8世紀以降のノルマン人の動向

キエフ(ウクライナ) 世界史
キエフ(ウクライナ)
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今回は、フランク王国の分裂前後から大きな動きがあったノルマン人をフォーカスしていきます。

ノルマン人は、北方系ゲルマン民族の一派で、古代からスカンディナヴィア半島で生活をしていました。彼らは、漁業を中心にして生活していたことから、高い造船技術と航海技術を持っており、彼らの移動手段は主に船でした。古代ローマの時代では、スカンディナヴィア半島は島だと考えられていました。なぜなら、スカンディナヴィア半島から多くの人が船でヨーロッパ大陸に行き来していたからです。

8世紀ごろから、スカンディナヴィア半島付近に居たノルマン人が大きく動き出します。船で他国に上陸しては略奪行為を繰り返していたため、ヴァイキングと呼ばれ恐れられていました。

ノルマン人は1035年頃までに以下の国を建国します。

    • 9世紀末、ノルウェー王国
    • 10世紀頃、スウェーデン王国
    • 862年、ノヴゴロド国
    • 882年、キエフ公国
    • 911年、ノルマンディー公国
    • 960年頃、デンマーク王国
1035年頃のヨーロッパ大陸

1035年頃のヨーロッパ大陸

デンマーク王国

ゲルマン人の大移動の時代に、ノルマン人の一派であるデーン人がスカンディナヴィア半島からユトランド半島(現在のデンマーク)に移動してきました。デーン人の交通や物流は、陸上よりも海上のほうがはるかに多く、生活の中に海があると言っても過言ではないほど海上を得意とする海洋民族です。

彼らは、ユトランド半島の先住民であるアングロ=サクソン人を追い出しその地に定住し、時を経て960年頃にはハーラル1世がデンマーク王国を建国しました。統一王国が成立する前からデーン人は、イングランド王国やフランク王国に侵入し、略奪行為を繰り返していました。

北海帝国

北海帝国(Wikipediaから引用。クリックで引用元へ)Velhagen & Klasing (V & K), Public domain, via Wikimedia Commons

北海帝国(1013-1042年)
デンマーク王クヌートは、イングランドとノルウェーを征服し北海帝国を築きますがクヌートの死後、30年という短い期間で帝国は崩壊しました。








スウェーデン王国

史料が乏しく詳しいことは明らかにされていないが、10世紀ごろにスウェーデン王国が建国されました。

ドニエプル川

ドニエプル川

統一王国が出来る前から遠距離交易が盛んで、東方に出てドニエプル川を船で南下しビザンツ帝国やイスラム帝国とも交易を行っていました。ビザンツ帝国との交流の中で、数多くのスウェーデン人ヴァイキングが、ビザンツ帝国の傭兵として雇われていました。

東方に出る過程で、ノヴゴロド国やキエフ公国を建国しました。ノヴゴロド国とスウェーデン王国は地理的に比較的近く、経済的に深い関係にある一方で、軍事的に衝突することもありました。

ノルウェー王国

9世紀末にハーラル1世(デンマークのハーラル1世とは別人)によりノルウェー王国が建国されました。

イングランド王国

七つの王国が存在していた大ブリテン島は、825年、ウェセックス王国のエグバートにより統一されました。ところが、そのすぐ後にユトランド半島からやってきたデーン人に一部の領土を奪われてしまいました。ウェセックス王国とデーン人の間で数十年にわたりイングランド内で領土争いが続くことになります。

878年、ウェセックス王国のアルフレッド大王が領内に侵攻してきたデーン人を打ち負かしたことで講和が成立し、正式な国境線が引かれました。その後、ウェセックス王国はデーン人から奪われた土地を奪い返し、927年、イングランド王国が成立しました。一旦住み着いたデーン人は、イングランド王国の支配下に入り生活を続け、後世のイギリスに方言や習慣の面で大きな影響を残しました。

ノルマンディー公国

9世紀頃から、一部のノルマン人は西フランク王国の北部に上陸し、略奪行為を繰り返し、やがて定住するようになりました。

ノルマン人の指導者であるロロは、さらに内陸への略奪を先導するも、西フランク軍によって撃退されます。そこで西フランクの国王シャルル3世はロロと協議し、外敵の侵入を防いでくれることを条件に定住を認めました。これにより、911年、ノルマンディー公国が成立しました。「公国」とは貴族が治める国で王国の一歩手前といったイメージです。また、公国を治める貴族のことを〇〇公と呼び、ノルマンディー公国はノルマンディー公が治めています。初代ノルマンディー公はロロです。

フランク王国には貴族が所有して治めている公国や領土がいくつもあります。ノルマンディー公国もそのうちの一つに過ぎず、フランク王国にある程度従属した公国であり完全に独立した国ではありません。

ノヴゴロド国とキエフ公国

862年、ノルマン人であるリューリクがノヴゴロド国を建国しました。ノヴゴロド国を建国したスウェーデン系ノルマン人をルーシと呼び、先住民のスラヴ人と混血を繰り返しロシア人へと変化していきます。「ルーシ」が変化して「ロシア」になったと言われています。

そしてリューリクの親族オレグは、882年、ノヴゴロド国の南方面を制圧しキエフ公国を建てました。

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