国際労働機関(ILO)は、第一次世界大戦後の1919年に誕生した、労働の改善を国際的に進めるための機関です。設立当初は国際連盟と並行する常設機関として組み込まれ、戦争の原因の一つであった貧困や劣悪な労働条件を是正することで、平和を底支えするという発想にもとづいて動き出しました。大きな特徴は、政府だけでなく、労働者と使用者(経営者)を同じテーブルにつかせる「三者構成(トリパルタイト)」の仕組みです。各国の労働基準を条約(条約=コンベンション)として定め、加盟国が批准して国内法整備を進め、さらに監督制度で履行状況を点検するという循環で、現場の働き方を少しずつ良くしていくのがILOの流儀です。やがて第二次世界大戦後は国際連合の専門機関となり、フィラデルフィア宣言を通じて「労働は商品ではない」「貧困は世界のどこにあっても全体の繁栄に対する危険である」といった理念を掲げ続けています。
この解説では、国際連盟期の設計と活動に焦点をあてつつ、組織の仕組み、採択された代表的条約、監督メカニズム、各国への影響、限界と戦後への継承までを、分かりやすく整理して説明します。ILOは華々しい政治舞台ではありませんが、週48時間労働や最低年齢、強制労働の禁止など、私たちの日々の働き方に直結するルールを生み出し、今も効き続ける「静かな制度的インフラ」なのです。
設立の背景と理念:戦後秩序の柱としての労働
ILOの創設は、1919年のパリ講和会議におけるヴェルサイユ条約の一部として決まりました。戦前から高まっていた労働運動、社会主義や進歩的自由主義の潮流、工業化の加速による労働災害や児童労働の深刻化、そして大戦による社会不安が土台にありました。各国の競争が劣悪な労働条件を招く「底辺への競争」を止め、国際的に最低基準を引き上げなければ、平和は安定しないという危機感が共有されたのです。
ヴェルサイユ条約のILO章は、「恒久的な世界平和は社会正義の上に築かれなければならない」という前文で始まります。これは、軍事・外交だけではなく、賃金、労働時間、母性保護、安全衛生、失業対策といった生活の基盤整備が平和の条件であるという認識を示します。ILOは国際連盟の付属機関のように扱われつつも、独自の憲章と会議構造を持ち、連盟の政治的対立から距離を取りながら、専門性に基づく合意形成を積み上げるよう設計されました。
創設当初から、ILOは「労働は商品ではない」という原理を暗黙の前提にしてきました。労働者は単なる市場上の取引対象ではなく、尊厳と安全、家庭生活、教育や余暇を持つ人間であるという見方です。したがって、労働時間・休息・賃金・保護の最低基準を国際的に設定することが、自由競争の名のもとに権利が切り下げられるのを防ぐ仕掛けになります。こうした理念は、戦間期から戦後のフィラデルフィア宣言へと受け継がれ、ILOの羅針盤となりました。
組織と意思決定:三者構成と三層構造
ILOの組織は、世界の労働基準づくりを支えるための三層構造でできています。第一の層は「国際労働会議(International Labour Conference)」で、年に一度ジュネーヴで開かれる「労働の国会」です。ここには各加盟国から政府代表だけでなく、労働者代表、使用者代表がそれぞれ参加し、三者が対等に討議・採決します。条約や勧告の採択、予算承認、理事の選挙などの重要事項がここで決まります。
第二の層は「理事会(Governing Body)」で、会議間の運営方針を決め、議題設定や監督制度の運用、事務局長の任命などを行います。理事は政府・労働者・使用者の割当で選出され、地理的バランスと産業大国の常任枠が組み合わさる形で構成されます。これにより、政策議題は世界の多様性と経済現実を反映しやすくなります。
第三の層が「国際労働事務局(International Labour Office)」で、いわばILOの行政官庁です。常設の専門家集団が条約起草、調査研究、技術協力、人材育成、統計整備を担います。ジュネーヴ本部を軸に地域事務所や専門センターが設置され、各国政府・労使団体と連携して政策アドバイスやプロジェクトを実施します。三者構成は単なる象徴ではなく、事前審議や起草委員会でも三者が参加し、現実に動くルールが作られるように工夫されています。
条約・勧告と監督:基準づくりと履行の点検
ILOの最も重要な「製品」は、国際労働基準です。国際労働会議で採択される文書には、法的拘束力のある「条約(Convention)」と、政策指針としての「勧告(Recommendation)」があります。条約は各国が批准して国内法や制度を整え、ILOの監督下で履行状況が点検されます。勧告は条約の詳細指針や新領域の方向付けを示し、各国の政策対話を促します。
国際連盟期に採択された代表的条約として、週48時間・日8時間労働の原則を掲げた「労働時間(工業)条約」、夜業の制限、産前産後休暇や就業制限を定めた「母性保護条約」、危険作業や工場での最低年齢を段階的に引き上げる各種「最低年齢条約」、強制労働を禁止・規制する条約などが挙げられます。これらは今日の労働法や社会保障制度の原型を形作り、各国の裁判や政策で参照され続けています。
履行監督はILOの信頼性の源泉です。批准国は定期的に報告書を提出し、条約の運用状況や課題を説明します。ILO側では、専門家からなる「専門家委員会(Committee of Experts)」が報告を審査して技術的所見を出し、さらに三者構成の「適用委員会(Conference Committee on the Application of Standards)」が年次会議で公開審議を行い、個別事例の改善を勧告します。団体交渉権や結社の自由に関しては、労使の申し立てを受け付ける特別の審査機構も整えられ、政治的圧力ではなく、公開性と継続的対話によって履行を促す仕組みが確立しています。
この監督プロセスは、国ごとの事情に配慮しつつも、国際的な最低線を維持するバランスを保ちます。制裁よりも是正勧告と能力強化を重視する点がILO的で、各国の行政や裁判所、労使関係の現場で「じわじわ効く」性質を持っています。報告・審査・勧告というサイクルは、労働基準を単なる紙の約束に終わらせないための制度的工夫です。
戦間期の影響と限界、戦後への継承
国際連盟期のILOは、経済危機と政治的動揺のただ中で活動しました。1920年代にはロカルノ体制の緩和ムードを背景に基準づくりが進み、労働時間や母性保護、最低年齢などの枠組みが相次いで整備されます。1929年の大恐慌以降は失業が各国で急増し、ILOは職業紹介、公共事業、社会保険、賃金政策に関する調査・勧告を重ねましたが、保護主義や通貨ブロック化の波を前に、合意の実装は容易ではありませんでした。それでも、ILOが編んだ統計・調査、政策手引き、条約体系は、戦後の福祉国家形成と社会保障拡充の下地となります。
限界も明白でした。第一に、各国の批准ペースがまちまちで、国際的な足並みをそろえるには時間がかかりました。第二に、労働基準は国内政治の利害に直結するため、ILOの勧告がそのまま法律になるとは限りません。第三に、移民労働や植民地の労働など、当時の国際秩序に内在する不平等を是正するには、ILO単独では力が及びませんでした。こうした制約を踏まえても、ILOは「最低線の引き上げ」と「政策学習の国際回路」を提供し続け、各国の制度改善を後押しした点で重要な役割を果たしました。
第二次世界大戦中、ILOは活動を大幅に制限されつつも、1944年に「フィラデルフィア宣言」を採択し、戦後秩序の基礎理念を再確認しました。宣言は、労働は商品ではない、表現の自由と結社の自由は進歩の不可欠条件、貧困の克服はすべての国の共同責務、といった原則を掲げ、雇用・所得・保障・教育の包括的政策を提言します。戦後、ILOは国際連合の専門機関として再出発し、結社の自由(第87号・第98号)、強制労働の廃止(第29号・第105号)、最低年齢(第138号)、最悪の形態の児童労働撤廃(第182号)、均等待遇や差別禁止(第100号・第111号)など、後世「中核的労働基準」と呼ばれる領域を中心に、条約と監督を強化していきます。これは、戦間期の経験が制度として成熟した結果でもあります。
今日、ILOの遺産は多方面で息づいています。労働時間規制や有給休暇、産前産後休業、労災補償、安全衛生、職業訓練、社会保険、外国人労働者の保護、サプライチェーンにおける責任ある雇用など、現代の政策の多くは戦間期に蒔かれた種から育ちました。国際連盟という政治枠組みは消えましたが、「社会正義が平和の基礎である」というILOの原点は、国境を越える経済の時代にこそ、なお一層の意味を持って受け継がれているのです。
要するに、国際労働機関(国際連盟)は、戦間期において「労働を通じて平和をつくる」ための実務の場でした。三者構成という独自の設計、条約と勧告、監督と対話の組合せは、労働の最低線を世界的に引き上げ、戦後の国際社会に普遍的な規範を残しました。華やかな国際政治からは見えにくいこの舞台こそが、私たちの働く権利と安全を静かに支えてきたのです。

