シーア派 – 世界史用語集

シーア派は、イスラーム共同体(ウンマ)の指導権をめぐる歴史的対立から生まれた信仰共同体で、預言者ムハンマドの従兄弟にして娘婿であるアリーとその子孫(アフル=バイト、預言者の家の人々)こそが正当な後継者=イマームであると考える立場を指します。スンナ派が共同体の合意と選定(シューラー、合議)による正統カリフの伝統を重んじるのに対し、シーア派は神学的・霊的な指導権の世襲性(血統とカリスマ)を強く意識します。信仰の核には、唯一神の信仰(タウヒード)、ムハンマドの預言、終末と来世に加えて、「イマームの導き」が置かれます。歴史の中で分派が生まれつつも、とりわけ十二イマーム派は今日のシーア派の多数派であり、イラン・イラク・アゼルバイジャン・バーレーン、レバノン南部などに広く分布します。殉教者フサインの記憶を中心にした宗教暦(アーシューラー)や、聖廟巡礼、宗教税(フムス)、法学権威(マルジャ)の制度など、独自の宗教文化を育んできました。政治史の面では、サファヴィー朝の国教化(16世紀)を転機にイランを中心とする地理的集積が固まり、近現代にはイラン革命(1979年)を経て、法学者の統治という新しい国家モデルが提示されるなど、地域政治に大きな影響を与えています。

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起源と信仰の核――アリー擁立、イマーム観、殉教の記憶

シーア派の起源は、預言者ムハンマドの没後(632年)に共同体の指導者(カリフ)を誰が継ぐかという問題に遡ります。アリー支持者(シーアト・アリー=アリーの党)が、血縁と霊的近さを理由に正統性を主張したのに対し、共同体の合議で選ばれたアブー・バクル、ウマル、ウスマーンが初代から三代のカリフに就きました。四代目としてアリーもカリフとなりますが、内戦(第1次内乱)と政治的混乱の中で暗殺され、のちにムアーウィヤがウマイヤ朝を開きます。この過程で、アリーの血統に連なる者が神学的に特別な指導権(イマーマ)を持つ、という考えが固まりました。

シーア派にとって決定的な記憶が、680年のカルバラーの戦いです。アリーの子フサインが少数の家族・同志とともにウマイヤ朝軍に包囲され、10日(ムハッラム月10日、アーシューラー)に殉教しました。フサインの死は、暴政への抵抗と正義の象徴とされ、涙と哀悼の儀礼、説教劇(タアジーイェ)、行列などが各地で営まれます。殉教の記憶は単なる悲哀ではなく、信仰共同体の倫理的原点であり、政治的自己理解の基盤にもなりました。

教義面の核は「イマーム観」です。イマームは単なる政治指導者ではなく、クルアーンとスンナの真意を誤りなく解釈し、共同体を霊的・道徳的に導く存在と理解されます。十二イマーム派では、アリーを第1イマームとし、ハサン、フサインを経て第12イマームまで系譜が続き、最後のムハンマド・イブン・ハサン(通称「隠れたイマーム」)は9世紀末に「大隠れ(ガイバ)」に入ったとされ、終末の時に救世主(マフディー)として再臨すると信じられます。この「隠れ」と再臨の教説は、歴史上イマーム不在の時代における法と権威の問題に深く関わり、のちの法学者権威(マルジャ)や統治理論へ接続しました。

もう一つの重要概念が「タキーヤ(信仰秘匿)」です。少数派として迫害を受けた歴史から、信仰と生命を守るために状況に応じて信仰を隠すことが許されるとされ、解釈学と法学に柔軟性をもたらしました。とはいえ、タキーヤは臆病や偽装の奨励ではなく、共同体の存続と倫理的筋を両立させるための選択として理解されます。

主要分派と制度――十二イマーム派、イスマーイール派、ザイド派と法学の世界

シーア派は内部に複数の分派を擁します。最大勢力は十二イマーム派(イマーミー、ジャアファリー派)で、六代イマームのジャアファル・サーディクの法学伝統を継ぎ、十二代目のイマームの隠れ以後、法学者(ウラマー)が信徒の実践を導く体制を整えました。現代のイランやイラク南部、アゼルバイジャン、バーレーン、レバノン南部の多数派はこの系統です。十二イマーム派の法学は、クルアーン、預言者のスンナに加えて、イマームの言行録(ハディース)を重視し、理性(アクル)による推論を法源の一つとして認めます。

イスマーイール派は第7代イマーム継承をめぐる分岐から生まれ、10~12世紀にはファーティマ朝としてカイロを都に独自の文明を築きました。神秘主義的・哲学的傾向が強く、イマームの象徴的解釈学(バーティン)を発展させます。現代まで続く系統としては、ニザール派(分布は南アジア・中東各地、指導者はアーガー・ハーン)が知られます。ザイド派は第5代イマームの段階で分岐し、よりスンナ派に近い法学を持ち、武装蜂起による正義の実現を重んじる伝統があり、近現代の基盤は主にイエメン北部にあります。

十二イマーム派の制度上の特色は、宗教法学者(ファキーフ)への委任です。信徒は、学識と徳望を備えた「模倣の対象(マルジャ・タクリード)」を選び、宗教実践や日常生活の法判断を仰ぎます。マルジャは伝統都市(ハウザ)――ナジャフ、クーム、マシュハド、カーズィミーヤなど――で教育・研究を担い、宗教税フムス(所得の一部)や寄進を管理して慈善・教育・出版に充てます。こうした自律的な宗教共同体の財政・教育ネットワークは、近代国家との関係を緊張させることもあれば、協働の資源ともなりました。

統治理論として注目されるのが「法学者の統治(ヴィラーヤト・エ・ファキーフ)」です。イマーム不在時代に、誰が国家レベルの公共善を裁断するのかという問いに対し、一部の思想家は、最高位法学者が政治的監督権を担うべきだと論じました。イラン革命(1979年)後のイスラーム共和国はこの理論を憲法に取り入れ、最高指導者が国家の大方針を監督する体制を築きました。他方で、ナジャフ学派のように宗教権威の政治からの距離を重視する伝統も強く、シーア派内部でも多様な立場が併存します。

儀礼・聖地・生活世界――アーシューラー、巡礼、宗教税と共同体

シーア派の宗教暦は、カルバラーの記憶を中心に回ります。ムハッラム月に入ると説教や朗誦会が開かれ、10日のアーシューラーには哀悼の行列、朗誦詩の合唱、説教劇(タアジーイェ)が行われます。地域によっては身体を打つ行為や血を流す表現も見られますが、近年は衛生・安全面の配慮から自制を促す宗教指導者も多く、慈善活動や献血などに転化する動きも広がっています。翌月のアルバイーン(フサイン殉教40日後)には、イラクのカルバラーに数百万人規模の巡礼が集まり、徒歩巡礼の伝統が受け継がれています。

聖地としては、イラクのナジャフ(アリー廟)、カルバラー(フサイン廟)、カーズィミーヤ(第7・第9イマーム廟)、サーマッラー(第10・第11イマーム廟)、イランのマシュハド(第8イマーム・リダー廟)、コム(ファーティマ・マスーメ廟)などが重要で、学問・巡礼・経済が結びついた都市文化が形成されています。聖廟は単なる宗教施設にとどまらず、寄進・福祉・教育・出版の拠点であり、共同体の連帯を体現する場でもあります。

共同体の運営面では、宗教税フムス(年間余剰所得の五分の一)とザカート(喜捨)が重要な財源です。フムスは法学者のネットワークを通じて配分され、神学校の維持、貧者救済、孤児・未亡人支援、モスク・図書館建設、出版事業などに用いられます。こうした社会福祉の仕組みは、近代国家の福祉制度と重なり合い、ときに補完、ときに競合の関係を生みます。また、婚姻・相続・契約といった日常法の領域では、地域慣行と宗教法の調停が実務的に行われ、女性や少数派の権利保護をめぐる議論も活発です。

文化面では、哀悼詩(マルスィヤ)、宗教歌(ヌハ)、説教文学、書道・建築装飾などが豊かに発達しました。黒と緑の配色、書法の装飾、幾何学模様、聖句や殉教者の名を刻む意匠は、儀礼空間と都市景観に独特の美を与えます。料理や接待(巡礼者への無料食事提供=マウキブ)、施しの文化も、宗教季の重要な要素です。

歴史と地理――サファヴィー朝の国教化から現代中東へ

シーア派の地理的展開に決定的だったのは、16世紀のサファヴィー朝によるイランの十二イマーム派国教化です。サファヴィー朝はオスマン帝国(スンナ派)と対峙し、宗教と国家の結合によってイランの統合を進めました。この時期、レバノンやイラクから多くの法学者がイランへ移住し、法学と神学の体系化が進みます。以後、カージャール朝、パフラヴィー朝を経て近代化が進む中で、ウラマーと国家の関係は協調と対立を繰り返しました。

20世紀後半、イラン革命が法学者の統治モデルを現実化し、イラクではサッダーム体制下での弾圧をくぐり抜けたナジャフの宗教界が、2003年以降の政治再編で重要な影響力を持つに至りました。レバノンでは南部とベカー高原に多数のシーア派住民が暮らし、宗教・社会福祉ネットワークと政治運動が密接に結びついています。バーレーンでは人口の多数派がシーア派である一方、政治構造をめぐる緊張が続き、サウジアラビア東部、パキスタン、インドの一部、アフガニスタンや中央アジアにも多様なシーア派コミュニティが存在します。

近現代の政治は、宗派性(セクト)と国家・民族・階級・地域の利害が複雑に絡み合う場になりました。シーア派とスンナ派の関係は単純な対立ではなく、共存と協力の歴史も長く、多くの地域で混住と相互依存が続いています。他方で、国家間の競合や武力紛争、過激派の台頭が宗派アイデンティティを動員する局面もあり、宗教指導者や市民社会による緊張緩和の努力が各地で積み重ねられています。歴史・教義・儀礼を知ることは、単に宗教を理解するだけでなく、現代中東の社会・政治・文化を読み解く手がかりになります。

用語整理――理解を助けるキーワード

・アフル=バイト:預言者ムハンマドの家の人々。シーア派では特別な尊敬の対象です。

・イマーム/イマーマ:霊的・法的指導者/その権威。十二イマーム派では12代の系譜を重視します。

・ガイバ(隠れ):第12イマームの不可視的隠遁。終末にマフディーとして再臨すると信じられます。

・アーシューラー:ムハッラム月10日。フサイン殉教の哀悼日で、説教・行列・演劇が行われます。

・フムス:宗教税(所得の五分の一)。教育・福祉・布教・聖廟維持などに充てられます。

・マルジャ:信徒が法判断を仰ぐ最高位の宗教権威。各人が一人を選んで従います。

・ハウザ:神学校の集積都市(ナジャフ、クームなど)。教育・研究・出版の中心です。

・タキーヤ:迫害時などに信仰を秘匿して生命・共同体を守る教説。倫理的配慮として理解されます。

・イスマーイール派/ザイド派:シーア派の主要分派。歴史・法学・地理に独自の特徴があります。

総じて、シーア派は、アリー家に連なるイマームの権威を中心に、殉教の記憶、法学者の制度、聖地と巡礼、共同体福祉のネットワークを重ね合わせて形成された宗教文化です。歴史の転機ごとに政治と交錯しつつも、礼拝・学問・生活の基層に根差す実践が、地域社会の内側で静かに積み上げられてきました。こうした積層を押さえると、ニュースで見かける宗派名の背後に、長い時間と多様な人々の営みが見えてきます。