今回のテーマはコンスタンティヌス1世です。
本題に入る前に、帝政ローマのこれまでの流れを簡単に確認していきましょう。
プリンキパトゥス(元首政)
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- 紀元前27年
アウグストゥスが初代ローマ皇帝となる。 - 96年~180年
五賢帝時代にローマの最盛期を迎える。(パクス=ロマーナ(ローマの平和)) - 235年~284年
多数の軍人皇帝が乱立し混乱期となる。(3世紀の危機)
- 紀元前27年
ドミナートゥス(専制君主政)
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- 293年~
ディオクレティアヌスが四帝分治制(テトラルキア)を開始
- 293年~
それでは本題に入ります。
ディオクレティアヌスが考案した分割統治は、その後どうなったのでしょうか?
結論を言うと、うまくいきませんでした。
ディオクレティアヌスがローマ皇帝を退位後、ローマ皇帝同士の争いが激化します。
結局は、「分割は嫌だ。ローマ帝国の全部が欲しい」ということです。
そんな中、307年、西方副帝コンスタンティウスの息子コンスタンティヌス1世が西方副帝を継ぎます。
コンスタンティヌス1世はヨーロッパの歴史上、とても重要な人物です。
コンスタンティヌス1世に関する重要ポイントをまとめました。
- ミラノ勅令
313年、キリスト教を公認。 - 分割統治の解消
324年、他のローマ皇帝を打倒し、単独のローマ皇帝となる。 - ニケーア公会議
325年、アタナシウス派を正統とし、アリウス派を異端とした。 - コンスタンティノープル
330年、コンスタンティノープルを建設した。 - コロヌスの土地緊縛令
332年、コロヌスの土地の移動を禁止した。 - ソリドゥス金貨(ノミスマ)
信用度の高い貨幣を発行した。
ミラノ勅令
ローマ帝国内では、過去のディオクレティアヌスによる大弾圧にもかかわらず、キリスト教はさらに広がり続けていました。
コンスタンティヌス1世は、キリスト教を敵に回すよりも見方に付けて利用する方が得だと考えました。
そこで、コンスタンティヌス1世は、313年、ミラノ勅令を出してキリスト教を公認しました。
分割統治の解消
ディオクレティアヌスが考案した分割統治は、その後、ローマ皇帝同士の対立の原因となりました。
324年、コンスタンティヌス1世は他のローマ皇帝を打倒し、単独のローマ皇帝となりました。
ニケーア公会議
公認されたキリスト教ですが、イエス・キリストの解釈の違いをめぐって対立が発生していました。
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- アタナシウス派
イエス・キリストは神や精霊と同等の存在だと解釈した。(三位一体説) - アリウス派
三位一体説を否定。イエス・キリストは人間に近いものだと解釈した。
- アタナシウス派
このままではキリスト教の分裂を招く恐れがありました。
帝国の統治にキリスト教を利用していたコンスタンティヌス1世とって、見過ごせない問題です。
そこで、コンスタンティヌス1世は、この問題を解決するため、各地から主教(司教)を呼び出し会議を開催することにしました。
この会議をニケーア公会議と言います。
議論の末、アタナシウス派が正統、アリウス派が異端という結論に至りました。
異端とされたアリウス派は後にゲルマン人に受け入れらることになります。
コンスタンティノープル
ローマ帝国の東側は依然として重要な地域で、かつ繁栄していました。
その東の地域に、東西を繋ぐ交易路として栄えていたビザンティウムと呼ばれる都市がありました。
コンスタンティヌス1世は、ビザンティウムに自身の名前にちなんだ都市コンスタンティノープルを建設します。
後に首都となり、コンスタンティヌス1世はその基礎を築いたと言えます。
そしてコンスタンティノープルは「第2のローマ」と呼ばれるようになります。

コロヌスの土地緊縛令
332年、コロヌスの土地緊縛令を出し、コロヌスに対し土地の移動を禁止しました。
目的は、安定した税収を確保するためです。
コンスタンティノープルの建設に加えて、各地に建造物を建てまくった結果、ローマ帝国は財政難になっていました。
コロヌスの身分は固定化され、その子供にも引き継がれました。勿論、子供も土地を移動することは許されず、ずっとその土地で働き続けなければいけません。(結婚は同じ身分となら許されていました)
そうすることで、永続的に税を取れるようにしたのがこの法令です。
この法令は後に、農奴制へと繋がっていきます。
ソリドゥス金貨(ノミスマ)
3世紀の危機と呼ばれる混乱期は治まったものの、経済は安定したとは言えませんでした。
コンスタンティヌス1世は、信頼性の高い貨幣を発行することで、経済を安定化しようとします。
それがソリドゥス金貨(ノミスマ)です。
信頼性のない貨幣では、安心して物を売ることができませんよね。
ソリドゥス金貨を発行したことで安心して物を売買出来るようになり、その結果、経済活動は活発化しました。
このソリドゥス金貨は広く流通し、11世紀頃まで使用されることになります。