エーゲ文明/クレタ文明/トロイア文明~ポリスの成立

エーゲ文明

紀元前3000年~紀元前1200年にかけて、エーゲ海を中心として発生した幾つかの文明をまとめてエーゲ文明と呼ぶ。
ここで代表的な文明をいくつか挙げておく。

エーゲ文明(紀元前3000年~紀元前1200年)
クレタ文明 (紀元前2000年~紀元前1400年)
ミケーネ文明(紀元前1600年~紀元前1200年)
トロイア文明(紀元前2600年~紀元前1200年)

クレタ文明

クレタ島で繁栄した文明。
海洋交易によって発展した文明でエジプトやフェニキア人との間で盛んに交易が行われていた。
オリエントの文明が入ってきやすい環境にあり、強く影響を受けていた。
都市を城壁で囲んでいないことから、平和な文明であったと推測されている。
文字は線文字Aを使用していたが、今現在、解読されていない。
代表的な都市はクノッソス

紀元前1400年、ギリシア本土からやってきたアカイア人に滅ぼされた。

ミケーネ文明

ギリシアの北方から移動してきたアカイア人がギリシアに定住したことによりミケーネ文明が始まった。
クレタ文明と異なり、都市は外敵に備えて城壁で囲われていた。

文字は線文字Aを改良した線文字Bを使用していた。こちらは解読されている。

アカイア人は、クレタ文明を滅ぼし、トロイア文明の滅亡にも加担したとされている(トロイア戦争)。トロイア戦争はいつごろ起こったのか?複数の説が存在して確定していない。

トロイア戦争はホメロスの叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」で描かれている。
「イリアス」「オデュッセイア」で描かれている内容はフィクションと考えられていたが、ドイツ人のハインリヒ=シュリーマンはミケーネやトロイアの存在を信じて19世紀後半に発掘調査を行い、遺跡を発見して存在を証明した。

紀元前1200年頃、北方から移動してきた海の民により崩壊した。

トロイア文明

紀元前3000年頃から集落ができ、紀元前2500年から前2200年頃にかけて海洋交易によって栄えたが、トロイア戦争が原因で衰退し滅んだとされている。

暗黒時代

紀元前1200年頃の海の民襲来により、オリエント世界と同様にギリシア世界も荒らされた。
史料が残されていないため、紀元前1200年~紀元前800年までの時代を暗黒時代と呼称されている。

アカイア人、ドーリア人、イオニア人、アイオリス人

古代ギリシアを構成した代表的な民族を以下に挙げておく。

アカイア人

紀元前2000年頃から南下してペロポネソス半島に定住した古代ギリシア民族の一派。
ミケーネ文明の担い手となった。

ドーリア人

紀元前1100年頃、ギリシアに侵入しペロポネソス半島を中心に定住した民族。スパルタを形成したのがドーリア人。

イオニア人

アカイア人の一部が分裂して、小アジアの西岸(イオニア地方)に定住した民族。アテナイを形成したのがイオニア人。
オリエント世界では最初に接触したギリシア人がイオニア人であったため、ギリシア人のことをイオニア人と呼んでいた。

アイオリス人

ギリシャ本土から海を渡り小アジアの北西岸に定住した民族。

ポリスの成立

紀元前800年ごろになると、小規模な共同体が集住シノイキスモス)しポリスが形成されていく。ポリスとは古代ギリシアの都市国家を指す。
数百のポリスが形成され、そのほとんどが小規模であったが、アテナイアテネ)とスパルタは例外で大規模なポリスを形成していた。
ギリシアは土地が狭く対規模な農耕に不向きであり人口増加に耐えられなかったため、ギリシア本土以外に進出し地中海沿岸に植民市として多数のポリスを建てた。

オリエントの都市国家は王が支配者であったが、ポリスは貴族たちが中心になって支配していた。(貴族政治

通常はポリスの中心部に丘(アクロポリス)が存在し、そこに神殿を構え防衛拠点としていた。

ポリスでは厳格な身分制が敷かれていて、ポリスの防衛は市民が担っていた。さらに市民は持っている資産の大小で貴族と平民に分かれていた。
資産を持たずポリスの防衛をしない人は奴隷の扱いであった。

多数のポリスが存在していたが、自分たちのことをヘレネスと呼び、ギリシア人であるという共通意識を持っていた。また、自分たち以外の民族をバルバロイと呼んでいた。
紀元前776年に開催されたオリンピアの祭典はギリシア人がその共通意識を確かめるための祭典とされ、4年に一度開催された。また、この祭典の期間中は戦争が中止された。

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