国連軍出動 – 世界史用語集

国連軍出動(こくれんぐんしゅつどう)とは、国際連合の枠組みの下で、武力紛争の平和と安全の回復を目的に軍事力の行使や軍の派遣が認められ、各国の部隊が国連の名義または国連安保理(または総会)の権限に基づく授権で実際に行動することを指す概念です。ここで重要なのは、「国連そのものの常設軍」は存在せず、国連が定める権限の下で加盟国が部隊を提供し、あるいは国連の指揮・統制(C2)または連合国の統制で作戦を実施する、という点です。一般に〈国連軍〉と呼ばれる事例は大きく二類型に分かれます。(A)朝鮮戦争時の「国連軍(United Nations Command)」のように、安保理の決議により加盟国部隊が国連旗の下で行動し、統合司令部(多くは米国が指揮)に編入されるもの。(B)湾岸戦争のように、安保理が武力行使を〈授権〉し、各国が〈連合軍〉として独自指揮で作戦を行うものです。さらに、青いヘルメットで知られる伝統的PKO(平和維持活動)は〈同意・中立・自衛的最小限の武器使用〉を原則とし、「国連軍出動」とは法的性格が異なります。以下では、用語の整理から始め、朝鮮戦争の国連軍、湾岸戦争を代表とする授権型の武力行使、その後の平和執行型作戦(ソマリア等)へと流れを追い、長所と課題をわかりやすく解説します。

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法的枠組みと用語の整理:憲章第7章、特別協定の未了、PKOとの違い

国連憲章は、国際の平和と安全に対する脅威を認定した場合に、安保理が「勧告」から「強制措置」まで幅広い手段をとることを定めています(第39条)。経済断交や渡航制限などの非軍事的措置(第41条)で効果がないと判断されると、安保理は加盟国に対して空海陸軍の行動を含む軍事的措置(第42条)を決定できます。本来は、第43条に基づき加盟国があらかじめ兵力提供の〈特別協定〉を国連と結び、軍事参謀委員会(MSC)が運用方針を立てる構想でした。しかし冷戦対立のため特別協定は締結に至らず、常設の「国連軍」は実現しませんでした。

この制度的不備を補う運用が二つあります。第一は、安保理が固有の権限で〈加盟国に行動を要請・授権〉する方式です。これには、(1)国連旗の下で統合司令部に結集する〈名実ともに国連軍〉に近い形(例:朝鮮戦争)、(2)特定の連合(多国籍軍)に対して武力行使を授権し、国連の指揮下ではないが国連決議の合法性に基づいて作戦を行わせる形(例:1991年湾岸戦争)があります。第二は、安保理が機能不全に陥る場合に総会が〈平和のための結集(Uniting for Peace)〉決議(1950年)にもとづき、加盟国に集団措置を勧告する道筋です(法的拘束力は安保理決議と同等ではありませんが、政治的な正当化効果を持ちます)。

一方、〈PKO(平和維持活動)〉は、停戦合意や主要当事者の同意のある状況で、紛争当事者の間に〈緩衝〉として展開し、監視・仲介・文民保護を任務とするのが原型です。武器使用は自衛と任務遂行の最小限に限定され、安保理の第6章半(6.5章)と俗称されました。1990年代以降は、ルワンダやボスニアの教訓から、文民保護のための〈強いマンデート〉(第7章に基づく権限)を与えられる平和執行型(robust)も増え、PKOと〈国連軍出動〉の境界は一部で接近していますが、法的な建てつけと指揮系統は区別されます。

朝鮮戦争(1950–53):唯一の「国連軍」—安保理決議と統合司令部

朝鮮戦争は、〈国連軍出動〉の典型として理解されます。1950年6月、北朝鮮軍が38度線を越えて南侵すると、安保理は北の武力行使を国際平和の破壊と認定し、停戦と撤退を要求しました(当時、ソ連は安保理をボイコット中で拒否権を行使できず)。続く決議で加盟国に対し、韓国に対する軍事援助を提供することを勧告し、さらに〈統一指揮〉の権限を米国に委ね、国連旗の使用を認めました。これにより、米軍を中核に、英・仏・カナダ・トルコ・オランダ・豪州・タイ・フィリピンなど十数か国の地上・海空部隊、さらに医療・補給を担う国々が参加し、〈国連軍(United Nations Command, UNC)〉が編成されました。

法的・制度的に見ると、UNCは国連の〈機関〉ではなく、米国が統一司令官(ダグラス・マッカーサーら)を務める〈各国派遣部隊の連合司令部〉でした。国連旗の掲揚と安保理の政治的権威付けが〈国連軍〉の名を与えたといえます。UNCは仁川上陸作戦で戦局を反転させたのち、中国人民志願軍の参戦で膠着に入り、休戦協定(1953年)で停戦ラインと非武装地帯(DMZ)が定められました。今日も在韓国連軍司令部は休戦の管理に関与し、韓国軍や米韓連合軍との複雑な指揮・調整関係を保っています。

朝鮮戦争は、〈国連旗の下の武力行使〉の可能性と限界を示しました。可能性としては、多国間の合法性の下で迅速に大規模な兵力を動員できた点、加盟国の政治的コミットを引き出せた点が挙げられます。限界としては、(1)実際の指揮統制が国連ではなく米国に集中し、国連の統制力が弱かったこと、(2)作戦目標の変更(「撃退」から「統一」へ)が大国間の対立を激化させ、戦線が拡大・長期化したこと、(3)休戦後の政治解決に向けた〈国連の継続的関与〉の制度化が十分でなかったこと、などが指摘されます。

湾岸戦争と授権型の武力行使:国連の合法性+多国籍軍の指揮

1990年のイラクによるクウェート侵攻に対して、安保理は一連の決議で撤退を要求し、経済制裁を科したのち、最終的に加盟国に対して「必要なあらゆる手段(all necessary means)」の使用を〈授権〉しました(1991年)。これに基づき、米国を中心とする多国籍軍が〈砂漠の嵐〉作戦を展開し、短期でイラク軍を駆逐しました。このモデルは、〈国連の法的正統性〉と〈現実の指揮統制・兵站を担う連合軍〉を組み合わせる運用で、その後の紛争対応でも参照されます。

授権型の特質は、国連が作戦を直接指揮しないため、兵站・指揮の即応性や戦力集中が確保される一方、作戦の〈目的限定〉と〈比例性〉を巡って政治的管理が難しい点にあります。湾岸戦争では、クウェート解放後に〈バグダッド進撃〉を行わないという政治判断が示され、安保理の決議に合致した〈限定目標の達成〉で作戦を終えました。これは「国連の授権が戦争の範囲を線引きする」機能を持ちうることを示した例です。

1990年代以降、ソマリア(UNITAF→UNOSOM II)、ボスニア(UNPROFORとNATO空爆の連携)、コソボ(NATOの武力行使と国連暫定行政—UNMIK)、東ティモール(INTERFET→UNTAET)など、〈安保理の授権を受けた多国籍部隊〉や〈頑健なマンデートを持つPKO〉が組み合わさる事例が増えました。これらは、文民保護や人道支援、秩序回復を目的にしつつ、〈交戦の意思を持つ非国家武装組織〉や〈国家崩壊環境〉との対峙を余儀なくされ、作戦ルール(RoE)、武器使用、文民・軍の統合(CMCoord)、退出戦略の設計が大きな課題となりました。

評価・課題・展望:合法性と実効性をどう両立させるか

〈国連軍出動〉の経験は、いくつかの教訓を示します。第一に、合法性(安保理決議・国際法)と実効性(迅速な指揮・兵站・情報・武器システム)を両立させる設計の難しさです。朝鮮戦争型は〈国連旗〉の政治効果が大きい反面、国連の指揮・監督の限界が露呈しました。授権型は実務能力を活かせますが、国連の〈政治的管理〉が間接的で、作戦拡大や副次的被害の統制が難しいという悩みを抱えます。

第二に、安保理の常任理事国(P5)間の合意が前提であるため、地政学的対立が強い時期には〈決議の採択自体〉が困難になり、国連の行動余地が狭まることです。その際に〈平和のための結集〉による総会の勧告が政治的圧力を生む余地はありますが、法的拘束力と資源動員の点で安保理には及びません。

第三に、PKOとの境界に関する教訓です。文民保護(PoC)を強化した第7章PKOは、実態として〈武力の行使を伴う治安回復〉に踏み込む場合があり、〈交戦当事者の同意〉が薄い環境では、伝統的PKOの前提が崩れやすくなります。正確な政治戦略、現地仲介、法執行と軍事の線引き、現地政府の主権尊重と人権保護のバランスは、作戦の正統性を左右します。

第四に、退出戦略と〈平和構築〉の連結が不可欠であることです。軍事的達成だけでは暴力の再発を防げず、治安部門改革(SSR)や武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)、統治と司法の回復、選挙・和解、復興・雇用の創出といった〈文民の長い仕事〉と、早い段階から統合計画を作る必要があります。

今後の展望として、国連の常設即応能力を高めるため、各国の待機旅団(Standby Arrangement)、迅速展開能力(RDC)、ヘリ・情報・医療・工兵といった〈高度能力〉の確保、無人機や衛星・サイバーの統合、偽情報対策と市民との信頼構築が重視されています。また、地域機構(NATO、AU、ECOWAS、ASEAN関連枠組み)との分担と相互運用性の強化も、現実解として進むでしょう。〈国連軍出動〉は単発の軍事イベントではなく、国際秩序の正当性・安全保障の分業・人間の安全保障を試す総合テストであり続けます。合法性を軸に、政治戦略・軍事作戦・人道・開発の四つの歯車をかみ合わせる設計こそが、21世紀の安全保障における国連の価値を最大化する道筋なのです。