アッバース朝の成立と歴史的背景
アッバース朝(750年-1258年)は、イスラーム史において最も重要な王朝の一つであり、その支配の下で「イスラーム文明の黄金時代」が花開きました。王朝の名は、預言者ムハンマドの叔父であるアル=アッバース・イブン・アブドゥル=ムッタリブに由来し、アッバース家を宗教的正統性の象徴とすることで、広範な支持を獲得しました。
前代のウマイヤ朝(661年-750年)は、アラブ人を特権階級とし、非アラブ人改宗者(マワーリー)やシーア派、さらには非イスラーム教徒に対して差別的な政策を行っていました。これがイスラーム共同体(ウンマ)の分裂を招き、反ウマイヤ運動を生み出しました。アッバース家はこうした不満を糾合し、特にホラーサーン地方での運動を背景に、750年、ザーブ河畔の戦いでウマイヤ朝を打倒しました。ここにアッバース朝が成立し、イスラーム世界の新たな時代が幕を開けました。
アッバース朝の政治体制とバグダードの繁栄
初代カリフ・アブー・アル=アッバース(アッ=サッファーフ、「流血者」)に続き、2代カリフ・アル=マンスール(在位754-775年)はバグダードを新都として建設しました。バグダードは円形都市として設計され、行政・宗教・軍事の中心地となり、以後数世紀にわたり「イスラーム世界の都」として繁栄しました。
アッバース朝はウマイヤ朝のアラブ人優遇政策を改め、ペルシア人やその他の非アラブ系ムスリムを積極的に登用しました。これにより、イスラーム世界はより普遍的な共同体として発展しました。この政治的方針は、イラン系の政治思想や行政技術が導入される契機ともなりました。
行政面では、宰相(ワズィール)を中心とする官僚制が整備され、中央集権的な体制が築かれました。軍事的にはアッバース朝初期にはアラブ系・ペルシア系の兵士が中心でしたが、9世紀以降はトルコ系マムルーク兵士の導入が進み、やがてそれがカリフ権力の衰退の一因となります。
黄金時代の文化と学問
アッバース朝の文化的繁栄は、特にハールーン・アッ=ラシード(在位786-809年)とアル=マアムーン(在位813-833年)の時代に顕著でした。『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』に描かれる華麗な宮廷文化は、ハールーン・アッ=ラシードの宮廷を背景にしたとされます。
アル=マアムーンは特に学問の保護に力を注ぎ、バグダードに「知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)」を設立しました。ここではギリシア語、シリア語、サンスクリット語の学術文献がアラビア語に翻訳され、哲学・医学・数学・天文学の分野が大きく発展しました。アル=フワーリズミーによる代数学の確立、イブン・シーナーの医学体系など、後世のヨーロッパにまで影響を与える知識がこの時期に蓄積されました。
また、イスラーム美術・建築も発展し、モスクや宮殿には精緻な装飾や壮大な建築が施されました。文芸の分野では詩人アル=ムータナッビなどが活躍し、アラビア語文学の黄金時代を築きました。
アッバース朝の分裂と衰退
9世紀以降、アッバース朝の権力は次第に弱体化しました。広大な帝国を統治する難しさ、軍事力として依存したトルコ系マムルークの台頭、さらには地方総督の自立傾向がその要因でした。
9世紀半ばにはチュニジアにアグラブ朝、エジプトにトゥールーン朝、さらに10世紀には北アフリカからエジプトにかけてシーア派のファーティマ朝が成立しました。東方でもサーマーン朝やブワイフ朝などが独立し、アッバース朝カリフは名目上の宗教的権威を保つに過ぎなくなりました。
特にブワイフ朝(10世紀半ば-11世紀)はバグダードを支配下に置き、カリフは完全に傀儡と化しました。その後、セルジューク朝が登場すると、カリフは再び保護者を変えながら名目的存在として存続しました。
最終的に1258年、モンゴル帝国のフラグ軍がバグダードを攻略し、アッバース朝の実権は終焉を迎えました。最後のカリフ・アル=ムスタスイムは処刑され、バグダードの繁栄は壊滅的打撃を受けました。ただし、アッバース家の一族は生き残り、カイロでマムルーク朝の庇護の下に形式的なカリフ位が継承されました。
アッバース朝の歴史的意義
アッバース朝の歴史的意義は、第一にイスラーム共同体を「アラブ中心」から「普遍的イスラーム世界」へと転換させた点にあります。非アラブ人も国家運営に積極的に参加し、イスラーム文明はアラビア半島を越えて広大な世界に広がりました。
第二に、アッバース朝はイスラーム文明の学問と文化を飛躍的に発展させ、古典古代の知識を保存・継承・発展させました。これが中世ヨーロッパに「アラビア科学」として逆輸入され、ルネサンスの基盤を形成しました。
第三に、アッバース朝は「宗教的権威と政治的権力の分離」を示す存在となりました。後期のカリフは名目的存在となり、実権は他の王朝や軍人に握られましたが、それでも「カリフ」という称号は強力な宗教的正統性を象徴し続けました。この構造は後のオスマン帝国にまで影響を与えました。
総じて、アッバース朝はイスラーム世界の中心として約500年にわたり存続し、その文化的・宗教的・政治的遺産は、今日に至るまで人類史の中で大きな意味を持ち続けています。

