ヘブライ王国/イスラエル王国/ユダ王国

ヘブライ人

もとはメソポタミアの北西付近で生活を送っていたセム語系の遊牧民族であり、紀元前1500年頃にカナーンパレスチナ)に移住してきた。自らは「イスラエル人」と呼称しており、「ヘブライ人」は他民族によって使用された呼称である。

カナーンに移住したヘブライ人であったが、飢饉に遭遇しエジプトへ移住することになる。

カナーンとは当時の呼称であり現在のパレスチナに相当する地域を指す。

【シリア/カナーン(パレスチナ)】

出エジプト

ヘブライ人はエジプトで奴隷として扱われていた。エジプトの圧政から逃れるため紀元前13世紀、モーセに率いられエジプトを脱出しカナーンへ帰還した。

旧約聖書の中で、カナーンへの道中のシナイ山にてモーセは神から「十戒」を授かったと記されている。

ヘブライ王国(イスラエル王国)の成立

紀元前1200年ごろ、海の民が襲来し、その一派であるペリシテ人がカナーンに住み着くようになり、ヘブライ人はペリシテ人と抗争するようになった。

カナーンへ帰還後、12の部族に分かれて生活していたがペリシテ人に対抗するため統一が進み、紀元前1021年ヘブライ王国が成立した。初代の王はサウルであった。

海の民襲来の影響でエジプトやアッシリアといったオリエントの大国が衰退していたため、大国からの侵攻を受けにくく建国がしやすい時期でもあった。

ヘブライ王国の繁栄

ダヴィデ王ダビデ王)の時代(紀元前1000年~紀元前961年頃)になると、ペリシテ人を撃退しエルサレムを首都に定めて繁栄の足掛かりを作った。
続くダヴィデの子であるソロモン王の統治下で、外交、交易、国内インフラ整備に力を入れ繁栄を極めた。

ヘブライ王国の分裂

王国繁栄の裏には民衆への重税があり、民衆の王への不満は次第に大きくなっていく。
ダヴィデとソロモンの出身部族であるユダ族に対して優遇措置を取っていたことも拍車をかけた。
ソロモン王の死後、紀元前930年ごろに北部のイスラエル王国と南部のユダ王国に分裂した。
北部はユダ族への反感をもつ10部族、南部はユダ族とベニヤミン族の2部族で構成された。

分裂後~滅亡まで

分裂後の数十年間は両国で抗争を繰り返したが、その後は和解して外敵に対して力を割くようになった。
領土面積、人口、経済でイスラエル王国がユダ王国を上回っていた。

イスラエル王国

首都はシケム、ティルツァを経て最終的にはサマリアに落ち着いた。
10の部族を抱えていたため、たびたび部族間で対立が起こり頻繁に王が入れ替わった。
末期には王の暗殺が繰り返され、その中で力を付けてきたアッシリアの侵攻が激化し、紀元前722年にサルゴン2世統治下のアッシリアにより滅亡した。

その後、アッシリアから大量の移住者を送り込まれ、混血が進みヘブライ人(ユダヤ人)の血は薄くなっていくことになる。

ユダ王国

首都はエルサレム
紀元前722年にアッシリアの侵攻によりイスラエル王国が滅ぶと、ユダ王国はアッシリアに従属することになった。

その後、紀元前609年にメギドの戦いで一時的にエジプトの支配下に置かれたが、紀元前605年にカルケミシュの戦いでエジプトが新バビロニアのネブカドネザル2世に敗北し、ユダ王国も新バビロニアに抗戦したものの紀元前586年に敗北し王族や貴族たちが首都バビロニアへ連行され(バビロン捕囚)滅亡した。このころからヘブライ人はユダヤ人と言われるようになった。

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