アレクサンドロスの東方遠征
紀元前338年、コリントス同盟を結成してギリシアを支配したマケドニア王国のフィリッポス2世は、紀元前336年に側近により暗殺されてしまう。
父の後を継いで王に就いたのが当時20歳のアレクサンドロスであった。
アレクサンドロスは紀元前334年にオリエンへの東方遠征を開始した。
この東方遠征は、マケドニア王国とコリントス同盟の連合軍を結成して行われた。
グラニコス川の戦い(紀元前333年)、イッソスの戦い(紀元前333年)、ガウガメラの戦い(紀元前331年)で、立て続けに勝利し、ダレイオス3世のアケメネス朝ペルシアを滅ぼした。
アレクサンドロスはさらにインダス川流域まで遠征した。インドへ侵攻しようとしたが、部下からの反対で引き返している。
また、遠征の中で征服した各地にアレクサンドリアを建設した。
紀元前323年、東方遠征からバビロンに帰還したアレクサンドロスであったが、そこで熱病にかかり病死した。(アレクサンドロスはバビロンを首都にするつもりでいたらしい)
【アレクサンドロス大王の東方遠征の経路】
アレクサンドロスの東方遠征により、ギリシア文化とオリエント文化が融合し、新しい文化が形成された。
ローマに征服されるまでの約300年間の時代をヘレニズム(ギリシア風)と呼ぶ。
ヘレニズム3国
アレクサンドロスの死後、ディアドコイと呼ばれる王の後継者候補たちの間で争いが起こった。(ディアドコイ戦争)
40年に及ぶ戦争の結果、最終的に3つの国が成立した。
【ヘレニズム3国の支配領域】
アンティゴノス朝マケドニア(紀元前276年~紀元前168年)
首都はペラ。
紀元前168年にローマ帝国に滅ぼされる。
セレウコス朝シリア(紀元前312年~紀元前64年)
首都はアンティオキア。
紀元前250年頃に、セレウコス朝からパルティアとバクトリアが独立し、領土が縮小してしまう。
紀元前64年にローマ帝国に滅ぼされる。
プトレマイオス朝エジプト(紀元前304年~紀元前30年)
首都はアレクサンドリア。
紀元前30年にローマ帝国に滅ぼされる。
バクトリア/パルティア
バクトリア
ギリシア人が建国。首都はバクトラ。
紀元前130年代にスキタイ系遊牧民であるトハラ(大夏)により滅ぼされた。
トハラ(大夏)がバクトリアを滅ぼして間もないうちに、匈奴に追われてやってきた大月氏がトハラを滅ぼした。
100年ほど大月氏による支配が続いたが、国内のイラン人により滅ぼされクシャーナ朝が成立した。
パルティア
イラン人が建国。首都はヘカトンピュロス。
シリア方面へ勢力を伸ばし、ローマ帝国と国境争いをするまで拡大した。
以下にバクトリア、パルティア分裂後の勢力図を時代を追って掲載しておく。
【パルティア・バクトリア独立後(紀元前3世紀半ば)】
【紀元前2世紀後半の勢力図】
【2世紀半ばの勢力図】