人頭税(丁税) – 世界史用語集

人頭税(じんとうぜい)、または丁税(ていぜい)とは、土地や収入の多さではなく、「一人の人間(とくに一定年齢以上の男子ひとり)あたりいくら」という形で課される税のことです。中国では「丁」が成人人夫・成年男子を意味したため、成年男子一人ごとにかかる税を総称して丁税と呼びました。世界史的には「ポルタックス(poll tax/頭税)」とも訳され、土地所有とは切り離された「一人いくら」の税として、古代から各地で広く用いられてきました。

一見すると、人頭税は「全員から平等に同じ額を取る税」のように見えますが、実際には、貧しい人にとっては重く、富裕層にとっては軽い、非常に不公平な税になりやすい性質を持っていました。とくに中国や朝鮮など、戸籍制度にもとづいて成年男子の人数を細かく把握しようとした社会では、人頭税は国家の基礎的な財源であると同時に、農民に大きな負担をかける仕組みとして問題視されることが多く、さまざまな改革や廃止運動の対象にもなりました。

世界史で人頭税(丁税)を学ぶときは、「人口=税源」という発想にもとづく課税方式であったこと、そしてそれが農民や庶民の生活をどう圧迫し、やがて土地や財産に応じた税制(両税法・一条鞭法・摊丁入亩など)への移行を促したのか、という流れの中で見ると理解しやすくなります。

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人頭税(丁税)とは何か:基本的な仕組みと特徴

人頭税とは、その名のとおり「人の頭数」を基準にかけられる税です。土地の面積や収穫高、商売の利益といった要素は問わず、「一定年齢以上の男子一人につきいくら」「戸籍上の丁一人ごとにいくら」というかたちで、ほぼ定額が課されます。中国で「丁」とは、本来「成年男子・労働力として計算される人員」を指す言葉でしたから、「丁税」とは成人男性人口にもとづく人頭税という意味合いを強く持っていました。

この仕組みを国家側から見ると、非常にわかりやすく、安定した税収を見込める利点があります。戸籍と戸口調査(戸口=人口)さえきちんと行えば、成年男子の人数はおおよそ把握できるので、「登録されている丁の数×定額」で予算の見通しが立つからです。また、土地を持たない流民や小作人からも、一定額を徴収できる点で、土地税だけに頼るよりも広く負担を求めることができます。

しかし、庶民の側から見ると、その負担は一様ではありません。同じ金額の人頭税でも、豊かな地主や商人にとってはさほど重くない一方、小さな土地しか持たない農民や土地を持たない日雇い労働者にとっては、家計を直撃する重税となりがちです。その結果、人頭税はしばしば「貧しい者ほど相対的に重く感じる税=逆進的な税」として、強い不満の原因となりました。

また、成年男子の人数を基準にするため、家庭や村落の中で「いかに丁を少なく届け出るか」が重要になり、戸籍逃れや年齢詐称、人口移動の隠蔽などが頻発しました。国家は税収を確保するために戸口調査を繰り返し、農民は負担を逃れるために戸口を偽るという、いたちごっこが各地で展開されたのです。この緊張関係は、人頭税が採用されていた多くの社会に共通する現象でした。

中国における人頭税:戸籍・均田制との結びつき

中国史において、人頭税(丁税)は戸籍制度と密接に結びついていました。古代から中世にかけて、中国王朝は「戸」単位で人びとを登録し、その中の成年男子「丁」の数をもとに兵役・労役・税を割り当てました。隋・唐の時代に整えられた均田制と租庸調制は、その典型的な例です。

唐の租庸調制では、本来「租」は口分田からの穀物地租、「庸」は労役のかわりの布、「調」は絹・布・雑物などの貢納を指しました。表向きは土地や身分にもとづく複合的な税制ですが、実際の運用では、成年男子一人ひとりに一定の庸・調が課される性格が強く、人頭税的な性格を持っていました。つまり、「土地を給付する代わりに、丁ごとに租・庸・調の義務を負わせる」という仕組みだったのです。

しかし、唐が進むにつれて、戦乱や豪族の台頭によって均田制が崩れ、戸籍の登録人口と実際の人口が大きく食い違うようになります。逃亡農民や二重登録、死者の未抹消などにより、帳簿上は多くの「丁」がいることになっていても、実際には徴税できない、あるいは特定の戸に過重負担が集中する事態が頻発しました。これを是正するため、唐の中期には「両税法」が導入され、人頭税中心の制度から、土地所有と財産に応じて税を課す方式へと転換していきます。

両税法は、夏と秋の二回、土地や財産の量に応じて税をとる制度で、「量出制入」(必要な支出から逆算して税額を決める)を掲げました。この改革は、表向きは「人頭税の軽減」と「実態に即した課税」をめざしたものであり、唐以降の中国税制の基本形となります。とはいえ、地方の実情では依然として丁を基準とした負担割り当てが残り、完全に人頭税的要素が消えたわけではありませんでした。

宋・元・明・清と時代が下るにつれて、丁税のあり方は変化しつつも、成年男子を税の単位とする発想は根強く残りました。たとえば明代には、里甲制のもとで丁銀(丁税に相当する銀納税)が広く課され、土地税と重なって農民の負担を増大させました。清代には、こうした丁銀の負担を土地に組み込む「摊丁入亩(たんていいりぼ)」が進められ、人頭税を名目上は廃止して土地税に一本化する改革が行われましたが、その背景には、長年の丁税が農民生活に与えた重圧がありました。

このように、中国史における人頭税(丁税)は、戸籍制度とセットで導入された「人口にもとづく国家支配の道具」であり、同時に農民の不満と逃亡を招く「二律背反的な制度」でもあったと言えます。その矛盾を修正しようとする過程で、両税法・一条鞭法・摊丁入亩といった税制改革が生まれていきました。

他地域の人頭税と反発:イギリス・オスマン・朝鮮など

人頭税は、中国だけの特殊な制度ではなく、世界各地でさまざまな形をとって現れました。ヨーロッパやイスラーム世界、朝鮮半島などでも、「一定の人員に一定額を課す税」は重要な財源であり、またしばしば大きな反発の原因ともなりました。

中世末〜近世イングランドの「ポルタックス(poll tax)」は、典型的な人頭税です。とくに14世紀後半、百年戦争の戦費調達や財政難を背景に導入された定額人頭税は、貧しい農民や都市の下層民にとって過酷な負担となりました。1381年には、その不満が爆発してワット=タイラーの乱(農民反乱)が起こり、人頭税の不公平さが王権と議会に突きつけられることになります。結局、この反乱のあと人頭税は事実上維持できなくなり、他の税制への依存が強まりました。

オスマン帝国では、イスラーム教徒ではない被支配民(キリスト教徒・ユダヤ教徒)に対して「ジズヤ(人頭税)」が課されました。これは宗教共同体ごとに取りまとめられ、異教徒が軍役を免除される代わりに納める税と位置づけられていました。ジズヤは差別的な制度であると同時に、一定の自治と保護を保証する枠組みでもあり、その意味で「人頭税を通じた支配と統合」の一形態と見ることができます。

朝鮮王朝でも、戸籍にもとづく成年男子への役務・税負担が課され、「軍役」「貢納」「人頭税」的な負担が組み合わさっていました。とくに、朝鮮後期には税の名目が複雑化し、「身役・軍布・雑税」などが農民を圧迫したため、「三政の紊乱」と呼ばれる深刻な税制の乱れが問題となります。これに対して、均役法などの改革が試みられましたが、地方支配層の抵抗も強く、農民一揆や流民化が繰り返されました。

これらの例に共通しているのは、人頭税が「国家・支配層にとっては把握しやすい財源」である一方、「下層民にとっては逃れがたい重税」として意識されやすい、という点です。その結果、人頭税はしばしば大規模な反乱や社会不安の引き金となり、政権側はその維持と改革のバランスを取るのに苦心しました。

人頭税から土地・所得への課税へ:税制転換の流れ

近代に向かうにつれ、多くの国で「人頭税中心の税制」から、「土地や財産・所得にもとづく税制」への転換が進んでいきました。その背景には、社会の構造変化と、「税は支払い能力に応じて負担すべきだ」という考え方の広がりがあります。

農業中心社会では、成年男子の数と税収が比較的素直に連動するため、人頭税は合理的な面もありました。しかし、商工業が発達し、貨幣経済が進展し、都市住民や商人・職人・賃金労働者が増えると、「土地のない者も多く富を持ちうる」「逆に土地を持っていても収入が少ない者もいる」といった状況が生まれます。このような社会では、「ただ一人いくらの税」を課すやり方は、不公平さを強く感じさせるものになります。

中国の両税法や一条鞭法、清代の摊丁入亩などは、人頭税の性格を弱め、土地と財産に応じた課税へ軸足を移そうとした試みでした。ヨーロッパでも、近世の各種人頭税が批判され、近代国家のもとで地租・所得税・消費税など、より多様な税目が整えられていきました。人頭税そのものは完全には消えず、一部の登録料や特定の負担として残る場合もありましたが、かつてのように国家財政の柱になることは少なくなっていきます。

こうした税制転換は、単なる技術的な変更ではなく、「国家と個人の関係」をめぐる考え方の変化とも結びついていました。人頭税は、個々人を「均一な税単位」として扱い、貧富や事情を問わず一律の負担を求めます。それに対して、土地税や所得税は、所有や稼得能力を測ろうとし、「多く持つ者には多く、少ない者には少なく」という原理を部分的に取り込もうとしました。

もちろん、現実の税制が必ずしも「公平」であったわけではなく、さまざまな抜け道や不正、構造的な不平等は残りました。しかし、人頭税から別の税制への移行をたどることは、社会がどのように「誰がどれだけ負担すべきか」を議論し直し、制度の形を変えてきたのかを考える手がかりになります。

人頭税(丁税)という用語は、教科書の中では数行で説明されるだけのことも多いですが、その裏側には、人口管理・戸籍制度・農民支配・反乱・税制改革といった、多くの歴史的テーマが密接に絡み合っています。そのことを意識しながら、この用語を見ると、東アジアやヨーロッパの社会構造がより具体的に思い描きやすくなります。