「科挙(宋)」は、隋・唐で芽を出した公的学識選抜を、国家運営の主軸として定常化・大衆化し、文治国家の骨格に据えた制度です。北宋の成立とともに皇帝権の下で取士の回路が一本化され、殿試の常設化、定期実施、地域配分、採点の匿名化など、現代の試験制度にも通じる仕掛けが相次いで導入されました。科目は進士科が圧倒的中核となり、詩賦中心から経義・策論重視へと舵を切ります。州県—中央—皇帝へと続く三段階選抜は、地方の士人に中央官界への道を開く一方、合格競争の激化と学問の規格化を招きました。印刷の普及、書院の発達、朱子学の正統化、地方社会の教育投資、文官優位の政治文化など、宋代の広範な変化は科挙を軸に連動します。ここでは、制度の枠組み、運用の実像、社会・文化・政治への波及、利点と限界、後代への継承という観点から、宋代科挙の要点を分かりやすく整理します。
制度の枠組み:三段階選抜と殿試の常例化
宋代の取士は、おおむね(1)地方段階の選抜(解試・貢試)、(2)中央段階の省試(礼部等による筆答選抜)、(3)皇帝臨御の殿試、という三層で運用されました。まず各州・府・路で、学問と操行に優れた者を「解送」する予備選抜が行われ、定められた名額(解額)に従って候補者が中央へ送られます。ついで中央の省試で筆記審査がおこなわれ、ここで合格した「貢士」が殿試に進みます。殿試は太祖・太宗期に制度化が進み、皇帝が名次を最終決定する常例となりました。これにより、最終的な人事権の源泉が皇帝にあることが象徴され、門閥・推挙から離れた「公選」の威信が確立します。
殿試は、能力差の大きな序列付けというより、科挙合格者の「最終認証」の性格が強く、首席(状元)・次席(榜眼)・三席(探花)といった栄誉称が付与されました。これに続く名次は榜(合格者名簿)に掲げられ、都市の祝祭—放榜—を通じて社会的に承認されます。北宋では汴京(開封)、南宋では臨安が試験空間の中心となり、受験期の都市は全国からの士人で溢れました。
もう一つの要点は、定期実施と地域配分です。唐に比べ、宋はほぼ三年一度の定期的な実施へと安定化し、名額配分により地域偏在の是正が図られました。また学校ルート(州県学・国子監など)からの推挙も制度化され、科挙と学校教育が連結します。これにより、地方社会の教育投資が制度的に回収され、地方—中央の人材循環が均されました。
科目と出題:進士科の中核化、詩賦から経義・策論へ
宋代科挙の中心は進士科です。唐で栄えた詩賦偏重への批判を受け、宋は経書理解と政策論述(策論)を重視する傾向を強めました。典籍の章句暗唱だけでなく、経書の義理(経義)を現実政治に当てはめ、税制・兵制・水利・法制・外交などの課題に対して、筋道だった意見を展開できるかが問われます。詩文は完全に排除されたわけではありませんが、栄達の決定要因は次第に策論へ移ります。
具体の出題は、(1)経義問答—特定章句の解釈と史例の提示、(2)策論—喫緊課題への政策提案、(3)帖文—短文の作成・文書能力の確認、の三系統が柱でした。宋は答案の匿名化(糊名)を徹底し、採点官の私情や門第偏重を抑える仕掛けを整えます。筆跡鑑別を避けるための書式統一、採点の複数化、監試官の交替など、プロセスの信頼性を高める工夫が続きました。作弊(不正)防止のため、持込禁止・身体検査・試院の封鎖といった規制も強化されます。
学統の面では、朱子学(性理学)が南宋以降に官学としての位置を強め、経義の標準解釈に影響を与えました。朱熹の注疏は書院・学校で教科書的地位を得て、合格答案の文体・論法に「正統」の色合いを与えます。これにより、学問の規格化・正解化が進む一方、思考の幅が狭まるとの批判も生まれました。
運用とキャリア:解送から任官まで、合格者はどう働いたか
地方の解試を通過し、省試を経て殿試に及第すると、「進士出身」としての身分資本が与えられます。宋では、進士合格が比較的速やかに任官に直結し、館職・知県など下位官からキャリアを始めるのが一般的でした。中央の翰林や中書門下に登用される者は少数の俊才で、地方行政・司法・財政・軍事の一般実務を担う多層の文官群が、科挙合格者の主な活躍の場でした。
任官後の昇進は、考課(勤務評価)と推挙、臨時の特科(恩科)などが複合して決定されます。皇帝は殿試で最終名次を与えるだけでなく、時に特別の登用(制科)を実施して、特定能力(財政建言・兵政改革・法典整備など)を持つ人材を引き上げました。とはいえ、全体としては筆記試験の点数と初任配置がその後の経歴に強く影響し、学歴・学統・同年関係が官僚社会のネットワークを形成します。
地域バランスも意識されました。北宋では中原・関中・河北の層が厚く、南宋では江南・閩・蜀出身者が増加します。これは国家の財政・軍事の重心移動と歩調を合わせ、地方官の任用配置にも反映されました。南宋では対金戦争と海上防衛の必要性から、軍事・財政に通じた文官が求められ、策論のテーマにも軍政・海運・塩鉄・市舶司運営などの比重が増します。
社会・文化への波及:印刷革命、書院、士大夫と家族戦略
宋代科挙の最大の外部効果は、知の社会化でした。木版印刷の普及は、経書・注疏・類書・策例集の大量供給を可能にし、受験市場が書籍産業を牽引しました。各地に書肆が生まれ、模範答案や出題傾向をまとめた便覧が流通します。教育は家族と宗族の共同投資となり、学田(教育財団)や義倉が設けられ、書院(白鹿洞・嶽麓・石鼓・雲谷など)が学統と師資の拠点になりました。
書院は、単なる私塾ではなく、学問の規範形成と人脈の中心です。講学・読書会・経義討論を通じて学派が形成され、朱子学はここを足場に官学化します。書院の名声は受験の評価にも影響し、卒業生ネットワークは官界での相互支援を生みます。これにより、地方の学術文化が厚みを増し、都市だけでなく在地社会にも知的公共圏が広がりました。
家族戦略の面では、長子を中心に教育資源を集中させる家もあれば、兄弟で役割分担して一人は郷紳として地元基盤を固め、もう一人が中央を目指す例も見られます。嫁娶も科第と連動し、進士を婿にもつことは宗族の威望を高めました。女性は受験資格を持ちませんが、家学の維持、蔵書の管理、子弟教育の監督、文芸の素養を通じて科挙文化を支え、家内の学術空間を形成しました。
政治構造との関係:文治国家、武臣抑制、財政・軍事の課題
宋は「文治」を標榜し、武人の専横を防ぐため、軍政・財政・監察を文官が統括する体制を整えました。科挙はこの文官層の補給線であり、皇帝は殿試を通じて忠誠と能力の双方を確認します。この体制は、法制の整備・文書行政の精密化・税制と貨幣制度の近代化(青苗・市易・均輸・交子の運用を含む)に寄与しました。
しかし副作用もありました。第一に、実務と試験のズレです。策論重視は理論的能力を高めた一方、現場の戸計・法務・土木・軍需補給などの技能は職場で学ぶしかなく、配属と訓練の設計が恒常的な課題でした。第二に、官僚の肥大化と財政負担です。任官者が増える一方で、俸給と俸糧の負担が重くなり、地方財政の硬直化が進みます。第三に、政策論争の派閥化です。新法・旧法の対立(王安石の新法と司馬光の旧法)では、学統・師門・同年が論陣の結集軸となり、政策が観念化するリスクが指摘されました。
軍事面では、文官統制のもとで軍の統帥が断片化し、外圧に対する即応力が不足する局面がありました。南宋では海軍強化と長江防衛で一定の成果を挙げますが、国家の安全保障を文官試験出身者に過度に依存する制度設計は、硬直化の一因ともなりました。
利点と限界:開放と格差、標準化と硬直化
宋代科挙の利点は明快です。第一に、門第・血縁に依らない公的競争の確立です。第二に、地方社会から中央への社会移動の回路を広げ、全国統合の接着剤として機能したことです。第三に、知識と行政能力を結ぶ人材育成の制度化で、法制・財政・教育・文化の発展を牽引しました。
同時に、限界もはっきりしています。受験のコストは高く、蔵書・師資・都市滞在費の負担が大きいほど有利で、地域差と家産差が成績に表れました。答案の規格化は採点の公平に資する一方、創意の幅を狭め、正解主義を強めます。朱子学の官学化は倫理と秩序を与える反面、異説への寛容性を損ないかねません。さらに、任官の増加は官僚制の膨張と財政圧迫を招き、改革のたびに制度疲労が露出しました。
後代への継承:元・明・清への橋渡しと東アジア
宋の遺産は、三つの線で後代に伝わります。第一に、殿試常例化と三段階選抜という制度枠は、元・明・清へと継承され、特に明清で〈郷試—会試—殿試〉という定型に洗練されます(名称は変わりますが、宋の省試・殿試の原理が核です)。第二に、策論中心と経義標準化という学術運用は、明清の八股文へと制度化され、近世中国の知的スタイルを決定づけました。第三に、書院と学校のネットワーク、印刷と出版の基盤は、東アジア広域に波及し、朝鮮王朝やベトナムの科挙制度の発展に影響を与えました。
元は民族統治の都合から色目・漢人・南人の等級と名額を設け、漢人の登用に抑制をかけますが、殿試枠組みは保持されます。明は科挙を国家運営の中核へ押し上げ、郷里—京師の二段の筆記選抜と皇帝面前の最終認証を厳格化し、清は満漢併用のもとで全国規模の安定運用を完成させました。これらはいずれも、宋が準備した制度的土台の上に建っています。
総じて、宋代の科挙は「官僚制×印刷×学校×学統」を結ぶ結節点でした。開放的競争と標準化が国家を近代化する一方、その成功がもたらす硬直化と格差という代償も明らかにしました。科挙(宋)を学ぶことは、巨大な試験制度が社会全体の学び・仕事・家族・文化にどう影響し、国家の活力とリスクをどう形づくるかを理解する近道です。宋の取士は、今日の試験社会を考える上でも、多くの示唆を与えてくれるのです。

