アテナイ(アテネ)~カイロネイアの戦い

民主政の完成

ペルシア戦争後、紀元前443年~紀元前429年まで毎年将軍職に選出されたペリクレスがアテナイの指導者となった。
ペリクレスはデロス島に保管していたデロス同盟の同盟資金をアテナイに移し、パルテノン神殿などの公共工事に流用した。

また、アルコンの就任資格者を下級市民まで拡大するなど、民主化を押し進め貴族による支配体制を解体するに至った。
これにより、ペリクレスの時代がアテナイの最盛期となる。

ペロポネソス戦争(紀元前431年~紀元前404年)

一方で、アテナイの同盟資金の流用といった利己的な行動により、デロス同盟から離反するポリスが出始めた。
また、アテナイと同様にペルシア戦争で活躍したにも関わらず見返りのなかったスパルタからしてみても、アテナイの繁栄はおもしろくなかった。

スパルタは、デロス同盟から離反したポリスを支援しだしたことにより、紀元前431年にペロポネソス戦争が勃発した。
この戦争は、デロス同盟とペロポネソス同盟との戦いであり、ギリシア全域を巻き込んだ戦争となった。

戦争の長期化により財産を失う市民が増加した。市民の没落化で重装歩兵が減少していくにしたがい、お金で傭兵を雇う形態に変化していった。

ペロポネソス戦争中の紀元前429年に指導者ペリクレスがアテナイで大流行していた疫病にかかり病死すると、以降、際立った指導者が出てこなかった。
デマゴーグと呼ばれる民衆の感情や恐怖をあおることで権力を手にした指導者が出てくるようになり、たびたび衆愚政治が行われ衰退の原因となった。

27年にも及ぶ戦争は、アケメネス朝ペルシアの支援を受けたスパルタが勝利し、デロス同盟は解体された。
アケメネス朝ペルシアはなぜスパルタに支援したのか?アテナイの強大化はペルシアにとって脅威でるため、アテナイを弱体化したかったからだ。

ペロポネソス戦争で敗北したアテナイは、スパルタの指導を受ける代わりに自治は許された。以降、ギリシアでの覇権を回復することは無かった。

カイロネイアの戦い

紀元前338年、マケドニアのフィリッポス2世とアテナイ・テーバイ連合軍による戦いがおこった。
結果はマケドニアが勝利し、フィリッポス2世はコリントス同盟ヘラス同盟)を結成し、スパルタを除く全ポリスが加盟した。
これにより、ギリシアはマケドニアの支配を受けることとなった。

ギリシアの文化

紀元前8世紀になると、フェニキア人と活発に交易を行うようになり、フェニキア文字がギリシアに入ってきた。ギリシア人はそのフェニキア文字を改良してギリシア文字を作成した。日本で「アルファベット」と呼ばれるラテン文字は、後にギリシア語が元になって生まれた。

以下に主要なギリシア文化を挙げておく。

ホメロス

紀元前8世紀頃のギリシアの詩人で、代表作として叙事詩「イリアス」、「オデュッセイア」が有名。

・イリアス
ギリシアとトロイアの戦争を描いた。

・オデュッセイア
ギリシアとトロイアの戦争が終結後、ギリシアへの帰国を描いた。

ヘシオドス

紀元前700年頃のギリシアの詩人で、代表作として叙事詩「神統記」「仕事と日」が有名。

・神統記
神の歴史を描いた。

・仕事と日
神の正義と労働の重要性を描いた。

アイスキュロス(紀元前525年~紀元前456年)

三大悲劇詩人の一人。代表作は「アガメムノン」。

ソフォクレス(紀元前496年~紀元前406年)

三大悲劇詩人の一人。代表作は「オイディプス王」。

エウリピデス(紀元前485年~紀元前406年)

三大悲劇詩人の一人。代表作は「メデイア」。

アリストファネス(紀元前450年~紀元前385年)

喜劇作家。代表作は「女の平和」「女の議会」。

ヘロドトス

ギリシアの歴史家で「歴史」を記した。
歴史の父」と呼ばれ、ギリシア・オリエントの歴史を知る上で非常に重要な人物。

トゥキュディデス

ギリシアの歴史家で「戦史」を記した。
「戦史」でペロポネソス戦争が描かれている。

ソクラテス(紀元前469年~紀元前399年)

ギリシアの哲学者。
彼の決まり文句として「神のみぞ知る」が有名。
はかない人間が世界のすべての根源を知ることはできないというのが彼の思想。その中で人間は世界をどこまで知ることが出来るのかを探求した。

プラトン(紀元前427年~紀元前347年)

ギリシアの哲学者。ソクラテスの弟子。
ソクラテスの語り手でもあり、ソクラテスの名を世に知らしめたのは彼の功績である。
世界は常に変化しているが、そこには不変の観念(イデア)が存在し、世界はイデアが形となって表れたに過ぎないと説いた。
アテナイのアカデメイアに学園を創設した人物としても知られる。学園の名前は、地名をそのまま取ってアカデメイアと呼ばれた。

アリストテレス(前384年~前322年)

ギリシアの哲学者。プラトンの弟子。アカデメイアに入りプラトンから学ぶ。
あらゆる学問分野を体系化し「万学の祖」と称され、近代哲学に大きな影響を与えた人物である。
プラトンの死後、マケドニアのアレクサンドロス大王の家庭教師をしていた。
アテナイのリュケイオンに学園を創設し、学園の名前は、地名をそのまま取ってリュケイオンと呼ばれた。

パルテノン神殿

アテナイのアクロポリスにあるドーリア式の神殿。ペルシア戦争で破壊されたが、ペリクレスが再建した。

フェイディアス

アテナイの彫刻家。パルテノン神殿の再建に関わった人物。

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