B.C.3000年頃 | ティグリス川(チグリス川)とユーフラテス川流域にシュメール人が都市国家を形成 |
B.C.2300年頃 | アッカド人がシュメール人の都市国家群を支配下に置き、領域国家を形成(アッカド王国) |
B.C.2154年 | グティ人の侵攻によりアッカド王国滅亡 |
B.C.2112年 | シュメール人の都市国家ウル第3王朝がメソポタミアを統一 |
B.C.2004年 | エラムの侵攻によりウル第3王朝滅亡 |
B.C.18世紀頃 | バビロン第1王朝(古バビロニア王国)がメソポタミアを統一 |
B.C.1595年 | 古バビロニア王国がヒッタイトにより滅亡 |
【メソポタミア地域】
シュメール人
シュメール人はどこから来たのか未だに謎となっている。
言語系統不明のシュメール語を話し楔形文字を使用していた。
高い文明を持ち、ここで形成された学問や文化は後のバビロニアやアッシリアに継承され、やがてはローマやギリシアにまで影響を与えた。
都市国家
シュメール人は肥沃な三日月地帯と呼ばれるティグリス川(チグリス川)とユーフラテス川流域で集落を形成して生活していたが。、次第に合流しあって集落の都市化が各地で進んでいった。
やがてB.C.3000年頃になると、司祭や神官の中から支配者層が現れ、都市国家が形成されていった。
城壁で居住地や神殿を囲み、その周辺に農地や牧地を配置し、城壁内に住む者が周辺の農村を支配していた。
主要な都市国家として、ウル、ウルク、ラガシュが挙げられる。
またシュメール人の都市国家間で戦争も発生しており、世界最古の戦争として位置づけられている。(ラガシュ・ウンマ戦争)
【シュメールの都市国家群】
シュメールの文化
この時期の主なシュメール文化を列挙しておく。
ジッグラト
王の権力を誇示する建造物で、アッカド王国以降の時代でも建設されている。
ギルガメシュ
紀元前2600年頃のウルク第1王朝の王ギルガメシュがギルガメシュ叙事詩の中で描かれている。
青銅器
B.C.3500年~B.C.3000年の間に既にシュメールで青銅器時代が始まっていた。
太陰暦
月の満ち欠けを基準にした暦(こよみ)。シュメール人は世界で最初に太陰暦を用いていた。
六十進法
シュメール人は数を数える際、六十進法を採用していた。
アッカド王国
元はアラビア半島のセム語系の遊牧民族であったアッカド人は、シュメール北部に移動してきて定住していた。
言語はアッカド語であったが、文字を持っていなかったため、楔形文字を借用してアッカド語を表記していた。
B.C.2300年頃になるとアッカド人であるサルゴン(サルゴン1世)はシュメール人の都市国家に攻め入り、シュメールを支配下に置いた。
こうしてメソポタミア南部を統一し、アッカド王国を建国した。
アッカド王国はシュメールを支配下に置いた後、東方はエラムの首都スサ、北方はアッシリア、さらにシリアの北部まで勢力を伸ばしていった。
補足
複数の地域や国家を支配下に置いたことでアッカドはアッカド帝国と呼ばれることもある。
【アッカドの支配領域(シュメール/アッシリア/スサ/シリア北部)】
アッカド王国の滅亡
2代目の王以降、シュメールで反乱が起こるようになり、次第に衰退するようになった。グティなどの異民族の侵入によりB.C.2154年に滅亡した。
以降しばらくの間、無政府状態となった。