【帝政ローマ】ゲルマン人の大移動と西ローマ帝国の滅亡

世界史

今回のテーマはゲルマン人の大移動と西ローマ帝国の滅亡です。

その前に、この大移動が起こる以前のゲルマン人のお話をしておきます。
ゲルマン人はローマ帝国の北方に住んでいる民族ですが、かなり前から安定した職を求め、ローマ帝国に少しずつ移住して来ていました。
ローマ帝国はそのころから敵であるゲルマン人を傭兵として大量に雇い、軍隊の大部分をゲルマン人傭兵に頼っていました。ゲルマン人を傭兵として雇うことが常態化していました。

ここから本題に入ります。

375年、ゲルマン人がローマ帝国内に大量に押し寄せてきます。
移動の原因は以下の2つです。

大移動の原因
  • 東からフン族が攻めてきて、押し出されるように南下してローマ帝国に移動した。
  • 寒冷化により農作物が育ちにくくなったため、農業ができる土地を求めてローマ帝国に移動した。

その後、西ローマ帝国はゲルマン人にやりたい放題やられ、滅亡へと繋がっていきます。
滅亡の原因を作ったとされる西ローマ皇帝ホノリウスについても触れておきます。
ホノリウスはテオドシウスの次男で、テオドシウスの死後、西ローマ皇帝に就きます。
ホノリウスは統治に全く興味がなく、無能な皇帝として知られています。
ゲルマン人が帝国内を侵略している中、ホノリウスは軍に宮廷を徹底的に守らせ、引きこもって何もしませんでした。(当時の西ローマの宮廷はイタリア北部のラヴェンナにありました)

西ゴート族

375年、始めに移動を開始したのがゲルマン人の一派である西ゴート族でした。

ローマ皇帝は、西ゴート族に対し、傭兵として働いてもらう代わりに移住を認めました。
西ゴート族はそれを受け入れ、一旦はローマ帝国の国境付近の内側にとどまって生活していましたが、ローマ皇帝は西ゴート族の傭兵を酷使したため西ゴート族の被害は大きく、それに見合う見返りも小いものでした。
そのため、西ゴート族は軍を離脱し、各地で略奪しながらローマに向けて進軍を開始します。

410年、ローマに到達しますが、当時の西ローマ皇帝ホノリウスは宮廷に引きこもって何も対応しません。
西ゴート族はローマを略奪し終わると、さらに西へ進軍しイベリア半島(現在のスペイン)に到達します。
そこで、イベリア半島の統治権をホノリウスに要求すると、ホノリウスはこれを認めます。

418年、西ゴート族は西ゴート王国を建国しました。

フランク族

380年ごろから移動が始まりました。
当初は、周辺を荒らしまわっていましたが、ローマ皇帝と講和を結び、国境防衛に従事する代わりに正式に土地を与えられました。

フランク族は、複数の集団に分かれていて、集団ごとにリーダーは存在していましたが、全てを一つにまとめあげる王は存在していませんでした。
そのため、王国の建国に時間がかかりました。

その後、フランク族は少しずつ領土を広げ、481年にフランク王国を建国しました。

ヴァンダル族

400年ごろから移動が始まりました。

移動の途中、帝国内の国境防衛に従事していたフランク族と戦闘になりますが、大きな被害を出しながらも何とかしのいで南下します。
409年、イベリア半島に到着して定住しましたが、後からやってきた西ゴート族に追い出されてしまいます。
さらに南下して海を渡りアフリカ大陸まで移動しました。

そこでローマ皇帝から北アフリカの統治権を認められ、435年ヴァンダル王国が建国されました。

ブルグンド族

406年頃、西ゴート族の進軍を止めるため、西ローマ帝国の将軍スティリコは、ブルグンド族に支援を要請し、ブルグンド族を従えて対応していました。
ブルグンド族は、これをきっかけにローマ帝国内になだれ込んできました。
411年、西ローマ皇帝ホノリウスから統治権を認められ、ブルグンド王国を建国しました。

※当時の西ローマ皇帝ホノリウスが無能であったため、将軍スティリコが皇帝の仕事を代行していました。

アングロ=サクソン族

4世紀に入った頃の大ブリテン島(ブリタニア)では、内乱が相次ぎ発生し、409年、ローマ軍は支配を放棄して撤退しました。
そして代わりに入ってきたのが、アングロ=サクソン族でした。
その後、7つの王国が建国されたため、それらをまとめて、アングロ=サクソン七王国(ヘプターキー)と呼びます。

西ローマ帝国の滅亡

西ローマ帝国内でゲルマン人国家が次々に建国される中、西ローマ皇帝の権力は無いも同然となり、居るだけの存在と化していきました。
ローマの将軍オドアケルは、西ローマ皇帝に退位を迫り、皇帝はこれを承諾します。
オドアケルは「もはや西に皇帝は必要ない」という内容の通達を東ローマ皇帝に出しました。
東ローマ皇帝はそれを認め、オドアケルをイタリア半島の領主に任命しました。

476年、西ローマ皇帝の廃位により西ローマ帝国は滅亡しました。

東ゴート族

イタリア半島の領主に任命されたオドアケルと東ローマ皇帝の仲は良好でしたが、ちょっとしたことで不仲になります。

東ローマ皇帝は、東ゴート出身の将軍テオドリックにオドアケル討伐を命じます。
488年、テオドリックは、東ゴート族を引き連れてイタリア半島へ進軍しました。
テオドリックはオドアケルの討伐に成功し、イタリア半島の統治権を与えられ、497年、東ゴート王国が建国されました。

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