「核兵器現状凍結協定」とは、文字どおり核兵器の保有・配備・生産・試験などを、ある時点の“現状”で凍結(フリーズ)し、それ以上の拡大を止めることを狙う構想を指す通称です。必ずしも一つの固有名詞の条約を示すわけではなく、時代や文脈によって、米ソ(二大核保有国)間の合意案や、議会決議、国際世論運動が掲げたスローガンとして用いられてきました。実際の歴史では、1960年代の部分的核実験停止(PTBT)や1972年のSALT I「暫定協定」(ICBM/SLBM発射装置の上限凍結)、1980年代の「核フリーズ運動」、そしてその後のINF廃棄・START削減へと、〈凍結→検証→削減〉の段階を踏む取り組みが積み重ねられています。要するに、核の数や能力をいきなり大幅削減するのが難しいときに、とりあえず「増やさない」ことを約束し、危険の悪化に歯止めをかけるための現実的手順を意味する言葉なのです。
凍結は単なる停止ボタンではありません。何を凍結するのか(弾頭数、発射装置、投射手段の種類、核物質の生産、試験など)、どの時点の現状を基準にするのか、検証はどうするのか、回避条項や近代化の扱いはどうするのか――こうした技術的・法的設計が合意の成否を左右します。曖昧な凍結は実質的拡張(質的向上や代替配備)を許しますが、精密な凍結は検証と政治的コストを要します。本稿では、用語の射程、歴史的な具体例、技術と検証の論点、評価と限界をわかりやすく整理します。
用語の射程:単独の条約名ではなく「考え方」や「枠組み」
日本語の学習文脈で「核兵器現状凍結協定」という語が出てくるとき、二つの意味合いが混在します。第一は〈一般概念〉としての凍結です。核軍備の拡大競争を止める第一歩として、現有戦力を上限に固定し、増加を禁じるというアイデア全般を指します。これは条約名ではなく、政策スローガンに近い表現です。第二は〈実体のある合意〉の通称としての凍結で、具体的には米ソの戦略兵器制限交渉(SALT I)の「暫定協定」(1972年)が、ICBM・SLBMの発射装置数を基準年で凍結したため、「事実上の現状凍結」と説明されるケースです。教科書や解説書の中には、この暫定協定を〈核兵器現状凍結〉と呼んで紹介するものがあります。
整理すると、〈凍結〉は「数を増やさない」「配備域を広げない」「新型に置き換えない」などの意味合いを持ちますが、対象と範囲は文脈次第です。弾頭ではなく発射筒を数える(SALT Iの方式)と、MIRV化や精度向上といった“質的拡張”が可能になります。逆に、弾頭・投射手段・核試験・核物質生産を包括的に止める凍結案は、検証が難しく政治合意も得にくいという現実があります。ゆえに、凍結はしばしば「危機管理の即効薬」として限定的に導入され、のちの削減合意(INF・START)への橋渡しの役回りを担ってきました。
歴史的具体例:SALTの暫定凍結、核フリーズ運動、その他の凍結措置
もっとも典型的な「現状凍結」の実例として挙げられるのが、1972年のSALT I「暫定協定」です。これはICBMとSLBMの発射装置(サイロや潜水艦搭載ミサイルの発射管)に数的上限を設け、一定の基準時点における数を越えて新設することを禁じました。他方で、旧式の発射装置を新型に置き換えることや、既存のミサイルに複数目標独立再突入体(MIRV)を搭載することは条文上可能で、結果として「数の凍結・質の拡張」という批判が生まれます。にもかかわらず、暫定協定は核軍拡の速度を落とし、のちのSALT II、さらに削減合意へと繋ぐ〈歯止め〉として大きな意味を持ちました。
1980年代初頭のアメリカでは、草の根の「核フリーズ運動(Nuclear Freeze)」が広がり、米ソが〈核兵器とその運搬手段の試験・生産・配備〉を現状で相互凍結することを求めました。各州・自治体・教会・大学が支持決議を行い、米議会でも趣旨賛同の決議が可決され、世論はレーガン政権の強硬な再軍備政策に対する抑制圧力として働きました。最終的に米ソは1987年のINF全廃条約、1991年のSTART Iへと進み、〈凍結→削減〉の大きな流れが現実化します。厳密には、核フリーズ運動が直接の条約を生んだわけではありませんが、「増やさない」という単純で強いメッセージが政策議論の土台を変えたことは確かです。
このほか、冷戦期には「核実験の凍結(モラトリアム)」が数度にわたり採られました。1958年には米英ソが自主的な試験停止に入り、1963年には大気圏内などを禁じるPTBTが成立します。1985年にはソ連が一方的に核実験モラトリアムを宣言し、米国側の応答を促す政治的仕掛けとして機能しました。核物質(兵器級プルトニウム・高濃縮ウラン)の生産停止も「凍結」の一種で、実際に複数国が兵器用生産施設の停止・閉鎖に踏み切っています。さらに、ミサイル発射の事前通報や演習通知、ホットライン拡充といった〈運用上の凍結・抑制〉は、エスカレーションを防ぐ“見えない凍結”として重要です。
設計と検証:何を凍結し、どう数え、どう確かめるか
凍結の実効性は、カウントの単位と検証手段の設計で決まります。たとえば「発射装置数」を凍結すれば、サイロの蓋の数や潜水艦の発射管を数えるだけでよく、検証が比較的容易です。しかしこの方式は、同じ発射筒により多くの弾頭を載せる(MIRV)ことや、命中精度・生存性の向上といった質的拡張を許しやすい欠点があります。逆に「配備弾頭数」を凍結するなら、弾頭そのもののカウントと保管・移送の追跡が必要で、立入検証や封印・監視・ランダム査察などの複合的な仕組みが求められます。さらに厳格な案では「核物質生産の凍結」や「新規設計の開発凍結」(試験・実験の停止)まで含めることがありますが、これは軍事機密と産業活動に深く踏み込むため、政治的合意のハードルが一段と高くなります。
検証手段は、相互査察、国際機関の保障措置、国技的手段(衛星画像・シグナル情報)、通報義務とオンサイト・インスペクションの組み合わせで構築されます。凍結の「基準日時点」をどう証明するか(ベースラインの確定)、不可逆性をどう担保するか(ミサイルサイロの破壊・潜水艦の改造など)、例外条項(事故時の交換、老朽更新、試験修理)の運用をどう透明化するか、といった細部が肝心です。技術が進むほど、〈隠れた増強〉を見抜くセンサー・データ解析・追跡の能力も上がりますが、同時に〈抜け道〉も巧妙になります。よって、検証は一回の視察ではなく、通報・監視・再点検を重ねるプロセスとして設計されなければなりません。
なお、凍結は〈常設の終着点〉ではなく、〈一時的で可逆的なステップ〉であることが多いです。これを前提に、違反が疑われる場合の協議メカニズム、是正措置、最終的な離脱手順(一定の通告期間)を定めるのが標準的です。凍結が安定的に機能すれば、交渉はしだいに削減(リダクション)や廃棄(エリミネーション)へと進みます。
評価と限界:歯止めの効果と「質」の拡張、政治の窓
凍結の長所は明快です。第一に、比較的短期間で合意しやすく、増強競争のスピードに即応できること。第二に、検証が容易な指標(発射装置、試験の有無など)を選べば、合意と履行を迅速に立ち上げられること。第三に、政治的な〈窓〉を開き、交渉当事者どうしの信頼醸成(CBMs:信頼醸成措置)を進める足がかりになることです。冷戦の最中、SALT Iが“数の凍結”にとどまったとしても、そこからINF全廃やSTARTの大幅削減に繋がっていった歴史は、凍結の〈呼吸を整える〉効果をよく示しています。
一方で、限界もはっきりしています。対象を絞った凍結は、MIRV・命中精度・生存性といった質的拡張を促し、却って先制攻撃の誘因や危機の不安定性を高めうる、という逆効果の可能性があります。また、基準日時点に大きな不均衡がある場合、凍結は既得の優位を固定化してしまうという批判を招きます。さらに、非当事国や第三国の動向をどう扱うか(地域の核均衡、同盟の核共有など)も、政治的に難しい問題です。国内政治の面では、凍結が「弱腰」だと見なされると支持を失い、逆に「国防上の柔軟性を奪う」として軍・産業から反発を受けることがあります。
それでも、核の時代における安全の多くは〈見えないところでの歯止め〉に支えられています。凍結は、最悪の事態を避けるための“間に合わせ”ではなく、危機管理と軍備管理の〈段取り〉の一部です。増やさない・近づけない・誤解させない――この三つを同時に進めることで、削減や廃絶という遠い目標へと至る実務の道筋が開けます。核兵器現状凍結という言葉は、その入口に置かれた現実的な手段を指す、歴史的にも意味のあるキーワードなのです。

