14世紀のヨーロッパは、大きな変革の時代を迎えていました。封建制度が揺らぎ、商業経済が発展する中、各国は新たな経済の中心地となるべくしのぎを削っていました。特にイングランドとフランスは、この時期に政治・経済の両面で激しく対立し、やがて百年戦争へと発展していきます。
この時代、フランス王は強大な権力を持ち、教皇をも支配下に置くほどの影響力を誇っていました。しかし、国内ではその強引な統治に対する不満がくすぶり始めていました。一方のイングランドは、商業活動の活発化とともに経済力を高め、徐々に国際的な影響力を強めていきます。特に毛織物産業の発展は、イングランド経済の基盤を築く重要な要素となりました。
こうした背景のもと、イングランド王エドワード3世はフランス王に対抗する姿勢を強め、両国の対立は次第に深まっていきます。フランドルをめぐる争い、商業戦略の違い、そして海戦での勝敗、これらの要素が絡み合い、百年戦争へと繋がる時代が幕を開けるます。
百年戦争は単なる王位継承の争いではなく、経済覇権をめぐる闘争でもありました。本記事では、イングランドがどのようにして経済力を強化し、戦争を通じて発展していったのかを詳しく見ていきます。
フランス王と教皇の関係
14世紀のヨーロッパでは、フランス王が教皇を従属させる構図が続いていました。アヴィニョンに拠点を置く教皇庁は、フランス王の強い影響下にあり、さまざまな要求を受け入れざるを得ませんでした。このような状況に対し、フランス国内では次第に王権への反発が高まり、結果として王の権力が弱体化していくことになります。
一方で、フランス国内の混乱をよそに、イングランドは着実に力を蓄え、台頭していきました。特に商業活動の発展に伴い、経済的にも強大になりつつあったのです。
イングランド王エドワード3世の反発
イングランドは形式的にはフランスの臣下という立場にありましたが、イングランド王エドワード3世は次第にフランス王の支配に異議を唱えるようになりました。フランスとの緊張が高まる中、フランス側はフランドルでイングランド人を拘束するという強硬策を取ります。
これに対抗し、イングランドも国内にいたフランドル人を拘束し、さらにフランドルへの羊毛の輸出を停止しました。この措置はフランドル経済に甚大な影響を与えることになります。
フランドルの毛織物産業とイングランドの発展
フランドルはヨーロッパ屈指の毛織物産業地帯であり、その主要な原料である羊毛はイングランドからの輸入に依存していました。しかし、イングランドの羊毛輸出停止により、フランドルの毛織物産業は深刻な打撃を受け、経済が停滞してしまいます。
羊毛の供給が断たれたフランドルの商人や職人たちは、生き残るためにイングランドへの移住を開始しました。イングランド政府は彼らを積極的に受け入れ、優遇措置を与えました。その結果、フランドル由来の高度な技術がイングランドにもたらされ、イングランド国内の毛織物産業が急速に発展することとなりました。
この移住によって、イングランドは国内に強力な生産基盤を築き、国際市場での影響力を拡大していきます。
さらに、イングランドはこの機会を利用し、フランドル人だけでなく他のヨーロッパ地域からも商人や職人を誘致しました。その結果、商業都市が発展し、ロンドンやヨークなどの都市が経済の中心地となりました。
フランスの誤算とイングランドの躍進
フランスはイングランドとフランドルの関係を断ち切ろうと試みましたが、結果的にフランドルの毛織物産業の衰退を招き、さらにその技術や職人をイングランドに奪われる形となりました。この誤算によって、イングランドの産業発展を後押しする結果となったのです。
さらに、イングランドは国内で商業の中心地としての地位を確立し、外国人商人を積極的に受け入れることで経済的にますます強大になっていきました。
百年戦争の始まり(1339年-1453年)
戦争準備とフランドル上陸
イングランドは、フランスとの対立が深まる中で着々と戦争の準備を進めていました。1338年、イングランド軍はフランスのフランドルに上陸し、現地の人々から熱烈な歓迎を受けました。フランドルの商人や領主たちは、フランスからの独立を望んでおり、イングランドに期待を寄せていたのです。
フランドル人は、イングランドに対して神聖ローマ帝国と同盟を結ぶよう助言しました。これを受けて、イングランド王エドワード3世は神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世と会談を行いました。
神聖ローマ帝国の対応
ルートヴィヒ4世は、アヴィニョンにいるフランス人教皇から圧力を受けていたため、フランスに対して敵対心を抱いていました。しかし、危険な戦争に直接関与することは避け、エドワード3世に皇帝代理の委任状を渡すにとどまりました。これは名目的な支持を示すに過ぎず、イングランド軍が期待したような軍事的支援にはつながりませんでした。
百年戦争の勃発
イングランド軍はフランスへの侵攻を開始しましたが、戦費が不足したため撤退せざるを得ませんでした。この戦いが、後に百年戦争と呼ばれる長い戦争の始まりとなったのです。
戦争の長期化に伴い、両国ともに経済の軍事化が進み、特にイングランドでは商人が戦争資金を提供する代わりに特権を得る仕組みが整いました。これが後のイングランド議会の発展へとつながります。
スロイスの海戦(1340年)
1340年、フランスは艦隊を編成し、イングランドへの侵攻を試みました。しかし、この作戦の指揮を執ったのは、戦闘経験のない財務長官であり、彼は海戦に対する知識も乏しく、海を恐れていました。
その結果、フランス艦隊はスロイスの海戦でイングランド軍に大敗を喫しました。イングランド海軍はフランスの艦隊を壊滅させ、制海権を掌握しました。この勝利により、イングランドはフランスへの補給ルートを確保し、今後の戦争を有利に進めることができるようになりました。
こうして百年戦争の序章が幕を開け、両国は長きにわたる戦いに突入していくことになります。