【共和政ローマ】内乱の1世紀 ~ 同盟市戦争

 

古代ローマは、戦争と共に発展し、広大な領土を築き上げましたが、その繁栄の裏には、社会的な分裂と変革が待ち受けていました。長年にわたる戦争の影響で、農村部の崩壊や新たな階級の台頭など、国内の構造が大きく変化しました。

本記事では、ローマの内政がどのように変貌を遂げたのか、その詳細を記述してきます。

ローマ内政の変化

ポエニ戦争が100年以上にわたり続いた期間、ローマはアンティゴノス朝マケドニアやギリシアとも戦争状態にありました。戦争に明け暮れる日々の中、国内の社会や経済には大きな変化が訪れました。

新貴族(ノビレス)の登場

連続する戦争の中で、重装歩兵として活躍する平民の発言力が高まり、その一部が元老院のメンバーとして加わるようになりました。これらの新たに元老院に参加した平民たちは新貴族(ノビレス)と呼ばれます。

新貴族の多くは裕福な平民であり、財力を背景に影響力を拡大しました。また、ノビレスの中には属州の総督に就任し、不当な利益を得ることでさらなる富を築いた者もいます。ここで属州とは、ローマが支配するローマ以外の地域を指します。

中小農民の没落

ローマ市民の多くは農業を生業としていましたが、戦争の長期化により農地を離れる機会が増え、農業の維持が困難になりました。加えて、属州からの安価な穀物の流入が農業経営を一層厳しいものとし、多くの中小農民が土地を手放すことを余儀なくされました。

結果として、土地を失った農民たちは無産市民化し、都市部へと流入します。ローマの法律では市民が奴隷になることは禁止されていましたが、彼らは労働の機会を得ることが難しく、生活の手段として物乞いに頼るしかありませんでした。このようにして都市部に集中した無産市民は、社会問題として深刻化していきます。

ラティフンディアの形成

没落した農民の土地を買い上げた貴族、新貴族、裕福な平民たちは、大規模な農業経営を始めます。これがラティフンディアと呼ばれる経営形態で、大量の奴隷を労働力として活用しました。

奴隷の供給源は征服した属州であり、ラティフンディアの拡大に伴って奴隷の争奪戦が激化しました。この大規模農業がローマ経済に新たな一面を加えた反面、農村部の荒廃と都市部の無産市民の増加を助長しました。

グラックス兄弟の改革

没落する中小農民を救済しようとしたのがグラックス兄弟でした。

紀元前133年、兄のティベリウス・グラックスは護民官に選ばれ、土地所有面積の上限を設け、それを超える土地を没収して中小農民に分配する法案を提案しました。

この法案は民会で可決されますが、元老院の激しい反発を招きました。元老院にとって自らの土地を失うことは重大な脅威であり、結果としてティベリウスとその支持者たちは襲撃され、命を落とします。

その後、紀元前123年には弟のガイウス・グラックスが兄の意志を継いで護民官に選出されました。彼は穀物の安価販売政策や市民権の拡大を目指しましたが、元老院派との抗争が激化し、最終的に追い詰められて自ら命を絶ちます。グラックス兄弟の改革は失敗に終わり、ローマ社会の分裂はさらに深まりました。

内乱の1世紀

グラックス兄弟の死後、ローマは激動の時代に突入します。高官の暗殺、市民間の抗争、属州での反乱が相次ぎ、この時期は「内乱の1世紀」と呼ばれます。内乱の1世紀では、元老院中心の政治を目指す閥族派と民会中心の政治を目指す平民派が対立しました。

平民派の指導者マリウス

平民派の代表的な人物であるガイウス・マリウスは平民出身ながら戦争で功績を挙げ、紀元前107年に執政官(コンスル)に就任しました。

当時、ローマは北アフリカのヌミディア王国と戦争中であり、マリウスは無産市民を傭兵として活用する軍制改革を行いました。それまで重装歩兵は自費で装備を整えられる者に限られていましたが、この改革により軍の在り方が大きく変わります。

マリウスの軍はヌミディア王国を打ち破り、ローマ市民から称賛を受けましたが、この成功は彼の部下スラの働きによるところも大きく、後に両者の対立へと発展します。

スラと同盟市戦争

マリウスの功績に不満を抱いたスラは閥族派の中心人物となり、内乱において重要な役割を果たします。この時期、ローマ市民権を求めるイタリア半島の同盟市が反乱を起こし、同盟市戦争(紀元前91年–紀元前88年)へと発展しました。

同盟市はローマ軍として戦争に参加した経験が豊富であり、ローマは鎮圧に苦戦します。最終的に同盟市の市民にローマ市民権を与えることで戦争は終結し、イタリア半島全体がローマ市民権を共有することになりました。この戦争でスラは軍事的な成功を収め、彼の政治的影響力を高める契機となります。

同盟市について

ローマがイタリア半島を統一する前は、イタリア半島の中部付近に存在するひとつの都市国家にすぎませんでした。
ローマはイタリア半島の他の都市を次々と陥落させていき、その都市と軍事同盟を結んでいきます。せっかく征服した都市なのに、税を徴収せず自治権も認めるのです。そのかわり兵をローマに貸す義務を負わせました。
このような形で関係を築いた都市を同盟市と呼びます。イタリア半島の諸都市はすべてローマの同盟市ということになります。

属州について

一番初めに属州となったのは、ポエニ戦争で獲得したシチリア島でした。
属州は、兵をローマに貸す義務はありませんでしたが、納税の義務を負わされ、自治権が認められませんでした。属州にはローマから役人が派遣され、その役人が行政を担当していました。

ローマは戦争を通じて広大な領土を築きましたが、その過程で社会的・経済的な矛盾が蓄積していきました。新貴族の台頭や中小農民の没落、ラティフンディアの発展、そして内乱の1世紀は、共和政ローマの衰退と帝政ローマへの移行を示唆する重要な転換点であったと言えます。

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