内乱の1世紀 ~ 同盟市戦争

内政の変化

100年以上にも及ぶポエニ戦争の間、アンティゴノ朝スマケドニアやギリシアとも戦争していました。
まさしく戦争に明け暮れていたローマですが、国内の情勢は大きく様変わりしました。

新貴族(ノビレス)の台頭

戦争に次ぐ戦争で重装歩兵を担う平民の発言力が高まる中、元老院のメンバーになる平民が出現します。このような平民を新貴族ノビレス)と呼びます。
もちろん新貴族(ノビレス)になったのは裕福な平民です。
ノビレスの中には属州の総督になるものも現れ、属州から不当な利益を得て、さらに富を拡大していきます。
ここで補足ですが、ローマ以外の支配地域を属州と呼びます。

中小農民の没落

平民のほとんどは農業を営んで生計を立てていました。ところが、相次ぐ戦争で家を離れる機会が多くなり、農業に従事することが出来なくなりました。
さらに属州から流入してくる穀物は安価であったため、農業経営が一層苦しくなりました。

このような過程で、中小農民は土地を売って手放し、無産市民となっていきます。
ローマでは市民を奴隷にすることは法律で禁止されていましたので、奴隷として働くこともできず、街中で物乞いするしか生きる道はなかったのです。ローマ市内には大量の無産市民が流入し、社会問題にまで発展したそうです。

ラティフンディア

貴族や新貴族、裕福な平民は、没落した中小農民から土地を次々に買い上げ、大規模農業経営を行いました。この大規模農業経営をラティフンディアと呼びます。
農業に従事したのは、征服した属州から大量にやってくる奴隷でした。奴隷の争奪戦が起こったほどラティフンディアが盛んに行われました。

グラックス兄弟

増え続ける没落した中小農民の救済に乗り出したのが、グラックス兄弟でした。

紀元前133年、兄であるティベリウスは護民官に選出され、一人で所有できる土地面積の上限を定め、それを超える土地は中小農民に分配する法案を提出しました。
この法案は無事に民会で可決されました。

この法案を聞いた元老院は黙っていません。自分の土地が取り上げられてしまうのですから元老院にとっては一大事だったのです。元老院は絶対にティベリウスを許しませんでした。
しばらくの間、ティベリウス派と元老院派の抗争が続きましたが、元老院派がついに強硬手段に出ます。

その日は、護民官ティベリウスの再選に向けた投票日でした。もちろんティベリウスもその場にいて、元老院派が襲撃してくるかもしれないという噂は耳に入っていました。
警戒をして護衛を付けていたのですが、元老院派のティベリウスへの憎悪は相当なものでした。結局その場でティベリウス、護衛、支持者の数百人もろとも撲殺されてしまいました。

ティベリウスの死後、紀元前123年に兄の意思を継いで弟のガイウスが護民官に立候補し当選を果たします。
当然、ガイウス支持派と元老院支持との間で抗争が起こりました。ガイウスは元老院派に追われる身となり、首に賞金まで掛けられていたそうです。
結局、ガイウスは逃走の末、自殺してしまいました。

内乱の1世紀

グラックス兄弟による改革が失敗に終わると、高官の暗殺、市民同士の殺し合い、属州の反乱が頻発するようになります。この時期を内乱の1世紀と呼びます。

閥族派と平民派の対立

内乱の1世紀は、閥族派平民派が激しく対立します。

元老院中心の政治体制を目指すのが閥族派、民会中心の政治体制を目指すのが平民派です。

平民派の代表的な人物はマリウスです。
マリウスは平凡な平民の出でしたが、戦争で次々と功績をあげ、護民官や法務官を経て紀元前107年に執政官(コンスル)に就任しました。
当時、ローマは北アフリカのヌミディア王国と戦争中で、マリウスは軍を強化するためローマ市内にあふれかえっている無産市民を傭兵として雇えるように法律を作ります。それまでは重装歩兵になれるのは武器や防具を自分で買える市民だけでしたので軍の在り方がこの法律で変わりました。(マリウスの軍制改革
マリウスは新しく組織した軍を率いてヌミディア王国に進軍し、見事に勝利をおさめ戦争を終結させます。ところが、この勝利を決定づけたのは、マリウスの部下であるスラという人物の働きによるものでした。
ローマ市民はマリウスを盛大に称賛しましたが、スラは蚊帳の外でした。スラはマリウスに対し激しい憎悪を抱きます。

スラはマリウスをつぶすため、閥族派の中心人物となっていきます。

同盟市戦争(紀元前91年~紀元前88年)

同盟市戦争についてお話しする前に、同盟市と属州の違いを簡単に説明したいと思います。

同盟市
ローマがイタリア半島を統一する前は、イタリア半島の中部付近に存在するひとつの都市国家にすぎませんでした。
ローマはイタリア半島の他の都市を次々と陥落させていき、その都市と軍事同盟を結んでいきます。せっかく征服した都市なのに、税を徴収せず自治権も認めるのです。そのかわり兵をローマに貸す義務を負わせました。
このような形で関係を築いた都市を同盟市と呼びます。イタリア半島の諸都市はすべてローマの同盟市ということになります。

属州
一番初めに属州となったのは、ポエニ戦争で獲得したシチリア島でした。
属州は、兵をローマに貸す義務はありませんでしたが、納税の義務を負わされ、自治権が認められませんでした。属州にはローマから役人が派遣され、その役人が行政を担当していました。

ローマはイタリア半島の統一以降、多くの戦争を行ってきました。同盟市は多くの兵をローマに貸し出しだし、ローマと同様に農業に従事できる市民が減っていき無産市民があふれかえります。(属州から安価な穀物が流入してきたのも無産市民があふれた原因となります)
マリウスの軍制改革で救われたのはローマ市民権を持った無産市民だけでした。同盟市の市民はローマ市民権を持っていません。
同盟市は、ローマ市民権を要求しましたが、ローマはこれを拒否したのです。
これがきっかけとなり、同盟市で反乱が起こり同盟市戦争へと発展します。

同盟市には、過去にローマ軍として戦争に参加した兵士が沢山いたため、ローマ軍の戦い方を知っていました。それゆえ、ローマはこの反乱を鎮めるのに苦労し、激戦となりました。
最終的にローマは妥協せざるを得なくなり、同盟市の市民にローマ市民権を付与することで同盟市戦争を終結させました。
これにより、イタリア半島に住む市民全員がローマ市民権を持つようになります。

補足ですが、ローマ軍で活躍したのが、閥族派の中心人物であるスラでした。

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