより、古代のキャラバンルートに代わって、現代版の「シルクロード」とも言うべき鉄道・道路・パイプライン網が形成されつつあります。
21世紀に入ると、中国政府は「一帯一路」構想の中で、新疆を陸上ルートの中核拠点の一つと位置づけました。カザフスタンやキルギスを経由してロシア・中東・ヨーロッパへと延びる鉄道・道路網は、新疆を通過することが多く、ウルムチやカシュガルは国際物流と投資の窓口としての役割を担うようになっています。こうした戦略的な位置づけは、新疆の経済発展の可能性を広げる一方で、安全保障上の重みを増す要因にもなっています。
経済開発の進展に伴い、漢族を中心とする内地出身者の移住も促進されました。国営農場や建設プロジェクト、国営企業などに多数の労働者が投入され、都市部の人口構成は大きく変化しました。このことは、雇用機会・所得格差・都市と農村のギャップなどをめぐる不満を生み出す一因ともなっています。開発による生活水準の向上が強調される一方で、その恩恵の分配や文化・生活様式の変容に対する評価は、民族や立場によって大きく異なります。
観光分野では、天山山脈の自然景観やオアシス都市の歴史的建造物、ウイグル文化を体験できるバザールや音楽・舞踊などが国内外の観光客を引き付けています。クチャ石窟やトルファンの遺跡など、古代シルクロードの遺産も世界遺産として注目されています。一方で、観光開発と伝統的生活空間の変化、文化の商業化をめぐる議論も存在します。
民族政策・宗教・国際的なまなざし
新疆ウイグル自治区は、中国国内の少数民族政策と宗教政策が交差する場でもあります。中国政府は「各民族は平等であり、民族区域自治によって少数民族の権利が保障されている」と公式に説明していますが、実際の政策運営をめぐってはさまざまな課題が指摘されています。ウイグル語教育の位置づけや、就職・昇進の機会、宗教活動への制限、監視や治安対策の強化などが、その具体例として挙げられます。
とくに21世紀に入ってから、新疆では暴力事件やテロとされる事案が報じられ、中国政府は「過激主義・分離主義・テロリズム」との戦いを強調するようになりました。その一環として、治安部隊の増強や監視体制の整備、宗教・教育・情報空間に対する統制が強められたとされています。こうした政策について、中国政府は「社会の安定と住民の安全を守るための必要な措置」と主張しますが、国際的には宗教の自由や少数民族の権利に対する制限ではないかという批判も出されています。
国際社会において、新疆ウイグル自治区は人権問題をめぐる議論の焦点の一つとなっています。各国政府や国際機関、人権団体、メディアなどは、それぞれ異なる立場から情報を発信しており、評価や認識には大きな開きがあります。ある主体は中国の統治を「テロ対策と経済発展」として評価し、別の主体は「宗教・文化への抑圧」とみなして懸念を表明するなど、言説空間は国際政治とも強く結びついています。
こうした状況の中で、新疆について学ぶ際には、特定の立場からの情報だけでなく、歴史的経緯や多様な視点を合わせて検討することが重要だとされます。古代からの多民族・多宗教の歴史、清朝以来の統治の変遷、20世紀の国際関係、そして現代の経済開発と安全保障戦略など、さまざまな要素が重なり合って現在の姿が形づくられているためです。
新疆ウイグル自治区は、単に一地域の「民族問題」のケーススタディにとどまらず、国家と少数民族の関係、宗教と世俗権力の関係、グローバルな安全保障と人権のバランスなど、現代世界が直面する複雑なテーマを象徴する場所でもあります。その理解には、地理・歴史・政治・宗教・経済など、多方面からの継続的な学びが求められると言えるでしょう。

